反差別論  柴谷篤弘 明石書店 1989年

   「差別する側」の構え方

 柴谷氏は構造主義生物学というものを提唱している人で、学生時代に講演を聴いた覚えがある。私には構造主義の意味がよくわからない。池田清彦氏の本も読んだが、どうしても「構造」の指すもののイメージがつかみきれない。私なりのイメージで言うと「部分の寄せ集めが全体になるのではなく、部分にはない性質を持つ全体そのものがあって、それを構造という」というところか。たとえば生物の情報は遺伝子の中にあるが、遺伝子だけで生物ができるわけではない。同じ遺伝子を持っていても、他の要素が変われば結果的にできる生物は異なる。したがって遺伝子が生物の本質なのではなく、遺伝子とそれをとりまくタンパク質などの全体「構造」が生物を表していると考えるべきである。生物は物理や化学の法則だけでは理解できない部分を持っていて、そのような部分を含めて生物を理解するために「構造」という考え方が必要なのかもしれない。
 なぜそういう生物学者が差別について本を書くのか、という疑問がある;

 どうして、生物学をやっている私が、このような問題に自分をまきこんでゆくのか。その理由は、それなりに長い。まず第一に、私はこれまで、生物学の研究の場面で、多数者になることを避けてきたようだ。……(中略)……私はいつも自分を少数派として規定するように、自分自身を追い込んできた。それが「好き」なのだ、といわれればしかたがない。しかしそれを通じて、少数派一般に興味がひろがった。いってみれば、「好き」どころか、その反対の立場にいて、どうしても少数派からのがれられずに悪戦苦闘している人々のことを、自分なりに考えるようになってきた。ぜいたくな話だ、といえばそれまでである。しかしそれはとにもかくにも、私がだれに強いられることもなく、えらんだ道だ。
 もうひとつの動機は、私がオーストラリアにいて、いわゆる多元主義というものに、身近に触れたことと関係しているだろう。それとともに1969年ごろからずっとやってきた科学批判のいとなみを通じて、いわゆるバータリアン・ソシアリズムという政治的な信条に、自然とはいりこみ、それにもとづいて、かってに自分では「ネオ・アナーキズム」と僭称している考えかたを築こうとしてきたこととも関係があるようだ。(13−15ページ)

 この動機だけで差別の問題に関わり本を書くというのは、私には少し違和感がある。おそらく筆者の中に、差別に対する原体験のようなものがあって、それが上に書かれたようなことから喚起されていったのであろう。私にはそのような具体的な体験、彼自身がもともと差別とどう関わっていたのかということに興味がある。現代の人間は生まれたときから差別に囲まれている。そのことを認識していないと机上の空論で終わってしまいかねない。
 本全体を通して見られるのは、差別に取り組む運動に対して筆者が直接関わっていないということだ。このことが悪いとは限らない。第3者(差別そのものについては第3者ではないが)からの方がよく見えることもある。問題は差別に対してどのような認識を持ち、どのような立場に立とうとするかである。
 この本では部落問題を主として同性愛・女性・障害者・少数民族・HIV患者など様々な差別について、引用を中心とした例示もあるが、全体としてはやや抽象的な考察がなされている。筆者の文章よりも引用文の方が強い印象を与えるのは、ねらった効果かもしれないが不思議な感じがする;

 「よく、部落解放運動の中で、『踏まれた痛みは踏まれた者にしか解らない』という。私も差別者にそう言ったことがある。しかし考えるまでもなく、これはほかならぬ、文学の否定である。踏まれたことのない人に、踏まれた者の痛みを感じさせるのが、文学作品であろう。文学の否定は、私自身の足元を、崩してしまう。問題は、想像力である。想像力の乏しい人が、被差別の苦しみから、遠くにいるのだ。」(師岡佑行氏の言葉。94ページ)

