新釈うああ哲学事典 上・下  須賀原洋行 ワイドKCモーニング 2004年

   積み上げられる独創性

 高校で哲学者や本の名前はなんとなく習ったが、言うまでもなくそんな暗記が身につく私ではなかった。大学に入った頃には哲学という言葉に対する漠然とした憧れがあって、1回生で講義をとってみたが、やる気のなさと眠気も手伝ってすぐに挫折した。自分の読解力と思考力の限界を知らされているようで、すねていたのだと思う。それ以来、思想に対するこだわりは続いても、そのこだわりが哲学に結びつくことはなかった。
 須賀原さんは脱サラして『気分は形而上』というマンガでデビューしたが、最初は正直言って絵も見にくく話もシュールすぎて(彼の"哲学"についていけなくて)読みにくかった。この作品が面白くなり始めたのは、須賀原さんのお連れ合いの実話「実在OL」シリーズあたりからで、読者からのエピソードをマンガで紹介するパターンでずいぶん読みやすくなった。しかしこのような実話紹介型マンガは、おそらく須賀原さんの本当に描きたいパターンではなかったのだろう。ある時点から再びフィクションに転じ、その後の作品でも様々な方法で作者自身の「哲学」をマンガとして表現しようとしている(一応ほとんど全部読んでます)。それだけ哲学にこだわりながらなお、彼の作品の中で一番面白いのは須賀原さんの家族の実話である『よしえサン』シリーズだと思う。須賀原さん自身のこだわり(哲学)と、テツガクとは無縁そうに見えるよしえサンの持っている立派な「哲学」との響き合いに、さらに実話のリアリティと筆者の家族愛が加わって傑作になっている。筆者自身の『よしえサン』へのこだわりが強いのもよくわかる。
 このマンガはそんな須賀原さんの、いわば実生活に即した哲学の紹介である。この作品の中には筆者の今までの試行錯誤から積み上げられた「須賀原さんらしさ」が充満している。今まで作り上げてきた須賀原さんのパターンの中に哲学者の主張をそのままうまくはめこんでいて、難しさを感じさせない。筆者の思想のフィルターを通して哲学を描いているので、入門書とは違う味わいがある。「古典の内容を手当たり次第抜き書きした概説書は読むな これらは古人の名誉や卓説における適切な説明や微妙な言い回しを その価値がわからぬまま改変したり省いたりするのだ」(下巻107ページ『ショーペンハウエル』)とあるが、これは自分のマンガがそうでないという自信がなければ書けないセリフだろう。本の中に見え隠れする筆者自身の思想にも共感できる。
 マルクスから始まってマーティン=ガードナーに至る諸氏の中で、私には女性論が特に面白かった。上巻のボーヴォワール、下巻の「哲学における『女』」などは非常に読みやすい。ヘーゲルでは泣けるし、森田正馬では自分の森田療法の体験と重ね合わせて興味深かった。デモクリトスあたりの原子論は理科の授業で読ませてみたいし、アダム=スミスの資源管理の話も、ありそうだがマンガで目にするのは初めてのパターンで面白かった。
 40名以上の哲学者の思想について実例を使って語るためには、マンガの構成力と哲学に対する理解、そして読者を引き込むための作者の情熱が必要である。筆者はおそらく自分のそれらの能力に満足していないだろうし、私から見ても不満はある。しかし少なくともこの作品が須賀原さんにしか描けないものであり、筆者の悪戦苦闘の歴史を反映した独創のかたまりであることは疑いない。筆者の言葉に反して「入門書」としてもよい本だと思う。
 巻頭には「この作品を、奇人変人を愛する全国の人たちに捧ぐ……。」とあるが、このマンガにおける哲学の普遍性は万人向けであろう。哲学なんて大嫌いという人に一読をお勧めしたい。(2004/12/6)

   須賀原洋行さんの公式HPはこちら

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