「プラネテス」1〜4  幸村誠 講談社モーニングKC 〜2004年
   宇宙のリアリズムはどこまで"実現"するか
 NHKのアニメを先に見てから原作を読んだ。原作とアニメを比べると一長一短だが、私はどちらかというとアニメの方が好きだ。

 2075年、人類は月を開発し、エネルギー源は核融合に変わり、木星まで到達しようとしていた。しかし地球の周囲を多数のデブリ(ゴミ)が回るようになり、宇宙船との衝突事故が起こるようになった。主人公の星野八郎太はデブリ回収船で船外作業をしながら、いつか自分の宇宙船を手に入れることを夢見ていたが、やがて木星往還船にあこがれ乗員試験を受ける…… というストーリー。

 まず原作の方だが、前半と後半でかなり話の雰囲気が違う。これは作者の「物語へののめり込みの方向」が変わってきたからではないかと思うが、なんだか2つの物語を混ぜて読んでいるような感覚を覚えた。
 前半は割合SF色が強く、デブリ事故の話、宇宙テロの話、月生まれで地球で暮らせない女の子の話など、ネタだけで十分成り立つエピソードが多い。それに対して後半(2巻の途中あたりから)は、主人公の宇宙への葛藤、脇役の生い立ちや地球での生活、そして主人公の恋愛→結婚話など、ちょっと見た感じではSFに見えない展開になる(それはそれで十分面白いが)。最後は八郎太が木星に着くところで終わるのだが、SFとしてなら木星までの行程の描写がもう少しほしかった感じもする。私は八郎太の上司であるフィーの話が好きだが、この人の生い立ちのあたりは全く宇宙の話になっていない。
 近未来の宇宙での生活をリアルに描写するというのは、大変な作業だと思う。おそらくそこに挑戦しようとしている作者の姿勢そのものがこの作品の魅力のひとつになっているのだろうが、率直に言うと後半はネタ切れのように見える。作者は現在続きを構想中とのことなので、充電して新しいアイディアをたくさんつくって見せてくれることを期待する。

 アニメ(2003年10月〜2004年4月、NHK衛星で放映、全26回)では、原作に対して登場人物が大幅に増え、その分話が広がっている。八郎太の恋人(妻)であるタナベの設定も原作とかなり違う。
 原作ではタナベやフィーの生い立ち(地球での話)がかなり突っ込まれているのに対して、アニメではほとんどが宇宙の話であり、要するに原作の前半のノリを最後まで保っている。アニメとしてはこれが正解だと思う。脚本が非常によく書けている。もっとも最終回はなんだか帳尻合わせ的だが、まあこれはこんなもんでしょう(タナベの終わり方は、安直すぎて好きになれない。タナベの扱い方については原作の方がよくできているような気がする)。
 原作と比べると、テロ組織である「宇宙防衛戦線」の取り上げ方が大きく、クライマックスに向けて大きなテーマになっている。宇宙開発によって資源と富を得る先進国と、内戦と貧困にあえぎ続ける開発途上国、その違いが大きくなり続けることに対してテロで対抗する組織、葛藤しながらテロに協力していく途上国出身のエリート社員、宇宙服の開発をしながら母国の内戦によって夢を絶たれる途上国の社長など、このへんの設定は脚本家の思い入れがたっぷりで面白い。若干消化不良になっている部分もあるが、子どもも見るアニメならこのくらいが限界なのだろう。しかも最後はテロに「屈して」事件が解決する。テロ=悪という単純な思考しかできない政治家があふれている日本の国営放送で、よくこんな脚本が書けたものだと思う。小泉首相の感想を聞いてみたい。

 原作の第1巻の帯には「ニューSFスタンダード」と記されているが、この作品がスタンダードになるとは私には思えない。と言うより、おそらくSFにスタンダードなど必要ない。むしろ新世代のSFブームをつくるための刺激として、場合によっては反面教師として、この作品には存在価値が十分あると思う。(2004/5/1)


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