どちらに座るべきか

 夕方電車で仕事先に通っている。4時台のJRは高校生でいっぱいだ。座席でなく通路に座り込む高校生やら、車両の連結部で座り込んでご飯を食べる高校生やら、なかなかすごい。こういうのはおそらく福岡も大阪も同じなのだろうが、大阪の電車には「床に座らないでください」という表示はなかったような気がする。
 自分も行儀のいい人間ではないが、さすがに電車の床に座ることはないし、そういう子どもを見て気分がいいとは言えない。注意しようと思うのだが、どう言ったものかわからず躊躇してしまう。(……勇気がないのかな?) 混んでいるときに床に座り込むのははっきり迷惑になるが、外見以外で迷惑になっている要素がない場合には、どういう言い方がいいのだろうか。「みっともないよ」と言ってみたところで、本人にそういう価値観がなければ意味があるように思えない。彼ら彼女らは、疲れているからとかではなくむしろファッションとして座っているようにも見える。そういう子どもを説得するにはこちらもそれなりの価値観を持ち出し、その価値観に論拠(魅力)のあることを証明しなければならないだろう。それだけの「確信」が自分にあるか? 他の誰も子どもに注意しないのは、注意できるだけの自らの価値観に対する確信を持ち得ていないからではないのか。
 考えてみると、お年寄りを押しのけて席に座るより、年配の人に席を譲って床に座る方がマシなのかもしれない。私は一応「自分より年上に見える人が来たら席を譲る」というルールを勝手に決めているが、それでも100%いつでも譲っているかというと心許ない。座席に座りながら床に座っている高校生を見ていると、むしろ私が彼ら彼女らから席を譲ってもらっているような気になって、注意するのがまちがっているようにさえ思える。
 年長者に対するモラルとして考えた時、座席に座るのと床に座るのはどちらがよりマシなのだろうか。マナーとモラルは違うが、どちらを優先させるべきかと聞かれたら私は「モラル」だと答える。見かけがどうであろうと、人への思いやりを表現し行動できる人は魅力的である。高校生諸君にそのような意識があるかどうかはわからないが、少なくとも当然のように座席に座ってカバンを横に置く高校生や、おそらくその見本になっている似たようなオトナよりは、床に座っている子の方が結果的にモラルを持っていることになる。
 思うのだが、高校生が床に座るのを注意するためには、健康なオトナが座席に座っていたのでは無理なのではないか。自分がラクな思いをしながら他人を注意するのが、今の高校生に通用するとはとても思えない。たとえばオトナの方が「疲れているんだね、座ったら?」などと言って座席を譲ったらどうか。あるいは電車にピクニックシートでも用意しておいて、「座るんならこれを使ったら?」と言ってみる手もあるだろう。おそらくほとんどの高校生はこれで立つだろうが、子どもの教育として考える時それだけで問題が解決するとは思えない。最も本質的な解決法は、まわりのオトナがより完璧なマナーやモラルを示すことだ。座席を譲るべき人に譲らないで平気で座っている大のオトナ、禁煙エリアで平気で吸っているオトナ、そのようなオトナに注意もできないオトナ、モラルもマナーもなっていないこのような人たちの「再教育」が先だ。高校生たちはその時を待っているのだ。 (2005/9/27)


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