メリークリスマスって言わないで

 紅白でさだまさしが歌っているのを連れ合いが見て「なかなかいいよ」と言ったので、私も少し見た。『遙かなるメリークリスマス』という曲で、久しぶりに見たさだまさしはずいぶん熱唱していたが、だんだん聴いているのがつらくなって、途中でやめてしまった。
 年が明けてジュンク堂に行ったので、歌集を探して歌詞を読み直してみたが、正直言って私にはよくわからない。歌詞を引用するのはまずそうなので興味のある方はどこかで読んでいただきたいのだが、これが本当に反戦を訴えているのか、本気で「ぼくと君」以外の人々の平和を願っているのか、私には読み取れない。失礼な言い方かもしれないが、あるところで言葉がグルグル回っているように感じる。この歌を聴いて感動する人もいるのだろうし、それを否定する気は毛頭ないが、そういう人たちが現在の「日本人全員人殺し支持者」状態をどう考えるのか、これからどう考え行動していくのか、できるなら聞いてみたい。
 紅白にふさわしくない曲だから歌うべきではなかったという意見もあるようだが、私はそうは思わない。そんな考え方で曲を制限していけば視聴率が下がるだけだろう。めでたい曲ばかり揃えればいいというものではあるまい。むしろもっと"過激"な曲をどんどん出してもらいたい(私から見ると、これほど無神経な曲をそろえた現在の紅白の方がよほど過激である)。さだまさしはこの曲が限界なのか。森山良子はもっとストレートに平和を歌えないのか。"過激"な曲が紅白に出られないのなら、どこか民放でそういう番組をつくれないのか。君が代を編曲して歌った忌野清志郎は出られないのか。泉谷しげるは、加藤登紀子は、こんな大切な時に何をしているのか。かつて『冷たい日本人』をつくった長渕剛には、もう勇気がないのか。坂本龍一あたりが呼びかけてみんなが集まれば、番組1つくらいつくれるのではないか。
 せめて、そんなに簡単に「メリークリスマス」と言わないでほしい。私たちが"殺して"いる人々の多くは、クリスマスと関係がない。アメリカですら、今はメリークリスマスでなく「Happy Holiday」と言うらしい。殺されている人のことを真剣に考えずに「メリークリスマス」と言う資格があるか。さだまさしはイラクで、この歌を胸を張って歌えるだろうか。本気で平和を歌う気があるのなら、何よりもそれを考えるべきではないのか。この歌はなぜ「携帯電話で話す」君にメリークリスマスを歌えているのか。最後のリフレインを読むと、どうしてもそう考えてしまうのだ。 ……えらそうかな。私はまちがっているだろうか?(敬称略)(2005/1/4)

*「アンサー・ソング」の歌詞を書きました こちら

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