由布院で年越し

 泊まりの旅行に長いこと行ってないので、大晦日から元旦にかけてどこかで1泊しようという話になった。ネットで探してみたが近隣県の温泉地は軒並み満員で、ようやく由布院のペンションに1つだけ空きを見つけた。後から聞いたら半年前から予約が入り始めるらしい。
 31日の朝8時半に起きて荷物を詰め込み、歩いて15分で博多駅へ。9時16分の「ゆふいんのもり1号」に乗る。よく宣伝されている観光列車で、デッキはしゃれているが座席はそれほど変わっている感じもない。お弁当とか記念品のカタログを見たが正直なところあまり売れそうにない。
ゆふいんの森号  通路をはさんだ向かい側の席に、足が不自由なおじさんが乗ってきた。車掌さんが車いすで運んできて座るなり「弁当買ってきて!」と障害者手帳を見せながら大きな声で言う。前に座っていた人が「(座席を)倒してもいいですか」と聞くと、「倒したらわしが困るよ!」とまた大きな声で言う。前に座っていた人は他の席に行ってしまった。少したって隣に人が座ったが、おじさんが大きな声で色々話しかけるのにヘキエキしたのかこの人も他に行ってしまった。おじさんは弁当が来るのが遅いと「JRに苦情を言わんといかん」と言って何か文章を書いていた。一方車掌さんが弁当を持ってくると心底うれしそうに「ありがとう、ありがとう、名前を教えて」と言っていた。……悪い人ではないと思うのだが、まわりとうまくやっていくのが美徳だとすれば彼は不徳の人間だ。本当はまわりが黙っていないで彼に意見すればいいのだろうが、私にもそんな勇気はなかった。だから彼に不満を書く資格はない。こういう時に一番必要なのはやっぱり"勇気"なのだろう。
 2時間少し走って由布院駅へ。まず駅前の店に入って腹ごしらえ。だんご汁を頼む。だんごと言っても太めの麺を短く切ったようなもので、素朴な味でなかなかおいしかった。
 温泉街のような場所かと思っていたが、駅でもらった地図には美術館やアンティークの店、特産品店などがずらりと並ぶ。大晦日なのにかき入れ時らしく、閉まっている店はほとんどないようだ。とりあえず駅から続く道を歩いて、人混みの中であちこち見て歩く。駅前すぐの店には足湯ができる場所があり、暖かそうだった。自分の中には「足湯は病気になったときに汗をかくためにするもの」という先入観念があるせいか、あまり入りたいとは思わなかったが、寒い人にはありがたいだろう。
駅で配っていた散策マップ  商店街の中では、水木しげるの店が面白かった。「ゲゲゲの鬼太郎」は歴史に残るだろうが、妖怪伝説などの蒐集は民俗学研究としても貴重なものであり、まさしく日本の伝統を残そうとしているものだ。もう少し歩いたところで「金賞コロッケ」というのも食べてみた。シンプルなクリームコロッケなのに後に何とも言えない味が残り、金賞というのもうなづける。妻はおみやげにいのししの飾り物を買っていた。
 美術館がたくさんあってどこに行くか迷ったが、通りの突き当たりに近いところの「山下清美術館」に入ってみた。この人の絵や生涯をほとんど知らないので、まず時間をかけて原画を見る。貼り絵が多いのだが独特の画風で、日本のゴッホと言われたのはなんとなくわかる(彼はゴッホの絵を知っていたのだろうか?) 花火が好きだったそうでその絵が多いのだが、おそろしく手間のかかった貼り絵で、彼の絵に対するこだわりがよくわかる。ビデオで「裸の大将」をやっていたので少し見たが、涙を誘う出来で妻は少し泣いていた。私は映画を観ながら、山下氏を巡る人々は本当に彼の気持ちを理解していたのだろうか、金づるのように彼を扱っていたのではないか、彼は彼の絵が評価されることが本当にうれしかったのだろうか、などと考えた。
金鱗湖  美術館を出てまた少し歩くと、金鱗湖という小さい湖(ほとんど池)に出た。温泉が出ているため暖かく、コイなどの他に外来の熱帯魚もいた。湖面から出る湯気が美しい。ここからメインストリートを外れて山手に回っていくと、美術館がところどころにある細い道に出た。昔ながらの農家がある。家の前には小さい畑がありニワトリを飼っている。こういう場所が好きな妻は写真を撮っていた。
 由布院は観光地としての「開発」がうまくいった場所だと聞いているが、観光と関係ない仕事をしている人から見たとき、私たち旅行者は一体どんなふうに映るのだろう。観光用に集落を大きく作り替えていくことが、どれだけの人の意志によって行われたものなのか、本当にこの場所にとっていいことなのか、私にはわからない。
