味いちもんめ 1〜33
         あべ善太作・倉田よしみ絵 小学館ビッグコミックス 1983年〜1999年

   徒弟制は生き残るか

 料理マンガはなぜか読み飽きない。古くは『庖丁人味平』から『美味しんぼ』『包丁無宿』『ザ・シェフ』『クッキングパパ』など、特に面白いというわけでもないのに、喫茶店で時間つぶしに読んでしまったりする(最近始まった作品にはもう頭がついていけない。年かな)。この『味いちもんめ』は絵があまり好きではなく、はっきり言って初期の顔の描き方は見ていられなかったが、長い間あちこちで流し読みをしているうちに、エピソードをずいぶん覚えてしまった。
 原作者のあべ善太氏(1999年没)は高校の先生だそうで、このマンガにもセンセイ的な"お説教"が端々に登場する。こういうのが出てくるマンガは好き嫌いが分かれるところだろうが、私は同業であるせいかなんとなく読んでしまう;

 ワシは思うんやが……
 職業に貴賤はない、ゆうのは本当や。
 政治家が板前より偉いゆうこともないし、
  板前が寿司職人より上やゆうこともない。
 そやけど、同じ職の中に貴賤があると思う。
 賤しい政治家もおれば、貴い政治家もおる。
 お前が出会ったような三流四流の寿司職人もおれば、
  ここの親方のような一流の人もおるちゅうことや。(第16集)

 こういう言葉を鵜呑みにして使うのはよくないとわかっていても、教師の財産として(お寿司より?)オイシソウだと思ってしまう。このセリフはあべ氏の独創なのだろうか。このセリフの後のオチが下手な落語並みにつまらないのも、子どもっぽいとも言えるが、やっぱり先生のお話的に思える。
 このマンガの主題は料理の技法や食材のウンチクではなく、料亭の料理人である主人公(伊橋)の成長である。追い回しから修業を始めて、焼方、煮方……と"出世"していく中で、伊橋君が色々な経験を積み変わっていく様子が描かれている(このテーマも考えてみると教師らしい)。
 やや説教くさく堅い(その割には偏見が混じっている)このマンガの一番の魅力は、彼を取り巻く人間の"教師力"と伊橋君本人の"生徒力"である。親方は巻を追うごとに「理想の教師」になり、温泉街や京都へ修業に行ってもそこここに「よい教師」がいる。伊橋君はいい加減なところもあるが、そういう人生の先輩たちから着実になにかを吸収して成長していく。現実の教師の立場からすれば、親方のようになりたいと思い、伊橋君のようなやんちゃだがガッツのある生徒を教えたいと憧れる。
 もちろん、料亭は学校ではない。このマンガを読んでいると、日本に限らず多くの国にあった「徒弟制」の意味を考えさせられる。かつて職業教育の大きな要素として徒弟制が存在したイギリスでは、衰退した徒弟制がここ10年間で復活しつつあるという。もしかしたらあべ氏は理想の師弟関係を体現している場として料亭を選び、自らの願望を込めて教師と生徒との関係を描こうとしているのではないか。
 しかし私自身が伊橋君の立場になって(もちろんこれはマンガであるが)、包丁の峰でたたかれたり、まともな給料をもらえずに何年も修業することになったら、もたない。また私がそういう修業人の「教師」としてやっていける自信もない。後輩の教師に対して多少先輩らしいことはできても、「親方」にはとてもなれない。これが私だけの感じ方だとは……あまり思えない。私の生徒に料亭の修業を(たとえば3日間)受けさせたら、どのくらいもつかはなはだ心許ない。
 封建社会でなくなった現在、徒弟制を支えるのは、教える側と教えられる側の基本的な"強さ"、そして相手のことを思いやった合理的な厳しさであろう。このマンガに登場する親方や先輩はみな「よい教師」であり、理不尽に怒ることはない。そして伊橋君は、失敗したり迷うことはあっても、仕事に対してくじけることを知らない強さを持っている。特別な人間ではない彼のような強さをつくるにはどうしたらいいのだろうか。
 私がいつも思うのは、子どもにたくさん遊ばせること、子ども社会の中で子どもを鍛えることである。私の世代を含めて、昔の子どもは学校が終わるとみんなで遊んでいた。オトナの縛りのない世界で遊ぶには、子ども同士でルールをつくり守らなければならない。遊びを楽しむには創意工夫がいる。知恵と我慢と思いやりがなければ、遊び続けることはできない。それだけですべてが解決するとは思わないが、現在のような遊びの場所と仲間と時間が奪われている状態を改善して、子どもが遊びの中でお互いに鍛え合うような時期を確保できれば、オトナのなるための"修業"にも耐えられるようになるのではないか、と思う。
 日本の歴史の中でこれほど子どもが遊べなかった時代はあまりないだろう。そしてこの時代に徒弟制が生き残るのも、このままでは難しいのかもしれない。学校では得られないこのような教育の機会の意味を、もっと考える必要もあると思う。(2004/11/16)


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