聞いてもらうだけでは

(mixiの日記より)
 1週間前にいやなことがあって、まだ落ち込んでしまっている。

 仕事は何とかこなしているが、家ではどうもモヤモヤして、集中して勉強できない。いつものパターンかなと思うのだが、どうしたらいいのか未だにわからない。

コーチングとかカウンセリングの本を読んでいると、よく
「相手の話をとにかく聞いて受け入れること」
「こちらの意見を言わずに、相手の言いたいことを全部聞くこと」

と書いてある。
 妻と話していても、こちらはつい意見を言ってしまいたくなるのだが、妻は「意見とか言わなくていいから、とにかくちゃんと聞いてほしい」と言う。生徒からも同じことを言われたことがある。
 とにかく話を聞いてほしい、受け入れてほしいと誰かが言うのなら、できるだけそうしてあげたいし、実際に昔と比べれば多少は聞き上手になっているような気もする。話を聞いてほしい生徒が昔より多くなったからではないかと思っている。
 しかし私自身は、自分の話を誰にどれだけ聞いてもらっても、それだけではほとんどラクにならない。自分がどれだけ言葉を尽くしても、相手がどれだけ真剣に聞いてくれても、自分自身の「本質」が伝わっているような気がしないからだ。
 自分の中にある、言葉だけでは表現できない感情、怒りとか悲しみとか寂しさとかの嵐のようなもの、それは話せば話すほどラクになるどころかスイッチが入ってひどくなることもある。カウンセラーに促されても「暴れたくないから話したくない」なんて言う患者って、他にいるのだろうか。
 松蔭のK先生は、私が会いに行くたびに心配して、病気のことを色々聞いてくれる。彼女はいい人だし、この友情は終生大切にしたい。しかし自分のことを話すほど、話している自分と聞いている相手の「距離」を感じて、息苦しさと寂しさを感じてしまう。
 彼女が私の感情を理解できないのは、私の表現力や彼女の感受性のせいではなく、そもそも他人の深い部分の感情を「理解する」「受け止める」「受け入れる」ことなど、普通の人間にはできないからではないだろうか。訓練されているはずのカウンセラーにも同じことを感じてしまうのは、私の感性が歪んでいるのだろうか。

 もし自分が本当に病気だとするなら、私に必要なのは病状に応じた「治療」であって、私の話は病状を知るための手がかりではあっても、話を聞くだけで病気がよくなることはほとんどあり得ないだろう。
 私のまわりの人たちが「聞いてもらうだけでラクになる」と言い、多くの本にもそのようなことが書いてあるのは、もしかしたら私がそういう普通の人たちと本質的にずれてしまっている、感情レベルで交われない状態になってしまっている証拠ではないのだろうか。

 ……吉野ヶ里遺跡の近くに大きい病院があると聞いたので、秋のうちに行ってみようと思っている。もしいけそうなら、来年の春から入院したい。
 これ以上同じことを繰り返しても意味がないので、思い切ったことをするしかないだろう。暴れないように強い薬を使ってもらって、その上で「狐憑きを落とす」しかないように思う。
 こんなふうに書くこと自体が甘えているのだろうけど、何かしないと自分の中の嵐を押さえられそうにないので、許してください。
 ……やっぱり自己嫌悪。何してるんだか。(2010/9/11)


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