熱はどこから来るか

 徹子の部屋に義家弘介さんが出ていた。『ヤンキー母校に帰る』の先生だ。本もドラマも知らないのだが、対談を聞いているうちになぜか息苦しくなって、途中10分ほど挫折してしまった。小さい頃に母親が亡くなり祖父母に育てられ「不良」になり、大学生の時に交通事故を起こし生死の境をさまよい、そこで看病してくれた恩師に影響を受けて母校の教師になった……といういきさつは、どことなく『夜回り先生』の水谷修さんと重なって見える。
 「子どものことがわからないと言って光をあてようとするオトナがいるが、光をあてれば必ず影もできる。俺は光でなく熱をあげたい。熱は暗い場所にも伝わるから」という言葉が印象に残った。数年前生徒からもらった年賀状に「今年も"熱"持って教えてください!」と書いてあったのを思い出した。
 子どもへの"熱"とは何か。教師としてのやる気とか情熱というのとは少し違う気がする。そういうものも含んでいるが、もっと大きい意味で子どもに人間として寄り添いたいという「感情」のようなものだと思う。義家さんや水谷さんの活動が、普通に定められている「教員」の業務の範疇を越えていることからも、そう思う。
 子どもへの"熱のようなもの"が少しは自分の中にあるのも感じる。しかし前に書いたように、私には多分水谷さんのような、あるいは義家さんのような"熱"は持てない。さらに同じ教師でも、年齢によって状況によってさらに相手によって"熱量"が変わることもあるだろう。
 義家さんと水谷さんが共通して言っていたのは「私が子どもを助けているのではなく、子どもが私を助けてくれている」ということだ。私にもそういう感覚がある。人間をつくるというとんでもない作業をしている当事者は、私ではなく子どもだ。人間の成長を目の当たりにするのは、何より教師にとっての感動であり支えであり、主観で言えば教師はただ立ち会っているだけだ。
 子どもへの"熱"は一方通行のものではなく、お互いにやりとりをすることで続いていくのだろうか。オトナの側がオトナなりの"熱"を与えることで、子どもからは子ども流の"熱"を返してくれるのではないだろうか。子育てをしている人のほとんどはおそらくそういう感覚を持っておられるのだろうが、教師にはそういう考え方が(建前上は)ない。だから義家さんや水谷さんの言葉が新鮮に響くのだ。
 しかしこのようなオトナと子どものやりとりがいつでもできるとは限らない。「愛し方がわからない〜」などというコマーシャルが大手を振って放送されるのはなぜか。コマーシャルが世相を反映するとは限らないとしても、子どもを愛したいという気持ちがありながら、子どもとの"熱"のやりとりができない人が少なからずいるという意味だろうか。
 人間は自らの行動を律することはできても、自らの感情を完全に律することはできない。本当に悲しい時は何をしても悲しいし、何かへの憧れを理屈で押さえ込むこともできない。子どもへの"熱"がある種の感情であるとすれば、それを自分の意志や努力でつくり出すこともできないことになる。義家さんや水谷さんのような活動ができる人は「天賦の才能」があるということか。
 これは教師よりも、子育て者にとって大きな問題である。すべての教師が義家さんや水谷さんのようになるのはおそらく不可能だが、子どもに最も寄り添うべき子育て者にはどうしてもこの"熱"が必要だと考える。白状すれば、これは理屈というより、かつて子どもだった私の切実な実感である。
 子どもへの理屈抜きの感情を持つ人間になるにはどうしたらよいか。親になれば無条件に"熱"を持てるわけではないだろう。子どもと一緒に親として育っていくという言葉もあるが、本当にすべての親がそれで間に合うのか。子どもに関わる家族以外のオトナの数が減ってしまった今、せいぜい2人しかいない親に"熱"がある保証はあるのか。自分の意志でつくり出すことのできない"熱"がないからといって、親を責めることができるか。
 子育て者以外のオトナを含めて、"熱"がどこから来るか、"熱"を持ち得ない人間がどうやってその代わりをつくり出すか、真剣に考えることが、子どもとオトナの幸せにつながるだろう。義家さんや水谷さんの生き方は、そのヒントを示してくれている。(2004/11/23)

 義家弘介さんの公式ホームページはこちら

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