水の跡

 台風の被災地復旧のボランティア(淡路島・洲本)に1日だけ行った。電話で申し込むと「まだ人が足りないので、お近くの人も誘ってください」。地震の方も大変なのだろうが、忘れられてるのかなあ。
 朝早く尼崎駅に行く。若い人が多いかと思っていたが、けっこう年長らしい(失礼)人も多い。ベテラン?らしき装備の人もチラホラ。8時前にバス2台で出発。阪神高速で神戸から明石海峡大橋へ。この橋をこんな時に初めて渡るとは思わんかった。上から見る海はかすかに白く霞んで美しいが、漁師さんにとって今までの歴史を考えると複雑な気持ちになる。
 2時間走って洲本の中心部へ。営業中のジャスコの近くにボランティア本部があり、バスが何台も止まっている。200人くらいの人がボランティアセンターに集まっていた。受付でグループ分けして案内を受けるが、指示する人(コーディネーター)が少なくて大変そうだ。女性の学生さん3人と男性2人で6人組をつくり、窓掃除&泥出しに行くことになった。洲本の中心部を川が流れていて、橋からすぐ河口が見える。このあたりから水があふれたのだろうか。
 15分ほど一輪車を押しながら歩いて、通りから少しはずれた住宅街へ。外を歩いていると被災地という感じはほとんどしないが、よく見ると空き地のセイタカアワダチソウの葉は完璧に泥色だった。一軒目に入れてもらうと、畳が全部はずしてあって床下が見える。床下の泥はもうあらかた取り除いてあるようだ。1階の腰のあたりまで水が入ったそうで、部屋の柱や窓がその高さまで汚れている。頼まれたのはガラスの拭き掃除で、片っ端からサッシと網戸と雨戸をはずして外に出し、家の前の道でホースで水をかけぞうきんがけをする。ガラスふきも面倒だが、窓のさんなどにたまった泥をのぞくのが大変。グループの中の1人がペンキ屋さんで、ハケやはつりでバリバリ作業をするのがカッコイイ(彼はテントに泊まり込んでしばらくボランティアを続けるそうな。やるなあ)。
 隣の家のおばさんも片づけをしていて、「お兄ちゃんご苦労さんやなあ」ずっとここで片づけをしている人たちの方がずっとご苦労さんやのに。向かいの家の片づけをしていたおじさんに少し話を聞くと、「最初はここまで水が来るなんて思いもしなかった。気がついたらどんどん増水していて、2階に逃げるしかなかった。それでもこの辺はまだ水の勢いがたいしたことなかったけど、豊岡なんかは街全体が川の流れに呑まれたんだから、大変だっただろう」とのこと。
 ガラスふきが終わると泥だらけの廊下やフローリングを掃き掃除し、ぞうきんがけをして、なんとか家の中を普通に歩けるようにする。休憩をはさんで3時間弱、体を動かした割に達成感がない。それでも終わって引き上げる時に家のおじさんが涙を流して「ありがとう」と言ってくれた。こんなヤツにもったいないよ。
 2軒目はアパートのゴミ出し。川の近くの古い2階建てアパートの1階に一人暮らしのおばあさんがいた。ここも部屋の中があらかた水浸しになり、タンスやベッドを全部捨てることになった。ベッドは水を含んで、運んでいる途中で傾けると水がボトボト落ちる。タンスは木が水を含んで引き出しが開かず、これも4人がかりでやっと持ち上げて部屋から出す。女性陣は部屋の中の細かい片づけを、男3人は目一杯のパワーでようやく家具を全部出した。片づいた部屋にブルーシートを敷いて、やっと布団が敷けるようになった。おばあちゃん昨日まで大変やったなあ。
 おばあちゃんは昔から洲本に住んでおられるそうで、一段落ついてからたくさん昔話をしてくれた。近所の人に支えてもらっていること、地震の時の思い出、家族のこと…… 周囲と自分のことをうれしそうに話せるお年寄りは、客観的な状況と関係なく幸せに見える。学生さん3人は少し涙ぐみながら聞いていた。
 となりの部屋が開いていて、のぞいてみるとこちらもかなりひどい状況だが、人がいなくてどうしたらいいかわからない。一人暮らしの多そうな狭いアパートで、これから暮らしの立て直しができるのだろうか。
 なんやかんやであっという間に4時になり終了。実質働いたのは2時間くらいか? 準備や移動や打ち合わせが思った以上に時間がかかる。「仕事だとせっかちになるけど、ボランティアだとなんだかゆったりできますね」とグループの人が言っていたが、いいのか悪いのかちょっと複雑。でも久しぶりの肉体労働で足は悲鳴をあげ、帰りのバスでも熟睡だった。これじゃあ誰かのためではなくて、ダイエットのためみたいだ。
 ボランティアは人のための行為ではない。自分のためだと思えなければ、ボランティアは続かないだろう。それにしても今回は自分のため過ぎだった。あれだけお礼を言ってもらったら、また来るしかない……か。(2004/11/6)

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