戦争体験を聞く

 お誘いを受け、「戦争体験を語り継ぐ会」に参加した。主催は堅粕九条の会、戦争体験を語り継ぐ会。
集会の案内  家から自転車で10分くらい、中学校に隣接してある公民館に行くと、お年の方がたくさん集まっていた(失礼?若い方もいました) 予定より少し遅れて始まった。城南区在住のKさん(女性)のお話。こういう場でお話しされるのは初めてだそうだ。



 この後村井さんという弁護士のお話があった。憲法改定の見通しについて。



 質疑応答の時間があったので、いつものように聞いてみた;
「なくそう核兵器」のバッジ  「軍隊を持たない場合、いざ攻められたら殺されるしかない、という意見がありますが、そういう意見に対してどう答えますか?」
 村井さんが答えられた。
 「そういう人には『どこの国が攻めてくると思うのですか?』と聞きます。北朝鮮が攻めてくる可能性は事実上ないと、日本政府が認めています。現実問題として日本をどこかの国が攻めることは不可能です。
 次にもし他国の軍隊に備えて軍隊を持とうとすれば、莫大なお金がかかります。日本の軍事費は4兆数千億円、福祉予算より多いのです。これがもっと拡大すれば、私たちの生活はどうなるのですか? きれいごとではなく、生活のために9条改憲に反対するのです」

 最初に話されたKさんは、
 「軍隊は私たちを守りません。軍隊を持っても私たちが平和になるわけではないと思います」と言われた。
 言われていることはよくわかる。私も議論になったらそういう趣旨のことを言うかもしれない。しかし本音を言えば、私は日本人は殺されても仕方がないのではないかと思っている。中国や朝鮮の人たちをあれだけ殺しておいて、そのことを「戦争だから仕方がない」とか「そんな事実はない」とか「自国の歴史をそんな風にいうのは自虐的だ」などという国の人間は、殺されても仕方がないのではないか。殺されたくなかったらそのような本当の意味での自虐的・反日的意見にどう対するかを考えるべきではないのか。そう言ってみたかったが、やはり勇気がなかった。
 気になったのは、と同じように若い人が少なかったことだ。Kさんと同世代の人が多く、20名ほどの中で私より若く見えたのは3人だけだった。戦争体験は言葉だけではなく、「感情」で伝えるしかないと思う。たとえそれができても、Kさんの思いを他人が完全に引き継ぐことは難しいだろう。Kさんの思いを若い人が受け止める方法はあるのだろうか。
 私は「過去のことを語り継ぐ」のではなく「現在と未来のために過去を学ぶ」という考え方がいいと思う。若い人の現在と未来に、Kさんの過去をあてはめるのだ。国から捨てられたという意味では、Kさんも中学校の落ちこぼされも同じだ。勉強ができずに苦しんでいる私の生徒の未来は、これから軍隊を持つ国によってどうされるかわかったものでない。それは本質的には、Kさんの悲劇と同じものだ。権力が戦争のために庶民の生活を破壊しようとするとき、実際にどうなるのか。そのことを現在と過去をつなぎ合わせることで、若い人に訴えられるのではないか。
 私に何かができるとしたら、そのような「作戦」を立てることなのだろうか。かなり荷が重いが……(2007/9/13)

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