人を看取るということ   前回の続きです

 2月14日に入院したおばあちゃんは、インフルエンザとガン性胸膜炎を併発して息が苦しそうだった。1週間ほどでインフルエンザが治り少しラクになったが、胸水は抜いてもまたたまるのでどうしようもなかった。妻は入院した時にある程度は覚悟していたようだが、春まではいけるだろうと思っていた(思いたかった)ようだ。少しでもラクになるように体位を替えたり、看護師さんに何度も吸引を頼んだりしていた。担当のお医者さんは肺に直接抗ガン剤を入れるつもりだったが、私は同じように胸水で苦しんだ父のことを思い出して複雑だった。抗ガン剤の副作用を背負ってまで、これ以上命を延ばすのは、おばあちゃんにとってどうなのか…… 抗ガン剤はやめた方がおばあちゃんのためではないかと私は妻に言ったが、妻はなお命が延びることを信じているようで、迷っていた。
 そんな話を妻とした日の翌日、入院して2週間目の日曜日の夕方に、病院の妻から電話がかかってきた。「今おばあちゃんが亡くなりました」
 半ば覚悟はしていたが、思ったよりあっけなくその時が来てやはり驚いた。医師の予定通りなら月曜に抗ガン剤を入れるはずだった。おばあちゃんは抗ガン剤をいやがったのかな。
 100年住んだこの家でお通夜も葬儀もするということで、葬儀の場所を空けるために親戚の人と障子やら本箱やら荷物を運んで一息入れた頃、妻が病院から30分自転車で走って帰ってきた(事故に遭わなくてよかった……)最後は呼吸が不安定になって、あくびをした後だんだん息が弱くなっていったとか。体力の限界だろう。夜中にひとりぼっちじゃなくて、妻が看取ってくれていてよかった。おばあちゃんがんばったね。
 家に帰ってきたおばあちゃんは、寝たきりになってからのしんどそうな表情がほぐれて、随分楽そうになっていた。前から固まっていた手足は曲がったままだったが、水がたまって痛々しくむくんでいた手は少し元に戻っているようにも見えた。仏間に寝かせられたおばあちゃんを見つめて、妻は時々涙ぐんでいたが、半ば感情が消えてしまっているようでもあった。荷物を運び込んでゴチャゴチャの部屋で、2人でこたつで寝た。妻は「おばあちゃんはしんどかったかなあ」と何度も言う。
 葬儀場の準備で足が張った次の日はお通夜で、夕方頃から本格的な準備が始まり、久しぶりに喪服を着た。お棺に入ったおばあちゃんは薄化粧をして落ちついた表情に見えた。近所の方も手伝いに来てくれて大がかりな儀式だったが、1時間くらいで終わり。おばあちゃんがこの家で過ごす最後の夜、おじさんも泊まっていたが、妻は夜中に何度も起きておばあちゃんの顔を見に行っていた。
 葬儀も準備が大変だった割には短時間で終わり、出棺。棺に花を埋める。妻は何度も「おばあちゃん」と呼びながら涙にむせった。こちらも思い切りもらい泣き。もうおばあちゃんの顔が見られない……  言葉が交わせなくても、一緒に過ごした時間の重さは、同じように心に響くのだろうか。違うのだろうか。
 焼かれたおばあちゃんの骨を、斎場の人がひとつひとつ説明する。ここが膝の骨、ここが肩、ここがノドのどこそこ。……それがなんなんだ。骨は人じゃない。骨はもうおばあちゃんじゃない。骨は……アリバイにもならない。
 自分の母の墓で、母の骨を見たことを思い出した。もう何十年もたっていて、母の骨はほとんど粉々になっていた。母の記憶を持たない自分にとって、それは実験用の石灰粉と区別のできない不条理な物質だった。これはいったい何だ。死んだ上に姿まで変えて記憶を掻き消そうとするのか。骨なんていらない。ニセモノなら全部消えちまえ。
 初めて会う親類もたくさんいて、苦手な儀式の連続で正直随分疲れたが、とにかく妻を見ていなければいけない、妻の側にいないと……と気持ちだけは思っていたのに、結局眠気には勝てなかった。葬儀が終わって片づけている途中もバテて自分の部屋に引っ込んだり、お通夜の夜もおばあちゃんに寄り添う妻をほったらかしにして眠ったりしていた。つくづく情けないやつだ。現状を反映しとるなあ。
 人がいなくなることの重みは、いなくなった後で少しずつ少しずつ出てくるものだと思っていたが、20日たった今、妻はあまり変わらない。外で友人と会ったり長電話をしているが、家にいる時の様子はさして以前と変わって見えない。おばあちゃんの好きだった『青葉茂れる桜井の』をよくCDで聞いている。一日に1回は仏壇を拝む。でもあのおばあちゃんの介護から解放されて、生活のパターンが変わったのかというとそうでもない。生活が変わっていないことそのものが、もしかしたらおばあちゃんとの長かったつきあいから離れられていない証拠なのかもしれない。
 親も親代わりもいなくなった夫婦2人、これからどうやって生きていくのか、大海に出てしまったような気持ちも少しある。私の大切なつれあいさん、よろしくお願いします。(2005/3/19)


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