理科研究発表会に参加

 近畿科学教育研究協議会研究集会というものがあり、お誘いを受けたので参加した。
 科教協(科学教育研究協議会)という理科教師の全国研究組織があって、その近畿版の研究集会である。実験などの「出店」と講演、そしてレポートの発表があり、今回は実験とレポート発表の2つをやってみることにした。
 塾での発表は何度もやっているが、外部での発表は初めてである。実験の方は持ちネタの多い「光の実験集」にした。
 ・薄いステンレス板を使った「曲がる鏡の見え方」
 ・蓄光シートのはたらきを使った「レントゲンボックス」
 ・ハーフミラーを使った、見えるものがパッと入れ替わるマジックボックス
 ・CDを使ってスペクトル(虹)を見る箱
 ・ブラックライト(紫外線ライト)で洗剤の蛍光増白剤のはたらきを見る
 ・鏡を垂直に合わせた「左右が同じに見える鏡」(中学校の教科書に載っているもの)
 ・偏光板を使った「ブラックウォール」
 ・水槽に貼った紙が見えなくなる「見えるかなボックス」
 ・文字が浮き上がって見える「テレビ石」

 要するに「質より量」だが、見せるだけではつまらないので、1つ1つの実験の説明をつけることにした。画用紙の上半分に実験のやり方を、下半分に実験の説明(理屈)を書いておき、下半分を隠しておいて見たい人だけが見られるようにした。理屈がわからないけれど何となく面白い、というのを避けたかったのだ。こんな感じ;
 レポートは「入試問題から見た理科教育」というテーマにした。公立・国立・私立の入試問題を並べてみて、入試問題のあり方について意見を聞こうという意図だが、塾の発表みたいなものがこういう場所にふさわしいかどうか、自信はなかった。
 2週間くらい前から実験の準備を始め、前夜はほとんど徹夜。当日は朝9時に現場に着き、眠い目をこすりながら理科室の机を1つもらって9個の実験道具を並べた。光のマンガ(これこれ)もコピーして置いておいた。他に実験の出店をしているのは4人ほど。さあどうなるか?

 10時から"お客さん"が来始めた。入り口に近いのでみんなが足を止めてくれる。「説明シート」もそれなりに見ていってくれた。学校の先生らしき人と大学生が多い。ブラックウォールと紫外線ライトが割と受ける。一番つくるのに苦労したハーフミラーボックスもけっこう見てくれて、作り方を聞かれた(いやあ、照れます)。蓄光シートは意味がわかりにくかったみたいで、つきっきりで説明した。用意していたマンガ50枚も(無理矢理配ったから?)全部はけ、2時間はあっという間に終わった。まあ役には立ったかな?
 他の出店は、顕微鏡でのプランクトンの観察、巨大凸レンズ、立体磁力線、ビー玉を使った原子モデル、イノシシの頭骨の販売、尿素結晶などなど。やっぱり一芸を持っている人は強い。理科の教師の強みかもしれない。自分だったらどのくらいのネタを用意できるだろうか。理科実験というのはまさしく「限りのない深み」だということを実感した。

 昼休みの後講演。神戸大の先生が地震について話していたが、眠くて途中でリタイアしてしまった。いい話だったのかもしれないが、こちら側にパワーがないとついていけない。大学とはそういう場所なのだろうが、そうすると今の大学でどのくらい講義が成り立つのか、余計なことを心配してしまう。
 3時からレポート発表。3つの分科会に分かれて行われた。最初の人は全寮制公立高校での理科の授業の話。2人目は公立中学での自然観察クラブの話。どちらもなかなか面白い。パワーポイントを使った発表は初めて見たが、なかなか使えそうだ(この画質ならスクリーンではなしに、大画面モニターを是非使いたいが……)。
 3人目として話した。コピーしてきた入試問題を延々と紹介する。こちらの意見もあまり遠慮せずにしゃべった。が、緊張しているのと話の流れを準備し切れていなかったのがあって、あまりうまくいかなかった。入試問題の評価というか「こんな問題がいいんじゃないか」という話に行きたかったのだが、大雑把な議論に終始してしまったような気がする。欲求不満。まあこんなこともあるかな。
 学校の先生はやはり塾講師とは感覚が違うような気がしたが、だからこそ交流の価値がある。接点を求めていかなければ、生徒のためのいい方向を探ることも不十分にしかできないだろう。そのことはわかっているつもりだが……
 5時半に終了。70人ほどの参加とのこと。大学生の感想を聞く場面があったが、なかなか初々しかった。Yは大学生の頃は教師になる気がまるでなかったので、彼ら彼女らのような「予定としての教師予備軍」の感覚は正直わからない。一長一短なのだろうが、まっすぐにいくのももちろん道ではある。こちらは反面教師くらいにはなれるだろうか。

 官製でない教師の研究会というのは、一昔前と比べて激減している。教師が忙しいというのもあるのだろうが、学校や教育委員会側がサポートしていないという面もある。今回のような企画が数多くあれば、教師がより自主的に学び力をつける機会も増えるだろうが、そういう"自主性"そのものを教師と周囲がどうとらえるかがまず問題である。
 教師がマンネリを是とするか、あるいは周囲が指導要領通りに教える「教育マシン」を望むのか。どちらでもない教師を生徒は望んでいるように思うが、そのことについてどう考え、現実とどう対決するのか。
 このような研究会の少なさの背景には、「教師論」の不在も浮かんでいるのではないか。(2004/5/25)

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