クッキングパパ 1〜87  うえやまとち 講談社モーニングKC 1986年〜

   食事は最高のコミュニケーション

 最近は新聞を見てもネットを見てもラジオを聞いてもイライラするニュースが多くて、イヤなことを忘れたいときによくこのマンガを読む。悪人の出てこない毒のないこの作品は、頭を空っぽにするのに向いている。コンビニで総集編を衝動買いすることもある。
 福岡に引っ越すとき違和感がなかったのは、1年以上通って慣れていたこともあるが、このマンガで長い間「教育」されていたからだ。博多弁や地元の情景や地名になじんでいたおかげで、異郷にきた感じがあまりなかった。九州に対する偏見はまだ私の中にあるが、それを和らげるのにこのマンガがどれだけ役に立ったかわからない。これは何よりも、筆者の博多に対する愛情のおかげだ。毎回出てくる福岡市内の情景、地元の地味だがおいしい店の紹介、観光案内でない人々の生活描写、すべての中にこの街に対する愛情を感じる。福岡のマンガ家といえば小林よしのり氏とか長谷川法政氏なのかもしれないが、福岡の現在を描き続けるという意味でこのマンガ家にかなう者はない。博多を舞台としたマンガを博多で描き続けることの意味を、筆者はよくわかっておられるのだろう。
 父親を交通事故で亡くし、病院の賄いをする母親に育てられ、その中で妹のために料理を作るようになった兄が成長し、"クッキングパパ"として家族をつくって暮らしていく。……というだけのストーリーではないのだが、まず何よりもこの「料理を作るお父さんの魅力」がこのマンガの基本である。家事分担がジェンダーで決められるような単純なものではないことを、おそらく筆者の分身である主人公はわかりやすく証明している。そして料理をつくって誰かと一緒に食べることが、人間にとって最も基本的なコミュニケーションであることをこのマンガは生き生きと表現している。主人公は自称料理バカだが、それは自分だけが楽しむためではなく、誰かのために、誰かと一緒に食べることを楽しむためのものなのだ。それは主人公以外の人に受け継がれ、作品中で多くの人が「料理を作ることで人とつながることの楽しさ、喜び」に目覚めていく。特にクッキングムスコとしてのまこと君の成長ぶりは見事である。これは現実か、あるいは筆者の願望なのだろうか?
 20年以上続いているこのマンガに「料理比べ」や「まずい料理批判」が1回も出てこないのは、"料理をつくる気持ち"にとって比べることに意味がないこと、また心を込めて作った料理にまずいものはないという主張の表れであろう。私もそう思う。高級料理店のフルコースも、家族が作ってくれたさりげないおかずも、なじみの定食屋でおばちゃんが作ってくれるいつものご飯も、人がつくったものを人が食べるという意味では全く同じだ。できあがったものだけを見て何がおいしくて何がまずいとか論評するのは、料理の中にある人間関係を無視しているという1点において無意味なのだ。日本中の、いや世界中の「料理をつくる人」にとって、この主張は大きな心の支えになるに違いない。『美味しんぼ』などと違って主張らしい主張のないように見えるこの作品は、実は強烈なメッセージを持っていて、多くの読者がその主張に共感しているからこそ続いているのだ。
 私はこのマンガのレシピで今までに数十回料理を作ってきたが、一番印象に残っているのは"ポパイシチュー"で、何回もつくってお世話になった。苦労して作ったシフォンケーキもなかなかの出来だった。読者クッキングのレシピも使いやすくて、妻も重宝している。細かい量が書いていなくてつくりにくいこともあるが、私はいい加減な人間なので適当にやってしまう。妻はそのへんが少し苦手で、もう少し量が書いてあるといいのにと言う。私から見ると、筆者が専門の料理家ではないために、かえってわかりやすく説明できている面もあるような気もする。何より上に書いたように「人が人のために作る料理」はそれ自体魅力的で、マンガの流れの中にあることがレシピの説得力を数段上げている。他の料理本に真似のできない「マンガと料理の協同」は、筆者の努力の結晶だ。
 筆者の料理の腕が上がったからだろうが、最近のマンガでは凝った料理が出てくることが多く、あまり自分で作ろうという気にならない。最新刊に載っているフランスパンはとってもおいしそうなのだが、さすがに自分でできるとは思えなくて、仕方がないのであちこちのパン屋で買っては食べている。もしこのマンガが終わるとしたら、レシピがマニアックになって読者がついてこられなくなったときだろう。筆者もそのことはわかっているだろうし、色々工夫しているのも見てとれるが、お節介な読者としては心配である。ゆっくりと進んでいくストーリーの中で、それぞれのキャラクターの行く末も気になる。せめてまこと君が結婚するまでは続いてほしいな……(2006/8/20)


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