プロ野球をダメにする致命的構造
   江本孟紀 PHP研究所 2006年

   独立リーグは日本で成功するか?

 プロ野球中継の視聴率が下がり続けていると言うが、関西や福岡にいると野球人気が衰えているとはあまり思えない。テレビでもラジオでもホークスホークスとうるさいのは、マスコミが煽っているだけではなく、それなりに需要があるからだろう。ただ中高生の話を聞いていると、個々の選手のファンはいても、ホークスという野球チームそのものを応援する子どもはあまり見ない。世代交代が進めばいずれ野球人気も衰えていくだろう。
 エモやん(筆者)の現役時代はあまり知らないが、選手としては好きな方だった。「ベンチがアホやから……」という言葉も、プロの選手としては特におかしくはないように思った(私などしょっちょう子ども相手に経営者批判をしている)。テレビ解説者、また国会議員としての江本氏はあまり好きになれなくて、この本も最初は買う気がなかったのだが、文章が非常にわかりやすく、思わず買って30分で読んでしまった。こういう本を書ける人はあまりいないだろう。野村監督がかつて言っていたように、エモやんは頭がいい人なのだ。そう思った。
 筆者はアメリカ独立リーグへの関わりを通して、アメリカと日本のプロ野球のあり方の違いを痛感し、複数オーナー制や2軍の独立採算制など「アメリカ式」経営を提言している。

 このへんで、プロ野球最大の問題を明らかにしよう。  それは、一つの親会社が、一軍・二軍を含めた一つの球団を、100%の子会社として保有し、支配していることである。(中略)
 ……そうすると、どういうことが起こるか。
 親会社の経営が悪化すれば、子会社である球団もまた当然その影響を受けることは避けられない。また、本業はいくら順調であっても、球団が毎年赤字を垂れ流しているようでは、株主が納得しない。近鉄が球団を手放したのがまさにそうだし、横浜もいま異常ともいえる赤字に苦しんでいる。その結果、行き着く先は、合併や縮小ということになってしまうのだ。
 そして、いまはほとんどの球団の二軍の選手・スタッフは、一軍選手に養ってもらっている状況にある。この二軍の人件費が球団経営を圧迫していることはあまり知られていない。(中略)
 ……このシステムを維持するかぎり、プロ野球に縮小はあっても発展はない。(19−20ページ)

 アメリカではマイナーリーグもすべて独立採算制で、3ヶ月で100試合こなすことも珍しくなく、また選手はファンが見に来てくれるためのファンサービスにも努めなければならない。今の日本の2軍選手がこんな環境に耐えられるかどうか、私にはちょっと疑わしい。
 一方メジャーの選手はプレーそのものが商品なので、いいプレーをすることに専念すればいいらしい。余計なファンサービスはいらないという点は同感である。サインをするヒマがあったらヒットを打つ練習をしてくれ、と思うのは私だけだろうか。
 たしかに阪神の二軍は(他も大差ないが)恵まれている。プロに入ったというだけで外車を乗り回すのは、思い上がりというよりも情けない。ずっと二軍に甘んじてしまっている原因がそのような「甘やかし」だとしたら、アメリカ流が悪いとは思えない。二軍には年俸の最高限度を決めておくという手もあるだろう。
 しかし今の日本で、二軍や独立リーグが採算の合うように経営できるかどうか、私には疑問だ。エモやんはたとえば、