町外れの農家  宮崎や尾道に行ったときにも感じたが、観光客に頼らなければやっていけないような経済構造が、そもそもおかしいのではないか。おそらく由布院には昔、写真に撮ったような農家がたくさんあって、ほとんど自給自足でやっていけていた時代があったはずだ。それが立ちゆかなくなったのは、都会といなかのそれぞれが問題を抱えていることを象徴しているようにも見えた。お金が来なければやっていけない地方、ものが来なければ生きていけない都会…… それでずっとうまくやっていけるはずがないのに、解決策を誰も出さないのはなぜなのだろうか。これは日本国内の問題ではなく世界全体の問題だ。グローバル・スタンダードなどと言うが、それは資本主義によって儲かる人間にとってのスタンダードであって、人間が幸福に生きていくための"標準"という意味ではない。幸福が主観を含むものである以上、本来スタンダードなど存在し得ない。自分にとって当たり前のことが他人にとっても当たり前だという傲慢、そしてむき出しの資本主義、それらが観光でしか成り立たない経済をつくりあげているのだ。それは一見豊かに見えて、実はひ弱く物や人との関わりが"つくりもの"にしかなり得ない都会の矛盾と裏表のものだ。どうしたらいいのか。江戸時代のように「鎖国」して、地域単位の自給自足経済を復活させるべきなのだろうか。私にはそれくらいしか「美しい日本」をつくるすべが思い当たらない。
ペンション・ペガサス  夕方由布院駅に戻ってタクシーに乗り「ペンション・ペガサス」へ。由布岳を越えて別府に近い塚原まで延々と20分走る。さっきまでいた湯布院の観光街とは全然違う場所で、ここを"湯布院"と呼ぶのはちょっと違和感がある。山に囲まれた盆地の中腹で見晴らしがよい。夕日が沈んだばかりで、山の夕焼けがきれいだった。ペンションに入る前に写真を撮った。2006年最後の夕日。もう少し早いタイミングだったらもっときれいに撮れたかな……と妻は言っていたが、これはこれでいいんじゃないかな。
由布岳に沈む夕日  夕食まで1時間ほどあるので先にお風呂に入る。屋内の小さい浴室だが他に誰もいなくてゆっくりできた。お湯も"温泉"という感じではないが、温泉に特別こだわりがあるわけではないので、気にはならない。ちょっとぬるめのお湯に浸かって、広い湯船は久しぶりや……と思っていたら、突然電気が消えた。なに? ヒューズが飛んだかな。このまま洗ってしまおうかとも思ったが、外からの光がどんどん弱くなっていくので無理そうだった。まだ体も洗っていないのに一度上がって服を着てオーナーに直してもらい、入り直し。大晦日に2度湯とは何かの縁担ぎか? 風邪ひかなくてよかった。
ペンションの夕食  連泊禁止のペンションの夕食は、地鶏とイワナの炭火焼き。歩き回っていてお腹が空いていたせいかいくらでもご飯がはいる。3杯もお代わりした。大分の地鶏は脂っこくなくて食べやすい。前菜も美味でこだわりが感じられた。イワナは焼き加減がわからず、オーナーのおじいちゃんに聞いてみたが「自分でいいと思うところまで焼いたらいい」と言われた。自分もマニュアル人間になってしまってるのかな。まあ魚を焼くのに失敗するとも思えないけど。でもとにかくおいしかった。ごちそうさまでした。
初日の出  ペンションの部屋には「ロビーでみんなで話しませんか?」という紙が置いてある。オーナーはユースホステルみたいなノリを期待しているのだろうか。今の自分の状況を他人に説明するのはかなりおっくうな作業で、私は初対面の人と私的に雑談する気になれない。しかし部屋にはテレビもなくすることがないので、食事後ロビーに行ってみると数人雑談していた。少し離れたところに電子ピアノがあり、久しぶりに鍵盤に触ってみた。クラシックで弾けるのは数曲しかないが、もう何十年もまともに弾いていないので指が動かない。たどたどしくショパンやドビュッシーを弾くのは恥ずかしかったが、今の自分でも音楽は受け入れてくれる……ような気がした。また音楽をやってみようかな。その後ロビーで紅白を少し見るが、眠くなり2人で部屋に戻って熟睡。
湯布院高原ホテル  翌日は8時に朝食。チェックアウトまで時間があるのでペンションの周囲を散歩してみた。初日の出を見るには遅いと思っていたが、曇っている山頂から登ってくる太陽を写すことができた。初日の出を見るのは久しぶりだ。この1年はどんな年になるのだろうか。
 ペンションの裏の道を歩いていくと、大きな建物がある。社員寮かな? と思いながら近づいていくと、つぶれたホテルだった。まだ日がたっていないようで、内装を直せばすぐ使えそうだ。テニスコートやプール、パターゴルフ場やスカッシュのできる体育館まである。この施設がこのまま誰にも使われずに朽ち果てていくのはどう見てももったいない。近辺の旅館などがお金を出し合って運営するとか、大分県が買い取るとか……無理なんかな。もともとこんな人里離れた場所にこれだけ大きな施設を造ったのがまちがいなのだろうが、だからといってこのままにしておくのもどうか。交通さえ何とかなれば、使いたい人はいると思うのだが…… 運動したい人のために有効に使えないのかな。
