気のせいか?

 ラジオをよく聞くようになって気がついたのだが、聖教新聞や創価学会のコマーシャルがやたらと多い。RKBではラジオコマーシャルのコマーシャルもよくやっているので、番組になかなかスポンサーがつかないのかもしれないが、だとしたら創価学会はさぞかしお得意様になっているのだろう。
 別にコマーシャルで宗教の勧誘をしているわけではなくて、挨拶をする人は気持ちがいいとか、毒のない道徳的な話が多いのだが、時々えっと思うものもある。
 「本を読むと、賢くなったような気がします。元気をもらえたような気がします」
 賢くなるのは気のせいなのか? 本人がそう思っているだけで、実際には賢くなったことにはならないのだろうか? 気のせいではなくて、本当に賢くなるために、あるいは元気になるために本を読む人もたくさんいると思うのだが、それらは本当に気のせいなのだろうか。本を読むだけで賢くはならない、というならわかるが、どうもひっかかる。
 森田療法の病院に入院したとき「本を読まないように」と言われたことがある。本でむやみに知識を仕入れても、森田療法を理解したことにはならない、知識ではなく実践することが大事だ、と言われたように覚えている。私は森田療法を実践的に理解できているわけではないが、そのときは不思議と納得した。森田療法は禅の考え方とつながっていて、そういう意味では仏教とも関係があるが、創価学会のコマーシャルもこのような考え方とつながっているのだろうか? でもそれなら上のような文章にはならないだろう。
 特定の宗教団体が公共の電波で大量のコマーシャルを流すことがいいのかという問題はおいて、いったいこのコマーシャルが誰に何を言いたいのかどうにも不思議だ。一日に何回も同じ"道徳的な"ことを言われるのも、ちょっとしつこい。もっとも深夜になるとコマーシャル代わりに同じ曲が何回も流れたり、ホークスが勝つと藤井フミヤの曲がいつも流れたり、某アイドルの帯番組で毎日彼女の曲が流れたり、しつこいことは他にもある。ずっとラジオを聴きながら仕事をしている人もいると思うのだが、そういう人はどう思っているのだろうか。もうちょっと工夫してみたらいいのではないかと思うのだが、やっぱりわざとやってるのかしら。(2006/9/19)


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