年末年始にいただいた言葉

 カウンセラー通いの続いた1年だったが、これからの仕事をどうするか迷っている中で新年を迎えた。何人かの生徒から年賀状やメールをいただいた。
 ある生徒は「先生の思いが未来の先生に届く答えがでるよう祈ってます」と書いてくれた。いい言葉やなあ。未来のために悩むって、考えてみれば当たり前なのだけど、煮詰まってしまうと「悩むために悩む」ようになってしまうこともあって疲れてしまう。今の自分を思うだけじゃなくて、未来の自分を思ってあげるのも大切なんだろうね。ありがたい言葉です。

 年明けに塾に行って、太宰府の合格鉛筆を中3に配った。毎年鉛筆だの消しゴムだのを配っているのだが、なんだかモノでつっているような気もしてちょっとひっかかる面もある。まあ学歴差別に便乗して保護者の方から搾取しているのだから、これくらいはモノで還元してもいいか……なんて思っている。友人にそんなことをメールで書くと、
「(子どもに、)大人になることにあこがれのようなものを持てるようにしてあげられると良いなと思います」
と言われた。ホントに生徒みんなが「オトナになることにあこがれるような子ども」になってくれたらいいなあ。自分は幼い頃色々なことがしんどくて、オトナになったらラクになれる、ラクになれると言い聞かせながらやっていたような気がするが、少なからぬ今の子どもは現在も未来もしんどそうに感じているようにも見える。今の苦しみを解決することも大切だけど、何より子どもには未来に憧れを持たせてあげたい。こんなオトナになりたい、という憧れを持たせてくれるオトナは、私が子どもだった頃と比べて減っているだろうか。ほんのカケラでも、子どもからの憧れを誘うなにかが私にはあるだろうか。

 8ヶ月ぶりに床屋に行った。気分を変えていつもと違う店に行ってみた。ちょっと不機嫌そうなおっちゃんは手際よく仕事をしてくれたが、そろそろ切り終わりという段になって、
 「にいちゃん、何してるの」
 「塾で教えてます」(今はお休み中だけど)
 「今の子どもって、人を殺すことを何とも思ってへんのやろ」
 「………」
 人間はな、自分で生きてるんちゃうで。人に生かされとるんや。わしだってな、こうやってあんたからお金をもらって生きとるし、あんただってお金をもらって生きてるやろ。食べるもんやって着るもんやって住むところやって、全部誰かにつくってもらってるんや。そういうことをもっとわからんならん。わかるか?」
 「………わかってるような気はするんですけど」
 「わしはな、夜中にいつも反省するんや。心の中を静かにして、自分がどうやって生かしてもらっているか反省するんや。昼間は仕事があって忙しいからいかん。にいちゃんもやってみいや」
 「……はあ」(もう終わってるんだから、いい加減解放してくれ〜〜)
 一見さんにここまで言うんかいな、と少しウンザリしながら聞いていた。言っていることはわかるんやけど、いきなりここまで言われたらなかなか納得できないよ。彼は心理学をずいぶん勉強したと言っていたが、どういう話し方が説得力があるか勉強したのかな。
 生かされているという感覚はもちろん大切だと思う。夜中にはあんまりやる気がないけど、反省するのも必要だ(しないとねえ)。わかるのに、こんな状況で言われてもいまいち心に響かない。

 言葉の力というのはあるのだろうが、私にとっては言葉は人間そのものから聞こえるものだ。生徒からのこの言葉が心に響くのは、この子が私を信頼してくれているからだ。友人の言葉に納得できるのも、この友人が教師としての仕事を応援してくれているからだ。床屋のおっちゃんの言葉がどんなにすばらしいものでも、人間としての彼を私はまだ信頼しきれない。言葉の力は、言葉そのものの説得力と、その言葉を発する人間のありよう(関わり方)によって決まるのだと思う。教師もまったく同じ。子どもに信頼されなければ、どれだけ準備していい説明を考えても、授業の力は半減してしまうだろう。そんなことも改めて痛感した。……教えてくれたおっちゃんにもお礼を言わなきゃね。(2005/1/12)


つれづれ 一覧に戻る

最初に戻る

inserted by FC2 system