九条の会の講演に行く

 福岡は大阪と比べると市民運動のイベントが少ない。情報を見ていると、明らかに東京や関西など都市圏で集会が多い。このような面にも「地方格差」を感じる。行政の話ではないのだから何とかならないかとも思うが、実際には難しい面があるだろう。これ以上田舎に行ったらナンニモナイ状態になりそうだ。人に頼るのがいけないのかな。
 九大同窓生九条の会と六本松九条の会(六本松は九大教養部のある場所なので、こっちも九大がらみか)の共同主催の集会に行った。地下鉄で藤崎まで20分、降りてすぐの早良市民センターで2時から集会が始まった。妻と一番後ろの席に座る。お年の方が多いようだった。
 最初は岩上栄治さんという人の歌。長崎生まれで被爆二世だと言う。正直あまりうまい歌ではなかったが(マイクセットをきちんとやってほしかった)、これから始まる講演の景気づけとしては悪くなかった。
 メインの講演は九条の会代表世話人の東野利夫さんという人。産婦人科のお医者さんで、ペンクラブの会員でもあるという。大正15年生まれの方で、終戦直前に九大医学部で医学助手をされていた。昭和20年5月に起こった「九大生体解剖事件」を目撃し、その記録を『汚名』という本にして出版された(買ったがまだ読んでいない)。

