リハビリの楽園

 7月に首を打って頸椎骨折で入院している高3の生徒のお見舞いに行った。

 博多から飯塚まで快速で40分。駅からそんなに遠くないと聞いていたのに、地図を見ると随分距離があり、バスも本数がないのでしかたなく歩いた。
 「青春の門」で有名な街を見てみたいというのもあったが、カンカン照りの昼間に1時間以上歩くのは暑くてさすがにこたえた。
 車はかなり多いが歩いている人はあまりいない。見た目には街道沿いの風景もそれほど個性的には見えない。周囲は山で市街地は盆地になっていて、ボタ山とおぼしき小さい山が近くに見える。「財政難の飯塚に市会議員85人は多すぎる!」という貼り紙があちこちにあった。福間にもこんなのがあったような……

 街道沿いにどんどん歩き、九州工業大のキャンパスからさらに郊外に出たところに「せき損センター」があった。脊髄損傷患者の手術からリハビリまでを一括して行う、全国でも有数の施設である。入り口に大きな池があり、病院構内はかなり広い敷地で静かだ。

 私が訪れたとき彼はリハビリ中で、作業療法室で体を動かしていた。事故直後は退院まで1年以上かかるだろうと言われていたが、1ヶ月少ししかたっていないのにもう随分元気そうだった。
 1つまちがえば半身不随という大事故だったのに、もう下半身はかなり回復していて、ゆっくり歩くこともできる。手の神経がまだ回復していないので握力が出ないのだが、お箸で積み木をつまんだりバンテージを巻いて重りを持ち上げたり、素朴な道具だが色々メニューがあって興味深い。1日5時間ほどリハビリをしているという。
 11月中旬までに復学できれば現役で高校を卒業できるとのこと、「今のまま順調にいけば間に合います」と彼は目を輝かせて言った。勉強する時間はまだほとんどとれないということなので、いっそリハビリ用の積み木に化学式を書いたりとか、受験生用リハビリ用具を作ってみようかとも思う。作った頃には積み木は卒業しているだろうけど……

 リハビリをしている彼と3時間ほど話したが、その間にも大勢の人がリハビリに汗を流していた。理学療法士(PT)や作業療法士(OT)の人が忙しくあちこち見て回っては、作業の指示をしたりマッサージをしている。
 PTの人とも少し話した。こちらが塾講師だと言うと「子どもが本を好きになるようにするにはどうしたらいいんでしょうね」などと、唐突にお母さんの顔になっておっしゃる。読み聞かせをしたらどうですか、と言うと「ウルトラマンや仮面ライダーの本ばかり読みたがるんですけど……」「最初はどんなジャンルでもいいんですよ。中学生になってもウルトラマン、なんてことはないでしょう」などといい加減なことを言ってしまった(多分そうだと思うんですけど)。

 甘えん坊の彼はみんなからかわいがってもらっているらしいが、彼はこの病院でリハビリや治療以上に、人間について「猛勉強」しているようだった。
 私にも覚えがあるが、リハビリのつらさやそれを乗り越えることの充実感、そして周囲の患者さんやスタッフの姿を見て、どれだけ励まされ学んだことか。そしてそのような彼を見て、塾や学校の友人そして私たち教師がどれだけ励まされることか。前日訪れたという塾の友人たちは、驚異的に快復していく彼の体と比べて、自分たちの成績が快復しない?ことに焦ったのではないか(がんばるんだよー。見てるからね)。

 リハビリテーションは簡単な作業ではない。スタッフには技術も知識も経験も必要だし、何よりも患者さん自身の根気と努力が重要だ。うまくいかないことも多いだろうし、挫折もあるだろう。スタッフは日々色々なご苦労をされていることだろう。
 それでもなお、人間が進歩する可能性を求めて精一杯努力することが認められ、そのことが最大の目標とされている場所は、一種の「楽園」だと思う。私の教え子を含めた多くのPTが、過酷な労働条件の下でもいい仕事をしようとして努力しているのは、そのような人間の進歩を支えることに誇りを持っているからだろう。

 一橋大学の商学部に入りたいと言っている彼は、ホリエモンみたいに大儲けするかもしれない。「もし君が大金持ちになったら、こういう病院にいっぱい寄付しなきゃダメだよ」とからかって言うと、さっきの主任PTも「そうだよ、ここもつぶれるかもしれないんだから」と少しだけ真顔で言われた。
 もともと労災病院であったせき損センターは現在は独立行政法人であり、国立大学と同じように"倒産"の可能性もある。さらに4月からのリハビリ期間短縮措置によって、長期のリハビリが不可能になる患者さんも出てきているはずだ。この病院の患者さんにとってはリハビリ期間短縮は特にこたえるだろう。これも小泉政権の構造改革のタマモノだ。
 しかし病院だけでなく医用工学研究部門、さらに雇用支援のための施設など、体に傷を負った人にとって恵まれた先進的なこの環境をつぶすのは、まさしく日本の恥である。「愛国心」を持った人が多額の寄付をすることを期待したいが、そのような政治家や財界人はいるのだろうか。地元の大金持ちである麻生外務大臣は何かしているのか?

 帰りはうまくバスに乗れて、あっという間に新飯塚駅に着いた。駅は学校帰りの高校生であふれ、元気いっぱいのおしゃべりに圧倒された。
 この子たちのうちの何人か、おそらく半分以上の人は、将来年をとったときリハビリのお世話になるだろう。そのときこの国に、安心して十分なリハビリを受けられるようなシステムがあるだろうか。せき損センターのような施設や、熱意のあるPTやOTがその力を発揮できる環境はあるだろうか。政治家が何を言っても将来に安心できないこの国は、いったい何なのだろうか。(2006/8/31)


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