『シルミド』の意味

 『シルミド』という映画を見た。韓国で1200万人が見たという大ヒット作だ。行く前に見た映画評ではもう1つということだったが、お金を払って損という感じはしなかった。
 映画のできはとにかく、韓国の役者さんは表情がいいと思う。戦争映画だからというわけではなく、顔だけでも見応えがある。日本人の俳優と何がどう違うのかわからないが、迫力がよく伝わるので好感が持てる。徴兵制のせいだという意見もあるが、私は韓国人が日本人とくらべて「時代と歴史」から逃げていない(逃げられない)ことが大きいのではないかと思う。
 韓国政府の政策として30人あまりの死刑囚など囚人を無人島に集め、金日成の暗殺部隊として極秘のうちに訓練を施すが、決行直前になって作戦が中止。その後政府の方針転換によって、この極秘部隊は抹殺されることになるが、殺されることを知った部隊は反乱を起こし、大統領に会うためにバスジャックをしてソウルに行こうとする……という話だ。
 実話を元にした映画で、パンフレットには色々解説が書かれていたが、実際のところこの映画のどこまでが史実なのかはっきりしない。ただ映画の最初に「この映画を、国家のために命をかけた……この31人に捧ぐ」というテロップが流れたのが気になった。オープニングクレジットがなかったのも、この映画の主人公が役者ではなく実在した31人の訓練兵であるという監督の意向らしい。33年間政府が隠し続けてきた情報を元にしてつくったというのも、日本ではできそうにない。
 要するにこの映画を作った人は、この実在した特殊部隊の人々を一種の犠牲者としてみているのだろう。部隊の抹殺を決めた政府の要人が官僚的でせこく見えるのも、そういう意味であろう。この映画が韓国でヒットするというのは、何を意味するのだろうか。
 運命を国に振り回される悲劇という見方もできるが、「金日成を殺せば無罪になって英雄になれる」という取り引きにのったところあたりは、どうも共感できない。敵国のボスを殺せば自分たちの罪は許されるのか? もっとも親の罪が子に響く連座制など、死刑囚になった背景も考えれば、そもそも死刑になることが不条理であり、そこから抜け出すチャンスがあるならチャンス自体が不条理でも問題ない(差し引きゼロ?)ということか。しかしもし、たとえば誰かを殺して死刑囚となった者が許されるチャンスを与えられたとしたら、殺された者の立場はどうなるのだろうか。
 軍隊訓練の過酷さ、最後の自爆シーンでの盛り上がり、主人公の母への思い(つれあいはここで泣いた)など、見せ所はあるのだが、やはり私はひっかかり続けた。死刑から逃れるために人を殺そうとし、さらに政府によって殺されることを拒否して指導兵を殺し、最後は手榴弾で自決する。 ……自分は多分こんなふうにはなれん。ここまで命のやりとりを続けることには耐えられん。そんな感じ。
 これは私が日本人で、歴史や時代に直面していないからなのかもしれない。そう考えると、私には本質がよくわからないこの映画が韓国人を感動させるというのは、韓国人の「命」「軍隊」に対する考え方から来ているのかもしれない。
 ともあれ ノってきたつれあいにのっけられて、来週は『ブラザーフッド』を見ることになりそうだ。 (2004/6/22)

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