対馬旅行

 日曜日がヒマになり時間に余裕ができたので、久しぶりに妻と1泊旅行した。離島に行ってみたかったのと、観光客が減っていると聞いていたので、対馬に出かけることにした。

 韓国の見える展望台とか、ツシマヤマネコを見る場所に行ってみたかったのだが、島の北部は車がないととても回れそうにないし不便なのであきらめ、ネットで探して食事のおいしそうな旅館を選び、バスとレンタサイクルで回れるところだけ行ってみることにした。なんという無謀。

 朝9時前に歩いて家を出て、博多駅からバスに乗ってベイサイドプレイスへ。コンビニで朝食を買い待合室で食べる。受付でしばらく並んでキップをもらった後、団体さんが来たのだが「もう席がありません。キャンセル待ちです」と言われていた。ネットで予約しておいてよかったが、けっこう混んでるんだねえ。
 ジェットフォイルは時速80kmで、壱岐まで1時間、そこから対馬までさらに1時間。前半は満席で妻とは座れず。壱岐で3分の1くらい降りたので後半は妻と2人で、テレビのエアロビクスをボーッと見ていた。
 お昼の1時前に厳原港に着く。ターミナルは送迎の車やらタクシーやらでいっぱいで、ここから歩く人なんて誰もいないかのようだった。ターミナルでもらった厳原の地図は表が日本語裏がハングルで、たしかに韓国の旅行客が多いのだろう。今にも降りそうな空の下、地図を見ながら少々寂れた通りを歩き、レンタサイクルの店に入って聞いてみると「1台しかありません」。
 1人だけ乗っても仕方がないので、他に店がないか聞いてみると、市役所の観光課に行ってみたらと言われた。市役所で自転車を借りられるのかと思いながら、海に向かう小さな川沿いの通りを15分ほど歩くと、やっとメインストリートに出た。車の多い通り沿いにショッピングモールがあり、100円均一でカサを買って、そこから少し登ったところに市役所を見つける。観光課の人に聞いてみると「今ここには自転車はないねえ。○○さんのところに行ってみたら?」また場所を教えてもらって10分ほど歩く。最初の店から近いところに古い自転車屋さんがあり、そこでなんとか2台自転車を借りることができた。「半日だから2台で600円でいいよ。」安い。おおらかだなあと話しながら地図を見て作戦を立て、海沿いの道を走り始めた。


 自転車は随分古いものだったが走りは悪くなく、白くて重たそうな空の下の黒っぽい海の景色もよかった。途中で小さな駄菓子屋さんに入って道を尋ね、残り少しの坂道を降りて「お船江跡(おふなえあと)」に到着。徳川時代の港の跡だそうな。石造りの古い桟橋が港の奥まったところに4つ、歴史にはほとんど興味がないので景色だけを楽しみ、持ってきた○○と写真をとる。ヒトツバタゴという白い花がきれいに咲いていた。日本人ツアーの人たちが見に来て帰った後、また自転車に乗って厳原に戻る。さっき道を聞いた駄菓子屋さんのおばさんにお礼の挨拶をすると、「食べなさい」と言ってかりんとうをくださった。何となく申し訳ないので店に入り、お勧めのソフトクリームをいただく。久しぶりのバニラは冷たくておいしかった。おみやげも少し置いてあったがこれはパス。


