国会議員をくじ引きで

 参議院選挙が近づいてきたが、どうも盛り上がる雰囲気がない。資料 によれば、衆議院選挙の投票率はここ2回が最も低く60%前後、1995年の参議院選挙の投票率は45%まで落ち込んでいる。
 「選挙に行こう」とよく聞くが、自分の望む政策を掲げている政党がある保証もなく、政治に対する不信感がつのっている今の状況では、投票率が下がるのは当然なのかもしれない。私は今まで棄権したことはないが、自分の投票した人が落選を続けると、自分のやっていることに意味があるのだろうかという気になってしまう。
 世の中の色々な課題についてたかだか5つか6つの政党から選ぶのは、まじめに考えればムリだ。どんなに候補者が「国民のための政治」と言っても、何が国民のためなのかは聞かなければわからないこともあるだろう。投票に行くことに意味はあるだろうが、投票さえすればそれだけでOKというわけでもないだろう。
 重要な政策決定についてはその都度住民投票をしたらどうか。政党や候補者を選ぶのではなく「政策」そのものを選ぶのであれば、もう少し投票に意味と責任が感じられるだろうし、「政治が悪い」という無責任な言い方も起こらなくなるだろう。
 1ヶ月に1回くらい、選挙の投票所のようなところで「討論会」を行って、議員や住民の意見を戦わせてから投票するようにしてはどうか。本来民主主義とはそれくらい手間をかけるべきものであろう。衆愚という言葉もあるが、本来国民主権とは衆愚を認めることではないのか。優秀な政治家の選択が国民の選択より優秀であるというのは、現代では危険が大きすぎないか。
 選挙が身近に感じられないのは、選挙によって選ばれる人が身近に感じられないこととつながっている。お金も組織も知名度もない人が当選することは現状では不可能だ。2世や3世の議員が多いのは、政治家が選挙に当選するためのシステムを丸ごと抱えているからだろう。もし国会議員が10万人くらいいて、国会議員が町内会長と同じくらいの規模で選ばれるようになれば、今よりも「国民の代表」として実感できるかもしれないが、今は議員を減らそうという声しか聞こえない。
 いっそ選挙をやめて、国会議員は有権者の中から「くじ引き」で選んではどうか。政治は本来全国民の仕事(責任)なのだから、やりたい人だけがやることはないだろう。4年間なりの生活の保障と、元の仕事(会社)に戻ることができる保証を与えた上で、政治活動をしてもらうのだ。これなら特定の人脈で国会議員が占められることはないし、たとえばしょうがい者代表・アイヌ代表を選んだり、男女比の調整もできる。再選される確率もほとんどない。自分が将来徴兵されるかもしれないとしたら、徴兵制に賛成するということも簡単にはできないだろう。
 素人に政治ができるか、という問題は当然ある。しかし民主主義を突き詰めて考えれば、素人にでもわかるような政治でなければならないのだ。そのために国家公務員がいて、議員をサポートするべきなのだ。
 むろん現状ではこんなことはムリだろう。しかし政治を変えていく方向として、政治を専門家に任せないという考え方は重要だと思う。将来の議員を育てるとなれば、学校での社会科の教え方も変わってくるだろうし、こんなアイディアが実現しないとしても、教師は「議員を育てる」つもりで授業をするべきだ。
 裁判に「素人」が参加する時代になったのだから、もっと政治に直結する議員にも「素人の起用」を考えてもいいのではないか。(2004/7/6)


意見・異見 一覧に戻る

最初に戻る

inserted by FC2 system