 たとえば阪神タイガースなら、「タイガース」という命名権を売って、近畿圏に「タイガース・リーグ」というマイナーリーグをつくるのである。
 阪神タイガースの営業が奈良県の財界に行って、「タイガースの名前を買いませんか。運営モデルはこちらがすべてつくります。優秀な選手にとっては、阪神タイガース入団への登竜門にもなりますよ」と口説き、「奈良タイガース」を誕生させる。
 同じように、京都、和歌山、滋賀、三重、岡山に「京都タイガース」や「和歌山タイガース」などをつくり、この六チームでリーグ戦を戦うのだ。今のタイガースの二軍選手は、このなかに分散すればいいのである。(中略)
 ……いま近畿圏にはタイガースファンが七百万〜八百万人いるといわれている。ところが甲子園でナマのタイガースの試合を見られるのは、わざわざ甲子園まで足を運んだたったの五万人、……その機会も年間で七十回程度しかない。
 しかし、いまはまだ無名だが、将来タイガースで活躍するかもしれない選手たちの試合を地元で見られるとしたら、テレビでタイガースの試合を見るより、そっちに行って応援したいと思うファンも必ずいるはずだ。(86−87ページ)

と書いている。たしかに応援したいファンはいるだろうが、ならば今の二軍の試合の観客席はなぜ満員にならないのか。6分の1に薄まった二軍を見るより、今すぐにでも一軍に上がりそうな選手をねらって見に行ける鳴尾浜の試合に、なぜ人が入らないのか。リーグ戦になれば面白いから人が集まるという考え方もあるだろうが、プレーの質は確実に下がるだろう。また活躍した選手はどんどん1軍に引き上げられるから、優勝争いを見るという点でも1軍ほどの面白さは味わえないだろう。それで本当にモトがとれるだろうか。楽天的でビジネスに前向きなアメリカなら失敗覚悟でやってみられるのかもしれないが、日本ではどうか。
 甲子園には3回行ったが、外野席はおろか内野席からでもピッチャーとバッターの駆け引きはまったくわからない。現場の熱気はたしかに感じるが、野球をじっくり見るという点から考えると、テレビと球場は一長一短である。野球を見るのは現場に行くのが一番という考え方には、私は同意しきれない。ましてテレビは(一応)タダだし、イヤならいつでもチャンネルを変えられる。ボロ負けでも最後まで見ないと元が取れない、ということもない。
 もっと本質的なのは、アメリカと比べて、日本のファンが本当にそこまで野球に入れ込んでいるのかどうかだ。ひいきのチームが勝てば盛り上がるが、負ければそっぽを向いて球場にも行かないというのでは、最下位のチームから順につぶれかねない。阪神のように最下位でも球場が埋まるチームは例外である。これは阪神球団のおかげではなく、関西の文化がたまたま阪神タイガースとウマがあったために、関西の文化が阪神を受け入れているのであって、他の地域では現状では難しいと思う。福岡でのホークス人気はそれなりにあるが、関西と比べるとまだ「つくられたもの」という感じが抜けない。これから何年も地元に根づいていけばいつか関西並みになるかもしれないが、それまでホークスが福岡にいられるか、プロ野球そのものが続くかも問題である。
 要するに、本当に野球が好きなファンと、テレビなどで野球を見て盛り上がりたい人は、別ではないだろうか。野球そのものを見たいのではなく、文化や流行によってもたらされる「勝ちの喜び」を求めているのではないか。私は連敗中のチームは見たくないが、本物のファンならそういう時こそ応援するだろうし、本当に野球そのものが好きなら目先の勝ち負け自体はあまり気にならないだろう(スポーツは勝つことが目的だが、ファンは勝ち負けに関係なくプレーを楽しめるはずだ)。私にはそういうふうに思えるときと思えないときがあって、要するに「半分ファン」である。他の人はどうなのだろうか。
 結局 お金を払ってでも球場に何度も野球を見に行きたい人が関西に700万人いるとは、私には思えない(もしそんなに野球ファンがいるなら、いくらなんでも南海や阪急や、近鉄までがなくなるはずがない)。