 また自転車をこいで戻り、小雨の降る中を万松院へ。300円払って仁王様のいる門の横から入り、本堂(徳川代々の将軍の位牌が置いてあった)にお参りしてから長い階段を上がって墓地へ。対馬を治めていた殿様(宗氏)や家族の墓が残されている。妻は「水木しげるが来たら喜ぶだろうね」と言っていた。エライ人が高いところにお墓をつくるのは「見守っているぞ」という意味なのだろうか。
 遠くに行くにはバスまで時間がないので、小雨の降る中で武家屋敷通りを歩き、半井桃水館へ。樋口一葉の片思いの相手として有名なのを知っていたのは、例によってマンガのおかげで、私は桃水はおろか一葉もろくに読んでいない。桃水は対馬で生まれ、10代で上京し新聞記者となり、300以上の小説を書いたそうな。色々資料を読んでいると、本当に一葉の片思いだったようで「私にはそれほど魅力的に見えなかった……」などという露骨な桃水の文章もあった。12才年上の師匠に思いを寄せるというのは、昔も今もよくある話だろうが、マンガによればその失恋のショックが一葉を創作に駆り立てたともされているので、現代でもそうしてパワーを得ている男女がいるのかなとも思った。シツレンハワルイコトバカリジャナイ、というオチに持っていきたい気持ちが、自分の中にはある。
 街中近くを1時間半ほど歩き、自転車を返してバスに乗って旅館へ。バスは小さいもので、この路線はけっこう主要幹線に見えるのだが1日3本だけ。ひどくなってきた雨の中、海沿いから山の中の道に入りどんどん登る。途中すごい勢いで軽トラがバスを追い越し、そこからおばちゃんが降りてきてバスに乗った。「乗り損なったから○○さんに乗せてもらって、バスを追いかけてきたんよ」何とものどか。
 50分ほど乗って6時に美女塚山荘に到着。山の中にしゃれた建物が建っていた。泊まる場所と食べる場所が別で、間の庭は小雨の中ライトアップされて不思議な光景になっていた。すぐに夕食へ。これが目当てだったので楽しみにしていたのだが、予想以上だった。お刺身(ヒラマサ丸ごと一匹+いろいろ)、天ぷら、網焼き(牛肉+野菜)、焼き魚、とどめに鍋と、これでもかという感じで、大食い夫婦も最後の鍋(雑炊つき)はダメかと思ったが、意地で食べきった。魚も肉も文句なしにおいしい。いり焼きとか対馬料理も出ているのだが、どれが対馬名産とか考えるヒマもなく全部うまい。座敷の壁には有名人の色紙も飾ってあった。お忍びで来る芸能人も多いとか。この食事ならそりゃあ来るやろ。
 ご主人は笑顔のたえない方で、食事の間給仕をしながらなにかと話しかけてこられた。前日は濃霧のためにフェリーが博多港に入れず、お客さんが大変だったという。「来られるかどうか心配していました」。福岡から来たと言うと「私も福岡で働いていたんですよ」。福岡で働いていたのが、数年前に実家の対馬に戻ってきてペンションを継いだのだという。もうすぐ3人目の子どもさんが生まれるとか。一番上の息子さんは20才で、こちらはほとんどしゃべらずに黙々と働いていた。お父さんを含めて3代でペンションを切り回しているらしい。ペンションをつくった先代は「冷凍でない生の魚を出すこと」「卵は自家製で出すこと」をポリシーとしており、ペンションの外れに鶏舎があり2代目と3代目で毎日世話をしているとか。
 動けないくらい満腹になって食堂をおいとまし、部屋に戻ってお風呂をいただいて一息。部屋も2人には広すぎるくらいで、十分くつろげた。食堂にも置いてあったが書が飾ってある。廊下に本棚があり、武蔵高校のレポートが置いてあったので部屋で読んでみた。高1の総合学習で希望者がここを訪れ、レポートを書くのだそうだ。登山体験とか浜辺のゴミの何%が韓国から来たとか色々書かれていたが、ペンションのご主人によれば「最近の高校生は頭でっかちで、形を作るのはうまいけど……」ということだった。私の高校では修学旅行が高山で、わらじづくり体験をさせられたが、何も印象が残っていない。自分でテーマを選んで時間をかけて色々調べてみるのもいいのだろうが、最初から頭でっかちの状態でやってもうまくいかないような気がする。受験勉強の後遺症をぬぐい去るのは簡単ではなかろう。高校の先生はおそらく前向きにやっておられるのだろうし、成果がないとも思わないが、こういう場所で勉強する前に今の子どもにはもっとすることがあるような気もする。自由を与えると言うか、うまく遊べるようにすると言うか。
 2日目の朝、6時前に起きてご主人の車に乗せていただき、雨の降る中ペンションの近所の名所を見に行く。ペンションのいわれのもとである美女塚を見た後て、坂を上って豆酘(つつ)崎へ。天気がよければ絶景なのに、雨であいにく眼前の海はかすんで見えなかったが、妻はうれしそうだった。続いて山を下りて豆酘の町に入り、海岸へ。話通りゴミでいっぱいだった。おそらく中国や韓国からのものだろう。こういう場所に来ないと、外国との関係の現実というのはなかなかわからない。地元の人はもちろん迷惑だろう。同じように私たちも、どこかの国に"ゴミ"を流しているだろう。このゴミの責任はもちろん流した人にある。韓国の人がどこにでもゴミを捨てている光景をフェリーで見たこともあるし、それがいいとも思わない。しかしゴミを流した人をここに呼んできて片づけさせるべきだとすれば、私たち日本人は世界の半分くらいまで行ってゴミ拾いをしなければならないだろう。モラルを訴えることも必要だろうが、そもそも「国が違う」という意識を過剰に持つことが間違っているように思う。ゴミを捨てることに対する意識は、たしかに国や文化によって違うだろう。しかし「人に迷惑をかけない」「自分がその立場になったら困ることを人にしない」ということくらいは、人類共通のモラルにできないのだろうか。それこそが教育の重要な任務であろう。それとも「人のことはどうでもいい」という価値観を持たないと、私たちは豊かになれないということを、このゴミは裏返しに表しているのだろうか。
 ペンションに戻ってまたリッチな朝食。とれたての卵で卵ご飯をいただく。味が違うか?といわれると正直よくわからないのだが、濃い色の卵だった。朝だというのにお腹いっぱいになって部屋に戻って一休み。
 2日目はとにかくバスに乗って、どこか1カ所だけでも見に行こうと思っていた。バスの本数も少ないし、あちこち回るのはとても無理だと思っていたら、またペンションのご主人が「買い物に行くので、一緒に乗っていかないか」とおっしゃってくださった。甘え過ぎなのでどうするか一瞬迷ったが、お願いすることにして、8時過ぎにペンションをおいとまして3人で出かけた。昨日バスで上った山道を駆け上がり、山の中で「鮎もどし自然公園」に着く。川底が花崗岩の一枚岩になっていて、夏には天然の滑り台になるらしい。観光用につくった場所だとか。吊り橋から眺める河床はたしかにすごい眺めだ。泳いだら気持ちいいだろうけど、滑って岩にあたったりしたらどうするのだろうかとふと思った。
 そこから山をさらにこえて、厳原を通り過ぎ島の中央部に向かう。ご主人は相変わらずよくしゃべった。地震のあと韓国からのフェリーが来なくなり、外国客が10分の1になってしまったこと。ご主人のペンションは日本人の客が多いのであまり被害はないが、韓国のパックツアー目当ての観光業は大変らしい。さらに島の人口が毎年1000人ずつ減っていて(現在は3万4000人)、危機感を持っている人がかなりいるとか。よく「対馬が韓国に占領される」という宣伝があるが、韓国が攻めてくるというより日本人が減っていることが問題なのだ。魚など食べ物は十分おいしいし、登山や釣りのお客さんはそれなりに来るらしいが(登山が有名とは知らなかった)、他に目立った産業がないこの島は、やはり観光で勝負しなければならないのだろうか。湯布院のことを思い出した。
 車はどんどん進んで万関橋へ。対馬を貫通する水路が造られたのは明治33年で、軍艦の通り道になっていた中国の川のようなそこを自衛艦があわただしく通り抜けていく。真っ赤な橋の上に立つと風が強くて海まで飛ばされそうだ。昔は全然そうじゃなかったのに、いつから高所恐怖症になったんだろう。島の中央部のあそうベイパークに入り、小さな牧場へ。普通より一回り小さい対馬ウマが数頭飼われていた。小雨の中少しうつむいているウマさんたちはかわいい。人間より絶対動物の方がかわいいと思えるのは、邪心がないからだろうか。人間の赤ん坊が愛されていることに嫉妬してしまうのが抜けないのだろうか。

