再会
家庭教師に行く途中で、以前教えていた生徒に会った。
昨年の3月学校と塾をサボって私に思い切り怒られた××君だ。
これと
これと
これ
手紙を書こうと思っていたのだが、なんとなく書きそびれているうちに、本人と顔を合わせてしまった。
彼は1年半のうちに少しおとなびたニキビ君になっていたが、人なつこい笑顔は変わらなかった。前よりもっと元気にも見えた。
「元気にしてる?」
「はい、元気ですよ!」
「学校は楽しい?」
「はい、でも国公立コースに入っちゃって大変です」
「勉強は大変かね」
「俺バカだから」
「……あの時のことをあやまろうと思ってたんだ」
「いや、あれは俺が悪かったんです」
「……相談ならいつでものるから、メールをください」
「いや、携帯は持ってないんで(彼の高校は携帯禁止だった)」
「じゃあ電話番号を教えとくから、なんかあったら連絡ちょうだい」
「はい! 先生も元気で!」
私に気を遣ってムリに笑顔をつくっていたのかもしれないけれど、彼は最初から最後までまぶしいばかりの笑顔で、駅の階段を下りていった。
彼は中2から2年間教えたが、昔の悪ガキタイプをちょっとかわいくした感じで、明るくてウソをつかない子だった。たくさん叱ったしずいぶん手を焼いたが、憎めない子だった。
最後の最後にあんなことになってしまったのは残念だったが、今の彼が元気のままでいてくれることが、私にとっては最高のプレゼントだった。
私には何人か、忘れられない生徒がいる。
そういう子たちにはいくつかのパターンがあるのだが、一番印象的なのは「飛び抜けた個性とパワーを持った子ども」たちだ。
一番最初に教えた嵐山の塾で、私の実験に目を輝かせ、遅くまで残って装置をいじくり回し、私の大学院の研究室まで押しかけてきた20年前の"彼"と、やはり私の持ってきたモーターセットをいじくってこわし、苦労してつくった数学の立体模型を鼻の頭にのせて曲芸に挑戦した1年前の××君は、私の中では「同じ人間」にすら見える。
そういう子は今の学校ではなにかとやりにくいし入試にもうまく適応できないことが多いのだが、長い目で見ればそういう人間の存在がまちがいなくこの国を活気づけ「救って」いる面があるだろう。
彼らが持っているテストでは測れない何かを、この世の中で役に立てる方法を考えること、それが彼らに対する本当の教師の仕事なのだと思う。
手紙を書けなかったことを悔やむよりも、私にたくさん元気をくれた今日の彼に感謝すること、そしていつかまた私の前に現れる次の「彼」の才能を伸ばすための力を身につけること、それが私に与えられた仕事なのだ。
M君、ありがとう。君の人生がまっすぐに伸びていくことを。(2009/10/16)
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