教え子のライブを見に行く

(mixiに2010/8/26に書いた文章)

 松蔭の教え子が久留米でライブをするというので、仕事を無理やり休みにして聞きに行った。

 福岡に来て5年になるのに、久留米にはほとんど来たことがなかった。ライブの前に久留米ラーメンを食べようと思って商店街を歩いたがなかなか店が見つからず、夕立が上がった頃やっと見つけた店のラーメンはもうひとつだった。薄味のとんこつラーメンでまずいわけではないのだが、やっぱり好みに合わない。今度来た時はちゃんと調べて、駅から遠くても人気の店に行こうと思った(福岡に来てからグルメになっている気がするなあ)。

 商店街のはずれにあるライブハウスは地下だった。入り口で彼女に声をかけられた。
 「先生!」
 一番会いたかったあの子の顔を見て、一瞬声が出なかった。
 15年たって顔形が変わっているのは当たり前だが、なにより「目」が違っているような気がした。本番の前だからだろうが、体中にアドレナリンが走りまくっているような雰囲気は、昔からは考えられなかった。
 持ってきた自分のCDを渡し、大阪からのおみやげ(彼女は私の家の近所に住んでいた。懐かしい地名のお菓子をありがとう)をもらい、また後でと別れて小さいホールの中に入ると、ほどなく最初のおっちゃんが出てきた。体中白く塗りたくった姿で、谷村新司の大きな顔写真を掲げながら「昴」を歌っていた。よくわからん。
 その後のバンドはほぼ全部デスメタルというやつで、ひたすら大音響で叫びリズムを刻んでいた。音が大きすぎて歌詞が聞こえないのは経験があるが、音が大きすぎて音程がわからないのは初めてだ。耳ではなく体に直接音が入ってくる感じで、これが快感になる人もいるんだろうなと思った。

 トリの1つ前に、彼女のバンドが登場した。
 MCは出てきたバンドの中で一番こなれていて、さすが大阪人という感じだった。DVDを見ていたのでそれほど驚かなかったが、やっぱり過激なパフォーマンスで、これも出てきたバンドの中で一番だった。深層心理を解放する、というやつだろうか。大阪から深夜バスに乗ってきた疲れなどみじんも感じさせず、派手な音を鳴らしていた。
 彼女はメインボーカルの隣でギターを鳴らしながら、マイクを食べてしまいそうな勢いで歌っていた。いい顔をしていた。誰よりも楽しそうに歌っていたと思う。生きていることを全力で明かそうとしているようだった。

 昔のことを思い出して、泣いてしまった。
 ただ気負っていただけで、あの子たちの思いを受け止められなかった15年前、彼女はおとなしくまじめな生徒だった。
 ……彼女が辛い思いをした時に守れなかったことは、今でも後悔している。学校を辞めたことは後悔していないけれど、いつかあやまりたいと思っていた。
(これだけはどうしても書いておきたいのだけれど、私は誰かを責めたいとは絶対に思わない。私自身が非力だったのだ)

 昨年連絡がついた時、どんな言葉を送ればいいのかずいぶん考えた。結局ありきたりの文章しか書けなかったけれど、彼女の返事で救われた。
 あの時のあの子の顔、そしてこの日の彼女の顔を見た時、とっても当たり前のことだけれど「人間は成長し変わるものだ」ということを目の辺りにした。
 昨年つくった歌の歌詞で「これからの君の幸せを あの頃の君が見守っている」と書いたが、それは逆だったのだ。
 彼女が音楽を心から愛していること、誰が何を言おうと自分の生きる道を見つけられたこと、そのことを私に生き生きと堂々と見せてくれたことは、とてもうれしいことだった。
 彼女は、あの時の彼女自身に「見守られる」必要などないだろう。彼女は今の自分自身に誇りを持って生きていけるだろう。逆に今の彼女が、あの時のしょげていた彼女をすくい上げ、助けているのだろう。

 ライブが終わり、着替えて普通の姿になった彼女と話した。
 「親は未だに反対してるんです……」
 「でも高校生の女の子から応援してもらったりして、うれしい」
 少しはにかんだ話し方は昔と変わらなかった。私はなぜか緊張してしまって、うまく話せなかった。うるさい周囲の中で肩を抱きよせて、
 「音楽は絶対に裏切らないよ。それだけは絶対大丈夫」
と言うのが精一杯だった。
 バンドの仲間はCDを売りながら、「彼女の先生が来るって言うんで、こんな音楽を聴いたら絶対反対されるってみんなで言ってました」と笑っていた。
 カンパ半分で2枚目のCDを買い(いつかプレミアがつくかもしれないし……)、彼女と写真を撮って別れた。

 帰りの電車の中で、クラスのみんなとの出会いの意味を考えた。
 昨年のクラス会、そしてこの再会と、あれほど会いたかった人たちの顔を見られて、自分の中であの1年に踏ん切りをつけられると思っていた。
 クラスのみんなは今でも私にとって一番大切な教え子だし、これからももし力になれることがあるのなら、助けたい。
 しかし 当たり前のことだが、子どもはおとなになり、私を追い越していくのだ。自分の壁に突き当たってもがいている私が、あの子たちのことを心配するのは、もはや余計なお世話なのかもしれない。
 もし私が、私自身のために15年前のことにこだわっているのだとしたら、それは現実に生きているみんなとは何の関係もないことだ。
 私にとってあの43人が大切な存在であることは変わらなくても、私はその思いをやはり「今の生徒」にぶつけるべきなのだ。教師として生きていくにはそれしかあるまい。

 ……昨年つくったあの歌だけは、なんとか形にしてみんなに聞いてもらえたらと思う。でも久留米で彼女がくれたエネルギー、昨年の神戸で会えたみんなからもらえたエネルギーは、自分自身がもう少し力を振り絞るために使わせてください。
 中1Cみんなの幸せを祈っています。それだけはずっと変わらないよ。
 Mさん、素敵な歌と笑顔をありがとう。一生あなたのファンでいるからね。(2010/8/26)


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