 さらに小さな漁港まで降りる。アワビの養殖を見せていただいた。海水を流した幾十にも重ねられたケースの中で、大小のアワビが育っていた。昨日夕食でいただいたアワビもこれだったんだね。簡単な施設に見えるけど、養殖の技術は長い間の試行錯誤の産物なのだろう。
 となりの建物に入ると、大きな水槽にイカやらアナゴやらヒラメやらいっぱい泳いでいる。漁でとってきたものをここからあちこちに送るらしい。近くに止まっていた大きなトレーラーで博多まで運ぶのだろう。そんなに特殊な施設ではないはずなのに、間近で元気に泳ぐ魚たちには不思議な迫力があった。福岡は関西と比べて海産物は圧倒的に安くておいしいが、こういう場所が近くにいくつもあることがそれを支えているんだなあと実感した。
 それからスーパーによって買いものをし、ご主人の友人がされているお菓子屋さんに寄ってから、厳原のお土産屋で降ろしていただいた。ご主人には本当にお世話になり感謝しかない。次に来るかどうかもわからないこの2人のためにここまでしていただけたのは、単に商売ではなく、彼がこの土地を心から愛してる証拠だろう。たくさんお礼を言ってお別れした。ネットの評判欄でも思いきりほめた。
 帰りの船まで少し時間があったので、軽く食べてから図書館に入って時間をつぶす。地元の本を探して何冊か見るがあんまり面白くなかった。こういうとき車があれば近くをドライブとかして楽しめるのかもしれないけど…… そういう便利さを「あきらめて」しまっているのがいいのか悪いのか。対馬の図書館なんておそらく二度と来ないだろうし、そういうところで経験できることもあると思うんだけど。
 帰りの船は遅便で、妻は船酔いで苦しんでいた。なんとか寝入った妻を見ながら、こういう旅があとどれくらいできるのだろうと考えた。
 旅が楽しいとかよりも、ふたりで思い出を作ることに意味があるような気がする。普段持っている重荷を忘れて、そんなに感動できなくても「旅行の感覚」にひたることが、自分にとってもいいことなのかなあと思う。せっかく旅行に行ける余裕があるのだから、その時間の中で自分が生きている、生きていけていることを実感できれば、それだけでもいいって思いたい。自分が幸せであることを、もっとしっかり感じないと。(2011/6/26)


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