 終戦直前の昭和20年4月、熊本と大分の県境あたりで、空襲に来たB29が日本の戦闘機によって被弾し墜落し、12名のアメリカ兵が捕虜となった(うち1名は自殺)。収容所に入れる余裕がなく、政府軍は「適当に処理せよ」という命令を出した。捕虜は九大病院に連れて行かれ、そのうちの数人は人体実験の材料となり、数人は抜血して殺された。後年「九大生体解剖事件」として問題になり、関係者は裁判にかけられ20人ほどが有罪になった(大半は朝鮮戦争時に釈放)。
 人体実験というのは、たとえば片肺を取り除き「片方の肺だけでも人間は生きていける」ことを教授が見せたり、血管を押さえて血流を止め一度心臓を停止させてからマッサージをして蘇生させたり、当時代用血液として考えられていた海水を「輸血」したり、というものだった(担当教授は事件後自殺)。殺虫剤の材料として肝臓を切り取り持ち帰った人が、人肉試食をしたのではないかと疑われたりした。捕虜は何が起こるのかもちろん知らされなかったが、「universityに連れて行く」と言ったら安心していた、ということだった。まさか大学で殺されるとは思わなかったのだろう。
 アメリカ兵は空襲の帰りに襲われて撃墜されたので、要するに日本人を殺した敵である。当時は本土決戦が叫ばれていたので、もしアメリカ軍が本土に上陸してくれば、捕虜は足手まといどころか敵のスパイになりかねない。そもそもその頃の日本に捕虜を同じ人間として扱うという発想もなかったはずだ(アメリカ軍がイラク人を「人間」と思っていないことと共通している)。それらの事情を重ね合わせれば、裁判にかけずに捕虜を殺すこと自体は、当時の日本として特殊なことではなかっただろう。問題は大学の医学部が関わったこと、人体実験という「残虐」な行為を行ったことなのだろう。
 東野さんは「戦争は人間をキチガイにする」と言われた。軍がすることをすべて正しいと思い(思わされ)、戦争時でなければするはずのない行為を平然とやってしまう、そのことが戦争の恐ろしさを示している、と。この事件は九大にとっては汚点であろうが、九大の50年史にも100年史にも反省を含めた記述がないという。これから九大を受ける私の教え子にも、少なくとも入学するまではこの事件について知らされる機会はほとんどないだろう。そういえば731部隊に協力した京大医学部の「汚点」はどうなっているのだろうか。今まで気がつかなかった。
 東野さんの恩師である平光吾一教授は、教室を貸したというだけで重労働25年の刑を受け、釈放後も大学から追放され、事件について無念をにじませながら一生を終えた。『汚名』はそもそも恩師の冤罪を晴らすために書かれたものである。平光教授の汚名を晴らすのはいい。しかし何よりもそのように戦争に協力した人々すべての「汚点」はどうなるのか。アメリカの都合で朝鮮戦争時に釈放された人たちは、釈放されたことを恥とは思わなかったのだろうか。講演が終わったとき私はそれを聞きたかったが、うまく質問が浮かばなかった。
 質疑応答で時間があったので、それでもいつものでしゃばりで聞いてみた;
 「軍隊がなかったら、もし攻めてこられたときに殺されるだけだ、という意見がありますが、そのような考え方についてどう思われますか」
 「ペンクラブの人たちの中には、『殺されても(仕方がないから)殺すな』という人が増えてきているようです」というようなお答えだった。
 「今日本は実際に戦争に参加しています。私たちが事実として人殺しであることに、もっと私は真剣に向き合いたいのです。生活の中でどんなことができるとお考えですか」
 「あなたは教師なのですね。教育の力は大きいです。戦争のことをたくさん教えてください。大岡昇平の『捕虜記』などを読ませるといいですよ」最後はこちらも東野さんも、少しムキになっているようだった。言い過ぎたかな。
 東野さんのお答えの後で別の方が「イラクの自衛隊は1人も殺さなかったし、殺されなかった。これは9条のおかげです。だから9条を守らなければならないのです」と言われた。きつい言い方をした私をたしなめているようにも聞こえた。たしかに9条が人の命を守ったことは事実だ。しかし前に書いたように、本当に自衛隊が殺して・傷つけていない証拠は何もない。考え方が甘いのではないか、というのは、こちらがきつすぎるのだろうか。
 殺されてもいいから殺さないというのは、覚悟としては立派である。しかしたとえば自分の家族が子どもが殺されるとしたら、「殺されてもいい」と言えるのだろうか。普通の人はおそらく耐えられまい。
 しかし私は自分の中に「自分が殺されても教え子が殺されても悲しくない」という、悟りでも覚悟でもない異様な冷たさがあるのを感じる。父が死んでも友人が死んでも私は悲しくなかった。私自身何度も死のうとしてきた。もちろん実際その時になれば違う感情もあるだろうが、「殺されても殺すな」と言い切るためにはそのような病的とも言える「冷たさ」が必要なのではないか。そのことをどれだけの人が突きつめて考えているのだろうか。息子さんが医院を継がれているという東野さんご自身はどうなのだろうか。
 実際には9条をなくす(軍隊を認める)方が「殺される」可能性も大きくなるので、要するにそのことを多くの人に広めるしかないと思うのだが、その理論づけやわかりやすい説明について追求するのが、9条の会の最も大きな責任であろう。
 東野さんは「大きい組織はつぶされるから、作らない方がいい。個人がいざというときに投票で行動できるようにしておいた方がいい」とおっしゃっていたが、組織の是非はとにかく宣伝は必要である。一番気になったのは、若い人がほとんどいなかったことだ。集会が終わった後で妻が「若い人のご意見を聞かせてください」などと聞かれていたが、私や妻が若い人代表になるようでは話にならない。九大同窓会なら学生を動員することはできないのだろうか。法政大学のように、学内で宣伝をすると逮捕されるという恐れもあるのだろうか。学生にこのような集会に来る気がないというのなら、その原因も真剣に考えるべきだろう。
 ……などということを考えながら帰途につき、博多駅でスパゲティとオムライスのはしごをした。何も考えなくても生活をそれなりに楽しめる、私たちは恵まれている。資源のないこの国が軍隊を本格的に運用しようとすれば、人と金を犠牲にするしかないことは明白だ。実際に戦争が起こらなくても、9条が変われば生活の様々な部分が変えられ、「軍のすることはすべて正しい」(と言わないと迫害される)世の中になるだろう。憲法を変えようというのなら、改憲によって起こる不利益についてきちんと説明し、責任をどうとるか言明するべきだ。そうでなければ「お上のすることに口を出すな」という封建主義と同じだ。(2006/8/1)

 『汚名』についてはこちら

つれづれ 一覧に戻る

最初に戻る

inserted by FC2 system