化学T・Uの新研究  卜部吉庸 三省堂 2005年

   とことん説明を求めたい人に

 予備校の講師採用試験を受けることになって、今はもっぱら化学の勉強をしている。高校の化学は後半かなりサボっていて、大学では実験以外ほとんど単位が取れなかったという恥ずかしい身で、それでも今までに6年ほど高校生に化学を教えてきた。自信のない人間にはその人なりの強みもあるはずだ、という全く根拠のない理屈で自分を支えながら、まあそれほど不評でもなかった(要するに「わかることしか教えない」という開き直りだったと思う)。教え始めてすぐの頃に苦労しながらテキストをつくったのも力になっているかもしれない。しかし所詮根底からの理論がわかっていない教師では、できないことが多すぎる。入試問題を解いていてそのことを痛感するが、かといって今更大学に潜るわけにもいかない。若い方々、大学は勉強するところですよ。脳細胞が働くうちに詰め込んでおいた方がいいよ。
 そういうわけでセコく古本屋で専門書を探したり、大きい本屋でわからないところを立ち読みしたりしているが、この本は新刊を買った。三省堂の本は装丁が子どもっぽい感じであまり好きでなく、この本も手に取ったときにはチラッと見るだけのつもりだったが、読んでいるうちに引き込まれて思わず買ってしまった。
 高校生向きの化学の参考書で最も系統的に理屈を説明しようとしているのは、駿台文庫の石川正明先生の本ではないかと思う(あまりたくさん見ているわけではないので、他に推薦するものがあったら教えてください)。『新理系の化学』は少々古い感じもするが、『原点からの化学』シリーズはより説明がこなれていて読みやすい。この卜部先生の本は、読みやすさでは(ページ数の差もあって)石川先生の本にやや劣るが、説明の深さはほぼ同等であり、内容の豊富さでは勝っていると思う。

 現在の高校の教科書や既存の参考書には、多くの化学事象に対する網羅的な説明はなされていますが、さらにもう一歩突っ込んだ「なぜそうなるのか?」という生徒たちの疑問にはほとんど答えてはいません。そこで、いわゆる難関の大学を目指して、日夜勉学に励んでいる高校生や受験生諸君の知的要求を満たし、その要望に少しでも応えるために書かれたのが、本書なのです。
 本書の特徴は、教科書本文の一字一句を徹底的に詳しく研究・解説したことであり、ふつうの参考書の1.5倍くらいの頁数を備えています。また、あくまでも内容重視の方針を貫き、まとめ・覚え方・整理などの欄は極力省き、その分の頁数はすべて解説にあてましたので、内容の深まりは他書の2倍以上はあると思います。(初版序文より)


 書かれている通り語呂合わせとかまとめの類はほとんどなく、少数の例題も演習ではなく説明をわかりやすくするためのものになっている。700ページあまりすべてを説明のために投じている本だと言っていい。このような「一点集中主義」が好きなのもこの本を買った理由であるが、それだけの説明が載っている本がほとんど見られないこともまた事実である。
 高校で学ぶ化学の知識の中には、@一応高校生が納得できる形で完結しているもの(例えばボイル=シャルルの法則は、きちんと説明すればほぼ納得させられる)と、A理屈が説明できない"天下り"として与えられているもの(なぜ銅は有色なのか、なぜ陽子は同じ+の電気を持っているのにくっついていられるのか、など)がある。教科書で説明されているのは@の半分くらいで、残り半分は運がよければ授業の中で教師が説明してくれるが、Aについては一部の学校や予備校の授業を除けば、生徒がよほど食いついて質問しない限り(いや、場合によっては食いついても)説明してもらえない。しかし自分でなんとかしようとしても、高校生が大学用の専門書を読みこなすのはムリだろうし、そもそもどの本を読めばいいかもわかるまい。ブルーバックスあたりにしても、高校レベルを少し超えたくらいの知識について系統的に説明しているものは見たことがない。要するに高校生が化学について深いレベルの疑問を解決しようとすれば、大学レベルまでしっかり教えてくれる教師を探すか、高校生用の参考書に頼るしか現実には手がないと思われる。
 ただしそれはとことん納得しようと思う人の話で、理解できないことを暗記でなんとかしようとするなら、そのような参考書は必要ない。不幸なことに入試では、納得できないことでも要領よくやれば点数がとれる場合が多い。時間をかけて深い理屈を理解して問題を解くより、暗記のノウハウをつかんでパターンにあてはめて問題を解く方が効率がいい場合もある。「わかりたい」ことと「点数をとりたい」ことが矛盾するなら、学問の本質にとって入試は有害である。このような本がどれだけ売れるかは、魅力ある勉強としての化学がどれだけ高校生に受け入れられているかを証明する目安になるだろう。
 筆者は奈良の高校の先生で、学校の仕事をこなしながらこのような本を書くのは大変だったろうと思う。おそらく筆者には、目の前の生徒のためになる参考書を書きたいという気持ちと、筆者自身の力量を向上させるためにこのような本を書いてみたいという「野望」があったのではないか。もっとも高校教科書のレベルを完全に超えているこの本を基準にして授業をしているとしたら、生徒はたまったものではないだろうが……(そんなことはないよね)。  理論についての追求の深さと、狂牛病やコピー機や視覚のしくみまで幅広い話題の広さを兼ね備えたこの本は、やる気のある高校生には読み甲斐たっぷりであろう。重い本だが2500円は高くない。興味のある人は本屋で立ち読みしてみてください。(2005/7/10)


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