たくらむ
(mixiの日記より)
佐賀の肥前国立精神療養所に妻と行ってきた。
小雨の降る中2時間ほどかけて随分田舎の病院に着き、少し待ってから若いお医者さんと1時間半ほど話し、やはりこちらの願いはかなわないと言われ、2000円払って帰ってきた。晴れていたら吉野ヶ里遺跡を見ようと思っていたが、雨だし寒かったのでまた今度。
鳥栖駅で2人で食べたかしわうどんがおいしかったのが救い……かな。
塾の方は冬期講習の予定作りや生徒との面談の連絡など雑用が続き、寝る時間が惜しい。
明日は冬休み前の最後の数学の授業なので、休憩時間を使ってケーキ&紅茶をサービスし、ついでに以前に打ち込んだクリスマスソングのカラオケを持っていって歌おうかと思っている。準備でまたこんな時間になった。
今から20年以上前、京都の小さな塾で初めてバイトをした時、引き継ぎをした先輩の先生は、見学した理科の授業の中で銅イオンの溶液を生徒に見せていた。
塾だとこんなふうにしているんだ、自分の好きなようにやっていいのかな、と思ったのがその後の私の「はめはずし」の始まりだった。
実験をしたり映画を見せたり、実験と称してシャーベットやイチゴアメをつくってみんなで食べたり、科学館に連れていったり、塾で通信をつくったり、生徒とコメントのやりとりをしたり、国語の授業では毎週作文を書かせて文集をつくったり、……そういう先生が他にどれくらいいるのか知らないが、自分の職場では私は常に「異端者」だった。誰も私と同じことをしなかった。
前に書いたことがあるが、私は別に実験が好きではないし、授業だけやってそれですむのならそうしたい。優秀な先生はおそらく勉強だけ教えて生徒に満足を与えているのだと思うし、そういう先生をうらやましく思うこともある。
それでも私がこんなことをしているのは、まあ生徒に楽しんでほしいというのもあるが、自分が異端者であることそのものに意味があるような気がしているからだ。
勉強だけ教えている先生がどれだけ優秀であったとしても、そうでない先生が存在してはいけない、という結論を私は持ちたくない。
教育が人間と人間の交流の形の1つである以上、教師の個性を最大限生徒のために発揮することが、最終的には子どものためになるという信念を、私は変えたくない。
……ここまでボロボロになっていても、目の前に子どもがいる以上、授業の予習をするのはもちろんだが、彼ら彼女らとどう関わるのかを最後まで考え続けたい。
あと4ヶ月もすれば全く違う生活になるのだから、今は自分のできることを全部やってみるつもりで、色々たくらんでみたい。どうせセンターが終われば、あと40日は毎日入試問題漬けになるのだ。今くらい食べたり歌ったりしてもバチはあたるまい。(2010/12/22)
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