引っ越しの地理学

 福岡に引っ越しをすることになって、転居先の目当てをつけるために市街地を歩き回った。地元に知り合いもいないし土地勘もなく、まるっきり手探りだ。通うのが博多駅の近くなので歩いて届く距離で探したいのだが、ゼイタクな望みだろうか。
 福岡市の繁華街は博多駅周辺と天神近辺が中心で、博多駅の回りはさすがににぎやかだが、少し足を伸ばすと古い町並みや庶民的な商店街がある。私の知っている大阪(梅田)も京都も神戸も、駅の近くにそんな場所がある。駅前の町のでき方というのはたいてい共通点があるのだろう。スーパーやコンビニが便利なのはわかっているが、自分の好みだけで言えば、そういう便利店のない、時間の重みの残っている町にも住んでみたい。
 ……などと考えながら不動産屋に行っていくつかあたってみた結果、駅の東側の大通り沿いのアパートに決まった。古い町というわけではないが、少し足を伸ばせばそういう町や商店街にも行けるし、特段不満はない。最後は妻に決めてもらったのだが、私はそのアパートの横の敷地の小さな畑にひかれた。街中に畑がある光景というのは、今住んでいるうちと同じだ。似たようなものに魅力を感じるのだろうか。
 新しく引っ越してくる人に対して「街の紹介」をしているような情報が、あまり見つけられない。観光ガイドとかグルメマップとか行政関係のガイドは容易に見つかるが、生活に根ざしたそれぞれの街の特徴・長所短所などを記したものは見たことがない。天神の大きな本屋に行って探してみたが、福岡の歴史や山笠についての本などはあっても、引っ越しの参考になるような福岡紹介の本は見当たらなかった。
 ネットで探してみると「九州掲示板」というのがあって、引っ越してくる人のためのあちこちの情報が書いてあった。不動産屋さんもそれなりに詳しく説明してくれた。これらはもちろんありがたいのだが、まだもう1つ物足りない。長い間その土地に住んできた人の実感というか、生活全体を通した住み心地というか、商売や自慢抜きの率直な感想を知りたい。そういうまとまった情報なら、ネットより本の方がありそうなのだが…… やっぱりそんなのゼイタクか。
 自分の望みばかり書いているのもわがままなので、11年住んできた大阪市東淀川区東南部の紹介を書いてみよう。

 大阪市の東北端で、淀川を渡れば守口、北に自転車で20分走れば摂津や吹田まで足が届く。内環状線は渋滞が多いが、うまく流れれば梅田まで車で20分くらいか。阪急の駅があるが、乗降が多い割に各停しか止まらないのは少々不便だ。うちから自転車で阪急の駅まで15分、川の向こう側の地下鉄まで15分、もう少し向こうの京阪まで20分足らず、JRは阪急から乗り換えるか自転車でがんばって25分。新大阪まで自転車で30分ちょい。非常に近い駅はないが、どこに行くにも不便ということはない。地下鉄の新しい路線が2年後に通ってすぐ近くに駅ができるのだが、それほど劇的に便利になるという感じはない。
 もともとは農村で、昔は3キロ向こうの阪急の駅がうちから見えたのだそうだ。私が来た11年前にはカエルの声が聞こえたが、今はもうほとんどいない。水田や畑がどんどんなくなり、マンションやアパートが次々と建っている。それほど人口が増えている感じはない(東淀川区全体ではここ数年微減)が、大阪の中ではベッドタウンに属する方ではないかと思う。地下鉄開通をあてこんで地上げをしている節もある。
 私の家からは近いスーパーが2つあり、歩いていける。生協もあるのだが客足が悪いらしく、もうすぐ閉店するかもしれないということだった。もっと買えばよかったかな…… コンビニは大通り沿いにくどいほどあり、足を伸ばせばダイエーとかイズミヤもある。妻は守口の京阪百貨店によく行っていたが、自転車ならせいぜい20分、十分便利だ。その代わり古い店が年々少なくなっている。家の近くの薬局も文具店も雑貨屋もなくなった。スーパーの近くの魚屋も肉屋ももたなかった。川向こうには土居商店街や有名な千林商店街があってまだ随分にぎやかだが、こちら側では古い店がうまくやっていくのはかなりしんどそうだ。
 大学が近くにあるので、学生向きの食堂があって重宝している。外食の多い人間にとって、お腹いっぱい食べられる定食屋ほどありがたいものはない。ファミレスもあるし、シェフがやる気満々でパスタの美味しい店もある。焼き肉屋と寿司屋が異常に多いが、あまり行ったことがない。
 淀川河川敷は広くて、ちょっとしたスポーツにも散歩にも昼寝にも人が集っている。季候がよくなるとバーベキューの人でにぎわい、キャンプしているのも見る。子どもが遊ぶにはもってこいの場所なのだが、堤防沿いの道が危なくて小さい子どもが河川敷に行くのはほとんど不可能だ。少し歩くと城北公園がありお花見にはよい場所だ。ワンドにはイタセンパラがいると言われていて、釣り人が絶えない。下流に歩いていくとホームレスの人のテントがチラホラ見える。雨とか降ったらきついだろうな。せめてもっといい場所にいられないのかな……
 大通り沿いは夜でも明るいが、裏道に入ると危なっかしい場所もある。大阪はひったくりが多く、数年前妻も自転車に乗っていてカバンを盗られた。大阪の他の町と比べて犯罪が多いという話は聞かないが、マンションが増えていることもあって隣近所のつきあいが盛んではなくなっているのがこわい面もある(私自身近所づきあいは全くしていない)。数年前までは暴走族がかなりうるさくてパトカーと鬼ごっこを続けていたが、最近はあまり聞かなくなった。
 病院はそこそこある方で、あんまり評判はよくないが入院はしやすいI病院、少し遠いが患者さんへのケアがすぐれているので有名な淀川キリスト教病院など。高校は公立が近くに1つ、川向こうには私立の大工大付属校(ラグビーで有名)、もう少し足を伸ばすと淀川工業(ブラスバンドで有名)。塾は大手では類塾、他にも地元塾や個別指導がいくつかあって、電車に乗らなくてもたいていなんとかなる。図書館はうちから自転車で25分、やや遠い。自習はできないが、本はまずまずそろっていて悪くない。隣の吹田市まで行けば自習室のある図書館もあるが、山の上であり車でないと届かない感じだ。私の好みからこのへんを見ると、楽器屋がないのが一番不満だ。
 私がここに住んできて一番感じるのは、都会と田舎の奇妙なバランスだ。都会の便利さと「元」田舎ののどかさが混じり合っていて、慣れると住みやすい。しかし本物の街の便利さや田舎の自然はないから、そういうものを求める人には不向きだろう。こういう中途半端な場所は日本中にたくさんあるだろうから、ある意味では他所から来た人にとってはなじみやすいかもしれない。

 こんなところかな。改まって書くと難しいなあ。生活の眼という意味では私より妻の方が鋭いだろうから、引っ越す前にこの土地の話を聞いてみようか。(2005/8/9)

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