 現状を変えるためには、野球の面白さをうまく伝える方法と、野球以外の魅力も含めて球場のあり方を考えるしかないだろう。この本に書かれているように、たとえば客席でカラオケができるようにするとか(昔の藤井寺ではたき火をしていたらしいが)、ボール・パークとして「野球も見られる遊園地」のような施設にする、という考え方もある。しかし私は前に書いたように、スポーツの中でどれだけ人間が輝けるか、人間のドラマをつくれるかにこだわるのがよいと思う。別に毎回逆転サヨナラホームランが見られなくてもよいが、1つ1つのプレーの意味や面白さ、チーム同士の駆け引き、その人でなければできない個性的なプレー、そして最後まであきらめずにくらいつく精神力とそこから起こる「奇跡」……を見たい。
 どんなスポーツにもそういう面があるだろうが、日本ではサッカーなどと比べて、野球の面白さがまだひろい層に認知されているという利点がある。これはこの国に根づいてきた野球文化の成果である。マンガそのものでなく文化として見れば、『キャプテン翼』は『巨人の星』にはるかに及ばないだろう。
 その面白さを追求する試合を、その面白さをよりよく伝えるメディアを、そしてその面白さを語り合えるファンの共同体をつくっていけば、今よりは本物の野球人気が起こるのではないか。テレビの視聴率が下がって地上波の放送がなくなっても、今よりもっと工夫した良質の中継をCSの有料チャンネルでつくれば、お金を払っても見る人は増えるだろう。さらに2軍選手の「倹約」、引退後の生活保障をセットにした年俸の押さえ込みなどによって、経営を続けることもできると思う(私は給料が高いことが「スター」の条件だとは思わない。お金でしか選手のプライドを評価できないとすれば、それは「金主主義」の表れであって、ファンにとっても選手自身にとっても不幸だ。もしお金にこだわるなら、完全に単年出来高払いにするべきだ)。
 筆者は阪神に対する村上ファンドの買収について、問題提起として前向きな位置づけをしている。現在のように1つの会社が球団を持っていると、親会社の経営事情だけで球団の運命が左右されてしまい、結果として近鉄消滅のような悲劇が起こる。複数オーナー制にするべきだ、とエモやんは書いているが、これは村上氏が提起した「ファンが株主」という発想と同じだ。アメリカでは球団のオーナーになるのは大変名誉なことだという。タイガースの株を持つことで経営に参加し意見を言う権利を与えられるなら、たしかに株主になりたがる人はたくさんいるだろう。株主であることが「本物のファン」としての証明になるかもしれない。
 親会社からの天下りのようなオーナーよりも、球団を愛するファンが共同で経営に加わっていく方が、よりよい選択とは言える。しかしそれが球団経営を安定化させる結果になるとは限らない。親会社の事情であろうとファンの事情であろうと、外部の事情によって球団の運営が大きく左右されること自体が、スポーツのあり方として正常でない。ファンからの意見を取り入れることは当然としても、経営としては独立採算にして「球団自身が球団を保有する」形にするのが一番いいと思う。選手やスタッフ1人1人がオーナーになる、と言い換えてもいい。要するに球団は、まずは球団のために働くすべての人のものであって、どこかのお金持ちや一部のファンのものであるべきではない。そこがずれているから色々な摩擦や矛盾が起こっているのであって、この際根本的に球団保有のあり方を考え直すシミュレーションがあってもいいのではないか。
 野球のことについて私がこれだけグダグダ考えられるのは、政治や教育のことを考えると気持ちが重たくなるばかりで、気楽に構えられるネタだと思ったからだ。……が、書いていくとやっぱり重たいオチしかつかないのは、性格なのかしらん。エモやんは引退した選手の再就職援助とか、ファイヤーバーズというノンプロチームの運営とか、様々な形で野球のために働いているが、議論よりも実行で何かを切り開いていこうというのは、やっぱり彼は議員である前にスポーツマンだと思う。野球を愛するたくさんの人たちが、日本の野球の現状を打開しようとして試行錯誤している。それらの人の努力と、まだ決して少なくないプロ野球ファンの気持ちがつながったとき、大きなパワーが生まれるだろう。そのパワーが何をめざすべきか、今のうちにたくさん"議論"しておくべきだ。この本には、たたき台の1つとしての価値は十分ある。(2006/7/22)


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