Hotel New 釜ヶ崎  ありむら潜 ヤングチャンピオンコミックス 1992年

   ドヤへの光、ドヤからの光

 10年前に釜ヶ崎で研修を受けた。炊き出しのお手伝い、夜回りでの声かけ、病院や教会などの見学などなど。初めて見るドヤ街は新鮮だったが、路上で寝ている人との会話は重かったし、終わってから振り返りを書く時にもなんだか行き詰まってしまった。なんとかここにいた時のことを忘れないでいたい、生徒に還元したいと思っていた時に、このマンガを知った。
 筆者のありむら潜さんは西成労働センターの職員で、日々釜ヶ先の住人と顔を合わせている中でこのマンガをつくり出した。主人公の「カマやん」はドヤ街の住人だが、アメリカにもタイにも行くし、バイタリティにあふれ「No Probrem!!」が口ぐせの楽天的な人物である。高度成長期の土木業など産業の底辺を支えながら偏見にあい続け、それでもたくましく生きる"理想像"が描かれている。寅さんのように家も家族も定職もない彼は、限りなく自由とも言える。多くの外側の人がドヤ街を見る目は、さげすみや偏見だけではなくうらやみも混じっているのだろうか。

 「ここは日本のどこよりも『ニューヨーク』や
  どんなカッコしようがどこで寝ようが ダ〜〜レも気にもせん
  行き倒れて死ぬのさえ自由や 誰も名前すら知らん」

 「それじゃ秩序はどないなるんだ!? 社会は大混乱だ」
 「そんなことないぞ 釜ヶ崎は何十年もりっぱに回転しとる」
 「信じられん……何かルールがあるはずや」
 「よおわかったのお 確かに1つだけある
  『人の自由をおかさない』! どや 十分やろ?」
(46−47ページ)

 しかし自由でありながら、彼らは「みんなつらい経験してるから気持ちがわかるんや」。ドヤの人同士が助け合って生きていくさまは、昔の日本人のいいところがそのまま残されているようだ。震災の時も、食糧不足の北朝鮮から来た人の手記もそうだった。人間が本当に助け合うのがそういう状況でしか起こらないとしたら、物質的に豊かになることの意味はもう一度問い直されるべきだろう。

 ひたいに汗して働くことが軽んじられ、「財テク」の名で腐敗がまかりとおり、どんな悪質な土地投機が起ころうが、どんなに土地・住宅問題がひどかろうが、けっして怒りを爆発させることができなくなってしまった、今日の病的な「管理社会」日本で、釜ヶ崎のような場所がまだあるのは、むしろ救いであろう。(70ページ・筆者の解説)

 カマやんが見たこの国は皮肉と矛盾にまみれているが、筆者のセンスのおかげでイヤミなく笑える。淀川工業のたそがれコンサートの話は淀工ファンでなくても感動できるし、差別に対する筆者の主張がカマやんによって存分に代弁されているのも読んでいて気持ちいい。アメリカのホームレスの話、また外国人労働者の話など、釜ヶ崎にとどまらない問題提起も数多くある。アメリカやタイの貧しい人の話を見ていると、このような人たちこそ言葉や文化を越えてつながりあえる(と言うより、つながりあうべきである)ことを感じさせる。このようなマンガがメジャーな週刊誌に連載されるのは、やっぱり日本の「マンガ大国」の証明だろう。
 ありむらさんはカマやんシリーズをその後もかき続け、私の手元には他に「カマやんの曲がりかど」(日本機関紙出版センター、1998年)がある。釜ヶ崎がどのように変化しているか、というよりも日本全体の変化がどのように釜ヶ崎に影響を与えているかが描かれている。大ざっぱに言えば全体にブラックになっていて、楽天的だったトーンがやや悲観的になっている。それでも感傷的にならず、現代の世情を真正面からしかし重くならないように描けているのは、ありむらさんと釜ヶ崎にいる多くの「カマやん」の共同の力であろう。作者のドヤ街の人々への愛情が、この作品を根本のところで支えている。そのことが、このマンガを他の人には描けない作品に仕上げている。
 このマンガの一部を中1の生徒に紹介した時に「よくわからん、なんでこんなん読むのー」と言った子がいた。私はそのとき満足な説明をしきれなかった。力不足だった。ドヤ街の知識は普通の中学生にはほとんどあるまい。私も大学生になるまで知らなかった。しかし毎年数百人が亡くなるこの釜ヶ崎の存在は、この国で生きる人間が無視できるものではない。日本が北朝鮮より豊かとは言い切れない証拠を、この街は突きつけている。憲法違反の象徴のような釜ヶ崎の現実は、何があっても子どもに教えるべき対象である。そして現実の「刺激」が強すぎるとしたら、導入書としてのこのマンガの価値ははかりしれない。ありむらさんがまた「カマやん」の新作をかいてくれることを期待したい。(2005/1/19)


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