実家の引き上げ

 大阪の妻の実家が改築されるので、置いてある荷物を整理するために10日ほど帰阪した。
 結婚するまでは何回も引っ越しして、いらないものをその度に整理してきたのだが、結婚して大阪の家に来てから10年以上の間にずいぶん荷物がたまった。"大物"は本と実験道具と楽器類だ。
 初日は夕方に家に着き、まず物置に置いてあった理科の実験道具を部屋に引っ張り出す。翌日から捨てるものと残すものを分け始めた。学校時代のものはさすがにほとんどないが、塾で使ったり使おうと思って買いっぱなしになっていたものがかなりある。手品道具とか、実験道具をつくるための材料とか、こんなものをためてる先生って他にもいるんやろか? ゴミの分別があるので、分解したり仕分けするのがけっこう面倒だ。大阪市は「普通ゴミ」「資源ゴミ」「プラスチック」という分別になっているのだが、どこまでがプラスチックなのかパンフレットを見てもよくわからない。最後はあきらめて普通ゴミに出してしまうことも多かった。刃物や割れ物はわかるように表示して普通ゴミへ、と書いてあるのだが、大量にゴミがある中で見落とすことも多いのではないだろうか。……と思って箱に入れて他の普通ゴミとは別に出しておいたのだが、あんまり意味なかったかな。電子ブロックやUCASなど市販のオモチャを含めて段ボール3つ分残し、2日あまりで整理完了。
 教科書に書いてあるようなオーソドックスなものは別にして、実験には失敗がつきものだ。つくってみてもうまくいかずボツにしたものもあるし、1回だけ授業で使って不評だったのでそれきりだったものもある。本当はそういう失敗の記録にも意味があると思うのだが、捨ててしまったらそれきりだ。実験や教材の記録をいつかつくってみたいとも思うが……(そういえば誰かに勧められたような気もする)
 次は本。いつか読むだろうと思ってずっととっておいた本がたくさんある。どうしても読みたいものはだいたい福岡に持ってきているので、今回は思い切って整理することにした。書店で買えそうな本は8割方売りに出す。段ボールで15箱分くらいになった。18才の時買った資本論全5巻も、ここまで来てついにおさらば(少しは読んだんですけど……)。同じく18才で買った宇井純さんの公害言論も売りに出す。あれも読もう、これも読んでやろうと思ってやたらと本を買っていた大学生の頃を思い出した。これらの本に未練がなくなったのは、勉強する意欲がなくなったのもあるが、自分の残り時間をそこまで本に使えないという感覚が出てきたからだ。前向きでないとも年をとったとも言えるが、 シャアナイヤンカ という気持ちもある。でも教師としてはこういう考え方はダメなのかな。
 義兄に車をお願いして、2回に分けてブックオフまで運んだ。けっこう重労働だったが、これだけ売って全部で6000円あまり。おそらく実際にブックオフの店内に並ぶのは1割に満たないのだろう。別に儲けたいというのではないが(ただでも引き取ってくれるだけありがたい)、売れない本を何か別の形で役立てられないかとも思う。たしか大阪モノレールのどこかの駅で、いらない本を持ち寄っておいてある場所があったように思うのだが、そんな形で自由に本を置いていける場所をもっとあちこちにつくれないだろうか。管理が大変なのかな。
ヤマハCS30  最後は楽器。高校時代に買ったアナログシンセ(ヤマハCS30)はもう20年以上使っていない。物置から引っ張り出して鳴らしてみると、一応音は出るのだがどうもおかしい。VCOの片方がいかれているようで、鍵盤通りの音とそうでない(チューニングのずれた)音が混ざって出てくる。修理するのはもう無理だろう。
 これを買ったのはYMOが流行っていた頃で、たしかこれのシーケンサーを使ってエレクトーンの発表会で「ライディーン」を弾いたはずだ。他にもたしか高校の文化祭の演劇で特殊音をつくったり、モノシンセにしてはよく使った。富田勲に憧れて、シンセのカタログを見てはため息をついていた少年時代を思い出すと、今は本当に便利になった。安価に音楽をつくれるようになったのは、「格差」が小さくなったという点でいいことだ。しかし便利になったことがそのままいい音楽をつくることには結びつかないとも思う。