大分川に沿って走る道  ペンションを出て湯布院駅に戻り、レンタサイクルに乗って郊外に出る。妻は古い建物が好きなので「旧日野医院跡」に行ってみることにした。初めて乗る電動自転車はとてもラクなのだが、加速がつきすぎて感覚が合わずちょっと怖い。足が弱ってきてこういうのに乗る人もいるのだろうが、加速のコントロールができないと危なそうだ。2km少し走ると県道に出て、そこから少し入ったところに旧日野医院があった。大分県では最古に近い(擬)洋風建築だそうで、県の重要文化財になっている。年始で休みだったため中には入れなかった。妻は何枚も写真を撮る。
旧日野医院跡旧日野医院跡  大阪の旭区にもこんな建物があったが(そこも旧医院のようだった)、数年前に壊されてしまった。古い建物に特別郷愁を感じるわけではないが、その時代の人間の息遣いが「受け継がれていない」ことに寂しさは感じる。長い間食べに通っていた店がなくなると、店がなくなったことよりも店の人に会えないことの方がダメージとして残る。この日野医院の場合には別の場所に移転したので、人間関係が絶たれたのではないだろうが、それは幸運な場合であって、多くは建物が変わることが人間関係の断絶につながっていると思う。そのことの積み重ねによって社会がどう変わるのか、今はそのことを深刻に考えるべき時代なのかもしれない、とも思う。昨年の妻の実家の件以来、そういうことに対して敏感になってきているのは、やはり他人事でなくなったからだろうか。
昭和レトロ館  元日の大分川は人が少なく、サイクリングにはいい場所だった。由布院駅まで気持ちよく走って戻り、今度は「岩下コレクション」へ。今度は車通りの多い歩道のない坂道を延々と登る。電動でなかったら行かれなかった。電池がなくなってきて、これ以上遠かったらあきらめるかな、と思い始めた頃に着いた。ここには「昭和レトロ館」があり、昔のおもちゃやレコードやポスター、学校の机や治療器具に至るまで、オーナーが集めた昭和時代の物品が展示してある。ここも妻の守備範囲なのだが、私は小学校のコーナーが懐かしかった。表面がでこぼこしている木の机。自分が読んだような古い本。中学まですごした覚えのある木造校舎。これらがなくなったことも"断絶"なのだろうか。
 レンタルの時間が迫りあわてて駅に戻る。今度は下り坂なのであっという間に着いた。歩道のない道をブレーキをかけずに下っていくのは少々怖かったが、妻は妙にはしゃいでいた。こっちの方が年をとったみたい。自転車を返し昨日も行った商店街を歩き、六所という店でとり天定食をいただく。観光客用の店ではないようだが、こういう店の方が好きだ。お昼過ぎでおばちゃんたちが忙しく働き、なかなか注文を言えなかった。単に鶏肉の天ぷらなのだが、あまり他ではない歯ごたえで美味しかった。そう言えば昔京大の近くでよく通った定食屋さんがあったが、そこでもとり天定食をよく食べた。あそこのおばちゃんも大分の人だったのかな。もう20年たつけど、どうしてはるやろ。
 店を出て、昨日行きそこなった由布院美術館に行く。地元の画家・詩人である佐藤渓氏の作品と万華鏡と展示、さらに「絵はがきを書くコーナー」とか「友だち足湯」という場所もある。なんでも芸大の人を中心としてアイディアを募ってつくったものらしい。佐藤さんの絵は素人目には少々ありきたりであまり魅力を感じなかったが、詩はちょっと面白かった。放浪して絵と詩を作り続けたその人生は昨日の山下さんと似ている。これだけの美術館を作ってもらえるのは、放浪した人間にとって本当に幸せなことなのだろうか。山下さんもそうだが、作品が本人の思いを離れて一人歩きしていくことが、本当に本人の望みと一致するのだろうか。そういう意図を持つ芸術家はたくさんいるだろう。しかしすべての絵描きや詩人がそうだとは、私には思えない。そんな疑問を持つ方がおかしいのだろうか。
万華鏡の模様万華鏡の模様万華鏡の模様  足湯は野外にあり寒そうなので遠慮したが、万華鏡が非常に面白かった。今までは3枚の鏡を正三角形に組むもの(正六角形が見える)しか知らなかったが、角度を変えることで様々な模様ができる。妻も私も面白がって飽きずに見ていた。理科を教えているくせに、万華鏡は正三角形……という固定概念にとらわれていた自分が恥ずかしくなった。普通の万華鏡は少々見飽きたが、こういうものなら自作してみたい。1つ買おうかとも思ったが、値段が張るのであきらめた。
 帰りに昨日買った「金賞コロッケ」をもう1回買って食べる。かなり疲れてこれ以上動く気にならず、駅前の喫茶店で遅ればせの年賀状を書き、6時の列車に乗った。博多駅でかしわうどんを食べて帰宅。温泉旅行という感じはほとんどなかったが、気分転換にはなったかな。妻が元気になってくれたら一番いいのだけれど。今年も1年がんばらなきゃ。(2007/1/18)


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