夜の波

 ここ数年花火を見なかったが、今年は塾の近所の花火大会につれあいと出かけた。「福津市納涼花火大会」というもので、海上花火が見どころだという。
 香椎から西鉄宮地岳線に乗って行くと、途中からどんどん人が増え押すな押すなの満員になったが、福間であらかた降り、終点の津屋崎ではそれほど人がいなかった。近所に住んでいる先生のアドバイスで、最寄りの福間ではなく津屋崎で見ることにしたのだが、正解だった。駅から歩いて砂浜に出るとここでも人がいっぱいだったが、広いのでよく見える場所を選んで座れた。妻と2人で砂浜に座って1時間半近く花火を見た。
 海の上で打ち上げられる花火の光が海面で照り返すのが美しい。爆発音が海上を飛んで、反対側の宗像の山に反射して返ってくるのが面白い。満月には少し足りない月と暗い海と花火の取り合わせは、他ではなかなか見られない光景だった。おっちゃんが3人ほど海に入って、温泉に浸かるように花火を見ていた。おぼれたらどうしよう(あの人たちを助けられるやろか)などと余計なことを思った。
 私はずっと、水の近くで暮らしてきた。何度も引っ越しをしたが、川の近くから離れたことがない。大学の卒業研究は夜の清滝川でゲンジボタルを追いかけた。胴長をはいて夜の川の中をひとりで歩くのはこわかったが、他の人には味わえない不思議な感覚を得た。大学院では琵琶湖のほとりで勉強した。実験所の近くに砂浜があって、夜ひとりで座って波を見ていたことが何度もある。湖の波は静かで、私を招き入れようとするようだった。研究することの意味を考えて結論を出し切れなかった私を、慰めながら距離を置いて見つめているようだった。学生時代に何度か行った和歌山の白浜でも、夜の浜辺は印象的だった。ウミガメの産卵を息を潜めてみていたこともある。夜の海は、昼間に見るよりも水が近くにあるように感じる。暗い水は死の誘惑を込めて誘っているようにも見えた。
 こうして久しぶりに夜の波を見つめていると、やっぱり海はあの頃と同じ顔に見える。感受性の鈍っている今の私の心には、新しい感動はさざめいてくれない。感傷に浸るのが嫌いなのは義母や父の刷り込みの結果で、だから昔を思い出すことを避けるのがイヤなのだが、風景を見て過去の記憶しかよみがえらないというのでは、年齢と関係なく「老人」の証拠のような気もする。私は生まれたときから老人だったわけではないけれど、中学生の頃にはすでに老いていて、そこから若返りと老化を繰り返してきた。それが自分の意志でできればまだいいのだが、意志ではコントロールできない何かの流れのせいで感覚が振り回されている部分を感じる。それは意志薄弱の証明なのか、ある意味で人生の中の「変身」を楽しんでいるのか、病気の症状の波なのか、よくわからない。おそらく死ぬまでわからないだろう。
 帰りの電車では疲れて寝てしまったが、それはあの波が私を「老人」にしてしまったからなのかもしれない。いっそ波の中に沈んでしまいたかった。そこから抜け出して、明日の授業の準備に思いをはせるのは、考えようによっては逃避にも思えた。こういうのはロマンとは言わないだろう。名前をつけて余計な修飾をする気にもなれない。ただ 今を生きている意味だけは、言葉にできなくても感じていたい。そうでなければ、波の誘惑に勝てるとは思えないから。(2006/8/8)


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