タウンワークのマンガ  ……結局CS30は業者さんに引き取ってもらって、それ以外の楽器や機材はまだ現役なので残すことにした。シールドやMIDIのケーブル類を片づけるのが意外と大変で、1回しか使ったことのないペダルキーボードまで含めて袋詰めするのに1日以上かかった。次にこの楽器を弾くのはいつの日か…… いっそ売ってしまった方がいいのかな。音楽なんてどんな形ででもできるのだから、やたらと機械に頼るのももう潮時だろうか。
 一方妻は、長い間住んできた家の荷物に囲まれて整理が大変そうだった。服はかなり思い切って捨てられるが、写真や日記などの思い出の品はなかなか整理できない。10日間の前半かなり飛ばして片づけていた私は後半バテて、久しぶりの関西お笑いテレビにかじりついていたが、妻はマイペースでこつこつと荷物を整理し続けていた。まさしくウサギとカメか(私は卯年)。
 自炊ができないので、夜は外に食べに出た。大阪経済大学が近いので、学生が行く安い店や定食屋がある。毎日違う店に行って食べた。昨年までよく通っていたお店がなくなっていないかどうか心配だったが、全部無事だった。これから地下鉄が通り地上げもあるのだろうが、地道にいいお仕事をされているお店に残っていってほしいと思う。
 8日目に頼んでいた引っ越し屋さんが来て、すぐ近くのアパートまで荷物を運んだ。肉体労働のプロらしく、重たい荷物をどんどん運んでくれる。3トントラックに積み込んでアパートの2階に搬入し、2時間あまりで終了。本棚と洋服ダンス以外は4畳半の部屋に全部収まった。妻はもう少し細々した荷物の整理があったので、それから2日後に段ボールいくつかをまた車を頼んで運んでもらった。
 庭の木もほとんど切られるということで、結婚記念で植えたキンカンの木をなんとか助けたかった。博多で配られているタウンワークには、大阪に帰る直前にこんなマンガ→ がのっていた(大阪のタウンワークにはのっていない)が、ブタさんに対抗しようというところか。問題は植え替え先だ。淀川が近いので河川敷に行って調べてみると、川岸近くに灌木が生えている場所があって、とりあえず移植はできそうなので、福岡に帰る前日に作戦を決行した。
 まずシャベルでキンカンの根っこを掘り起こす。思ったより太い根が四方に伸びていて、切っても大丈夫かと思ったが迷う余地はない。汗びっしょりになりながら実を落とし少し枝打ちをして準備完了。今度は川岸に行って場所を選ぶ。河川敷から川に向かって降りた茂みに行くと、掘るのは簡単だったがすぐ水が出てきた。川の近くだから当たり前だが、こういう場所で柑橘類を見たことがない。本当に育つか? ……でももうこれしかない。家に戻って木を担ぎ、妻と2人で川岸まで行き、大きな灌木の近くにとにかく植えた。誰かの迷惑になることはないだろう。あとは木の生命力に賭けるだけだ。
 植物でも、長年つき合っている生きものにはやっぱり愛着が湧く。こういう感覚を教えてくれたのは、妻が生まれ育ち歴史を刻んだこの家だ。別に一軒家に住みたいとか庭付きがいいとか思ったことはないが、こういう場所に住み続ければ故郷に対する愛情もできてくるのだろうか。私は自分の故郷がどこかすらわからないような人間なのだが、そういう人間にはわからない思いというのがあるのだろうか。そんなことも考えながら、おばあちゃんの住んでいた部屋で最後の夜を過ごした。
 福岡に帰った次の日、庭の本格的な取り壊しが始まった。あと2日遅かったらキンカンもダメだった。大阪に残っていた妻は木を切る音を聞いていられなかったという。次に帰るときには全く違う風景になっているだろう。帰る家を失っても、生きていかなければならない。妻の思いは私にはおそらく理解できない。育ち方が違えば家族でもわからないことがあるというあたりまえのことを、妻のさりげないふるまいから思い知らされた。
 せめて自分にできることは、つれあいが幸せに生きていけるように努力することだ。がんばらないと。(2006/12/10)


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