まっすぐな道でさびしい 種田山頭火外伝 1〜5
              いわしげ孝 講談社モーニングKC 2003〜2004年

   人生を見る3人の眼

 小学生の頃からへたくそな詩を書いていたのだが、俳句とか短歌とかは苦手だった。中学の授業で俳句を習ったとき、季語を入れるだの五七五だのが面倒で、「俳句はキライだ」とか感想を書いた。自分の文才のなさを棚に上げて、決まった形のものをきらっていた。
 20才の頃どこかで自由律俳句を見たとき、ナンジャコリャと思いつつ新鮮さを感じた。学校でこういう俳句も教えてくれたらよかったのに……と思った。種田山頭火という名前も印象に残ったが、句集をさがすでもなくそのままになった。やっぱり俳句は俳句か。こんなマンガが出なければずっと忘れていただろう。
 いわしげ孝は『ぼっけもん』以外読んだことがないが、その頃とくらべて画がずいぶん見やすくなった。『ぼっけもん』に見える若さへの情熱は普通でなく、私にはついていけないところもあった。この思い入れ過剰の作品は、今から考えれば"自伝"だろうが、それと同じ熱さがこの『まっすぐな道でさびしい』にも見られる。
 幼くして母の自殺に衝撃を受け、堕落してゆく父に反発しながら自分を重ね合わせ、没落する旧家を捨て家族を持ちながら勤勉に働くことができず、最後には家族を捨て出家するも俳句への情熱を捨てられず、乞食(こつじき)をしながら俳句を作り続ける……という種田山頭火の生きざまは、人によって評価の分かれるものだろう。このマンガでは「底なしのダメ人間」などと言われているが、それだけの文才を持ち、犠牲を払いながらも自らの生きがいを見つけ出したのは、私から見れば十分うらやましい。自らの才能を見いだし伸ばすことの難しさは、彼の育った明治時代も今もあまり変わらないだろう。彼自身の努力ももちろんあるだろうが、経済的に恵まれていたことも無視できまい。それとも環境にかかわらず、自らの意志があれば才能は育つものだろうか? 才能だけでなく、たとえば
 「なんなんだ この気取りのない人懐っこさは……
 泥だらけの着物にやつれた顔……
 泥酔して人々の好奇の目にさらされとるのに
 なぜか 全く卑しい感じを受けない
 こげな人に初めて会った!(友人・木村兎糞子の言葉;3巻)
 というような"人徳"にも、うらやましさを感じる。このような性格が主に天性や環境によって生み出されたものだとしたら、人間の運命も不公平なものなのかなあ、と考えてしまう。

 私にとっての自由律俳句の魅力は、その自由さと一種の不安定さである。形を破る力、形にまとめられない言葉の生々しさ、独特のリズム。しかしこのマンガを読んでいると、山頭火や尾崎放哉の生きざまから発する「叫び」が俳句と重なって、俳句だけを味わうことは不可能だ。多く引用されている俳句よりも、いわしげ氏がつくったと思われる山頭火の言葉の方が印象的である;

 俺は愛なんてわからんちゃ
 人を愛すと必ず裏切られる この世で一番の恐怖じゃ!
 そいじゃけ愛なんていらん! 俺は愛されても愛し返せん男ぞ!(1巻)

 なあ…… あんたたち なんでそんなにつまらなそうな顔で働いとるんじゃ……
 それとも働くことは退屈で当たり前なんかい!?
 それは百年たっても変わらなーのか?
 俺にはわからなーっちゃ 働くこと 退屈な毎日を繰り返してゆくこと
 みんな 本当に俺みたいに我慢しちょるんか?
 それとも 俺の知らなー 別な心の持ちようがあるのか?
 全っ然わからなーっちゃ 誰か本当の答えを教えてくれよーっ!(3巻)

 これらの山頭火の叫びが極端に凝縮されたものとして俳句があるのだとしたら、俳句だけを読むよりもこのような伝記を読む方が魅力的である。私の文学的素養がその程度だ、ということかもしれないけど。
 伝記には「視点の多重性」があるように思う。1人の人間の生きてきた歩みを本人が見つめ、それをさらに伝記の作者が描写し、そしてさらに外側から読者が読む。このマンガには山頭火のファンである語り部が登場するので、4重に人生を見つめていることになる。それぞれの人生を見る"色"が複雑に重なっているのが非常に面白い。今まであまり意識しなかったこの多重性に気づかせてくれたのも、いわしげ氏の思い入れだと思う。彼は今『青春の門』のマンガ化に挑戦しているが、思い入れの過剰が失敗につながらないことを祈りたい。(2004/10/15)


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