矢野選手の笑顔

 阪神ファンになったのは新庄がデビューした13年前だった。亀山や新庄の活躍はたしかに新鮮だったが、当時の阪神は(1992年を除けば)それくらいではビクともしないほど弱かった。負けることは当たり前で勝てばそれだけでニュース、監督交代が1年の最大の話題という悲しい年もあった。若くこれからの選手である関川と久慈をトレードに出した時も、チームのためというより監督延命のための目先の処置にしか思えなかった。
 トレードでやってきた矢野捕手はよく打つがどこか地味な選手で、リードも素人目にはそれほどいいと思えなかった。阪神の選手となじめず苦労したという話も後で読んだが、プロ野球選手にしては気遣いが過ぎる人に見えた。素人の私には、よいキャッチャーとはぐいぐい投手をリードし引っ張るものだという先入観があり、だから「ぼくは投手にできるだけ自分の考えを持って欲しいんです」と言う矢野は、いい人なのだがプロのキャッチャーとしてはどうかなという気持ちがあった。
 しかし戦力が整い阪神が強くなるにしたがって、矢野の顔つきは変わってきたと思う。試合に勝った時の笑顔は普通ではなかった。チームが勝つためにどれだけ全身全霊を込めているか、チームの勝利をどれだけ喜んでいるか、彼は全身でその気持ちを表現するようになった。いつか私は、試合に勝った時の矢野の笑顔を見るのが一番の楽しみになった。個人成績にほとんど関心を示さず、ひたすら投手とチームの勝利のために尽くし続ける矢野の姿は、チームスポーツ選手としての1つの理想形である。選手の勝ちたい思いを誰よりも表現しアピールし続ける彼を見ていると、他の選手がどれだけ活躍しようが「阪神は矢野のチームだ」としか思えなかった。2年前優勝したときに、無理だと思いつつも彼にMVPをあげてほしいと思ったのは、おそらく私だけではあるまい。
 プロスポーツの楽しみ方として、個々のプレーや個人記録を見るのはもちろん大きいだろう。しかしスポーツの本質が勝利を目指すものである以上、勝利のために貢献し勝利を喜ぶことはスポーツマンとしての第1の資質であり、その資質を見せつけることで、選手はファンに感動を与えることができる。矢野は私にそのことを教えてくれた。彼がどうやってその「資質」を身につけたのか、誰かぜひきちんと取材してもらいたいと思う。それはプロ野球だけでなく、子どもにスポーツの楽しさを教える時の根本的なテーマでもある。教師も彼から学ぶべきなのだ。
 今年も優勝の瞬間、矢野はとびきりの笑顔を見せてくれた。これからしばらくは阪神の強い時代が続くのかもしれないが(……そんなにうまくいくと思わないのが阪神ファンの伝統だとも思うが)、残り少ない現役生活の中で、矢野の笑顔が消えたりマンネリにならないことを心から願う。プロスポーツはアクロバットではなく、人間の思いを技術の中で表現するものだから。(2005/10/9)


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