ピカソのわがまま

 ピカソ展を見に行った。絵を見るのは久しぶり。高校生の頃はよく美術館に行ったが、最近は1年に1度くらいしか見ない。シュールレアリズムが好きなのだが、ダリとかキリコとかマグリットはなかなかかからない(見落としてるのかな?)。
 ピカソは7万点以上の作品を残したというから、生まれてから死ぬまでに毎日2点以上描き続けた計算になる。絵を描くのは食事と同じ、そのまま生きることだったのだろう。
 どうもキュビズムはよくわからん。福笑いを逆にやっているみたい。視覚実験につきあわされているような気分になる。数点あった彫塑が「わかりやすい解説つきキュビズム」のようで見やすかった。今まであまり意識しなかったが、赤の使い方がとても印象的で、形を意識せずに遠目にぼかして見ると「スペイン」の雰囲気がよく見える。
 生活のために絵を描いているという感じがない。見る人の立場になって描いているのではなく、「自分が描きたいものを描きたいように描く」ように見える。文字通りのわがままだ。でも芸術というのはそんなものなのだろう。見る人に媚びるのではなく、いや見る人を意識することさえなく、自分と絵の対決に集中することで、彼は「天才」になりきったのではないだろうか。
 学校をやめて塾の講師になったとき、生徒となじめなくてしんどかった時期があった。かなり悩んで出した結論は「ムリに子どもに近づこうとせずに、授業をつくることに専念しよう」ということだった。人間相手のことはよくも悪くも時間がかかるし移ろいやすい。相手に合わせようとすると自分のペースをつかめない。それよりもとにかく自分の授業と向き合って、生徒でなく"理科"と対決するつもりでやろう、と思った。その時のことを思い出した。
 人間の仕事で一番大切なところは、「わがまま」でないとうまくいかないのかもしれない。学校でも会社でも管理のしすぎがよくないのは、その人なりのわがままを許容しないと結局うまく回らないということなのだろう。他の画家では連想しなかったそんなことを考えつくのは、やっぱりさすがピカソか。……でもやっぱりキリコを見たい。 (2004/6/30)

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