 私も「踏まれた痛みは〜」と言われたことがある。この言葉は私にとっても大きく、かなり長い間悩んだ。今の私は、想像力で痛みがわかるとは言えない、わからないままで向かい合うしかないと考えている。差別に限らず、他人の感情を完全に理解することは不可能だが、理解しきれなくても対話を続けていくことで何かを共有することはできる。これは理屈ではなく、子どもと向き合ってきた自分の実感である。むしろ理解できないまま共同して何かに取り組むことで、真の創造ができるのではないか。理解するための努力は必要であるが、最も重要なのは理解ではなく対話と共同ではないか。差別について考えれば、差別される者の心情を理解することよりも、差別する側とされる側が向き合って対話を続けることが重要だと思う。問題は無理解ではなく対話の場を奪う「隔離」ではないか。特に子ども時代の様々な形の"隔離"は致命的であるように思われる。

 このようなわけで、「差別をなくそう」と国家や地方自治体が、いともたやすく言うとき、私はむしろその欺瞞性にいらだちを覚える。差別は、現在まで運動の現実が示すように、そうかんたんになくなるものではないだろう。その困難を無視して、「差別をなくす」ことを標語にするような運動は、現実に対して眼をとざし、運動の失敗を保証するようなものである。(中略)このような現実に対する、理論的立場は、すでに70ページで紹介した、カール・マルクスの、「なぞのような」示唆のひとつになぞらえて、つぎのように表現することができるだろう。
 「われわれにとって部落解放(「部落差別をなくす」)とは、招来せられるべき状態でもなければ、現実が指向すべき理想でもない。われわれにとってそれは、現状を廃絶しようとする現実の運動である」(101ページ)

 この考え方は非常に印象的である。ある思想(この場合部落解放、マルクスの原文は共産主義)とは、まだ存在しない理想や目標ではなく、運動そのものの「現状」の中に見いだすべきだというのは、現在の平和運動などにも適用しうるものであろう。平和運動は、運動そのものが「平和」を追求するべきなのだ。
 しかし社会全体が差別を保持している中で、ある運動体だけが差別を排除しようとすれば、個々の人間の中で当然葛藤や矛盾が生じ、運動自体の困難とともに個人の思想改革の困難と直面しなければならない。現在の運動体でこれだけの負荷が可能なのか、そのことについて検証が可能なのか、難しい面があるだろう。
 学校(塾も同じ)で差別を考えるとき、単に「差別がいけない」というだけではほとんど意味がない。生徒の将来に差別がなくなることを"祈る""願う"のではなく、現実に学校の中で存在する差別と向き合い対峙することが重要だろう。しかし差別がある社会の中で学校だけが差別をなくすことは、学校自体が社会に対して挑戦することを意味し、当然外部社会との軋轢を生じることになる。東京で「ジェンダーフリーという用語を用いない」「男女混合名簿を使用しない」等の指導が出ているのは、このような状況を示している。また学校が外とは違う特別な場所であることを、社会全体がもっと意識する必要もあるだろう。学校が民間のマネをすればよいというものではない。学校には民間と異なる理念があるのが当然で、その最も象徴的な面の1つが「差別にどう対するか」ということなのだ。

 等々多くの連想を起こす文章が並んでいて興味深いが、最初に戻って考えると、差別に対する運動に関わっていない筆者そのものの立場を筆者がどう捉えているのかがひっかかる。自分自身が逃れられない以上、このようなテーマでは常に、自分はどうなのかを意識しながら議論をしなければならないだろう。このような本を書くこと自体がひとつの意思表明といえるのかもしれないが、それでもこの本の中にある研究論文のような「客観視・第3者視」だけでは物足りなさを感じるのは、私の思い込みなのだろうか。主観の必要ない理論と主観に裏打ちされた実践がどう共同していくか、これも差別に限らず社会運動や教育論についての問題であろう。
 図書館の方へ;延滞してゴメンナサイ(2004/9/20)


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