打ち上げと発表と灰谷健次郎

(2008年3月19日) これこれこれの続きです

 18日は中3の打ち上げ。バス停から20分かけて山の中のボウリング場に歩く。
 このあたりは生徒のなわばりらしく、集合時間前からみんなが集まってゲームセンターで遊んでいたり、クラスの方の打ち上げでボウリングをしていたり、イベントという雰囲気はあまりなかった。

 男子はほぼ全員、女子は半分くらい集まってゲームスタート。レーンの人数の割り振りが悪く、2ゲームやったのだが早く終わった子はヒマをもてあましゲームコーナーに行ったり……段取り悪かったかな。まあいいか。
 ××君があまり元気がないのが気になったが、話しかけるといつもと同じような反応だった。元気な友だちに囲まれていたし、大丈夫かなと思った。

 2ゲーム終わったところで家から持ってきた景品を配り一応解散。ほとんどの子は(××君を含めて)カラオケやゲームコーナーに行ったり卓球を始めたり……と帰る気配がなかった。
 ちょっと疲れたので、遊んでいる生徒たちを置いて先に帰ることにした。帰りは本を読む気力もなく、結局駅まで30分歩いた。生徒と自分の距離が開いていることの重みが、自分に押し寄せはじめているのが、なんとなくわかった。


 翌19日は合格発表。朝から家で連絡を待ち続けた。
 9時過ぎからチラホラメールや電話が来始める。一番心配な子たちはなかなか連絡が来ない。2時間たった段階で半分以上の合否がわかり、この段階で不合格は1人だけ。

 11時半を過ぎた頃、ある子から「××君が落ちた」というメールが来た。
 やっぱりか、という気持ちと、受かっててもよかったのに(彼は今までけっこう土壇場に強かった)という気持ちが交錯した。他にも間接的に不合格者がわかってきて、結局29人中5人敗戦。

 他の先生に連絡してから、落ちた子1人1人に電話をした。
 こういうとき私は、「やるだけやったって言える? それが言えるなら後悔しなくていいよ。がんばったんだから、胸を張って高校生になろう」などと話す。今は私立の方が先生が熱心だから、いい先生を見つけてかわいがってもらうんだよ、と言うこともある。

 ××君に電話をした。
 「やるだけやったって言える?」
 「……うん」
(ううん、と言っているように聞こえた)
 「きついこと言って悪かったね。ごめんな」
 「いや、あれはボクが悪かったです」
 「君には才能があるんや。君のいいところを伸ばしてほしいって思ってる。あの学校には熱心な先生もいるはずやから、いい先生を見つけて自分の得意なことをいっぱいしたらいいよ」
 「……はい」


 お母さんともお話をしたが、彼女は
「学校の先生が甘いので……塾の先生に厳しく言っていただいてよかったです」 と繰り返しておられた。お母さんは塾がなくなることをしきりに惜しんでいて、上司にも電話で挨拶されると言う。

 こういう結末を予想はしていたが、実際そうなってみると罪悪感がないとは言えない。××君と冷静に話ができた自分が不思議な気もする。
 ここ数日胃が痛いのは、こんなことと関係があるのだろうか。

 2年間持ち上がりで教えた生徒は本当に久しぶりで、かつこれだけ私のヒステリーのとばっちりを食らった子たちもいなかったろう。申し訳ないとしか言いようがないが、それでも人と人との関わりがあったことはまちがいない。私はあの子たちと一緒にいたのだ。そのことの重さを本当に味わうのは、きっとこれからだろう。


 その日の夜、夕食の後 妻が朗読の練習で灰谷健次郎の文章を読んでいた。


 さとるは一週間ほど学校にきて、それから、ときどき学校を休むようになり、あるときを境にばったり学校にこなくなった。
 ……親が親の顔をし、教師が教師の顔をして理詰めで攻めてくる−−そういう世界がさとるはいやだったのだろう。そういう世界に孤独を感じていたのだろう。

 ……手紙を読みすすむ。
 「……ぼくはあしのちぎれたかにばかりとって、カンカンに入れました」
 呆然とする。
 たった六歳の子どもが、ひとりで海へいき、足の欠けたカニを友だちにして遊んでいた。ぼくはさとるにとって何だったんだろう。なにが教師だ。激しい後悔がぼくをいたたまれなくする。

 ……手紙のおしまいに熱い思いで、次のように書く。
 「−−でも、せんせいはさとるちゃんがすきやで。なんぼ、ぎ足をつけとってもすきやで。ぎ足をつけとうから、よその子より、もっともっとすきやで。つらいことがあったら、てがみにかきよ。」
(「わたしの出会った子どもたち」灰谷健次郎、1984年、新潮文庫より)



 自分のことを裏返しに言われているようにしか思えなかった。だから灰谷健次郎は昔から嫌いなのだ。
 「なんぼ義足をつけとってもすき」などという差別的な言葉を書きながら、彼は私よりよほど"教師"なのだ。林竹二さんやこの人など、いや日本中に数千数万といる「子どもに寄り添う感覚」を持っている人には、私は死ぬまでかなわないのだ。
 もし灰谷さんが××君と接していたら、彼は何と言ったのだろうか。

……すべてが後悔ではないけれど、私は××君のことを一生忘れないだろう。忘れてはいけないのだ。(2008/3/21)


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