なくなるのを待っている

 北朝鮮の拉致問題を初めて聞いた時、これで日本人も朝鮮人の痛みがわかるようになるのかなと思った。「踏まれた痛みは踏まれなければわからない」という言葉通り、自分が被害者の立場になれば日本が朝鮮人に対してやったことの重みを感じるのではないかと、少し期待した。
 実際は全く逆の方向に進んだ。今や日本人は北朝鮮を憎むのが当然のような論調である。経済制裁の次に来るのが軍事力行使であろうと考えると、憲法改定はこのためではないかと疑いたくなる。
 北朝鮮の報道を見ていると、あの国はまさしく戦前の日本のコピーである。終戦までのカルト天皇制信仰(の強制)は、現在の金体制への忠誠の強制と全く同じである。物資が少なく経済が軍備に偏重しているのも、まわりの国からにらまれ孤立しているのも、国家体制への反逆者に対するしうちも酷似している。違うのは今の北朝鮮が、まだ「開戦」していないことだけだ。当時の日本を賛美する人間が北朝鮮を敵視するのは滑稽である。テレビのワイドショーで、北朝鮮の報道の後に「愛子様は……」などとやっているのを見ると、ギャグではないかとと思う。
 水俣病の映画を初めて見た時の衝撃は今でも覚えているが、それから勉強して知ったのは、政府には本気で患者を救う気がないということだった。現在に至るまでそうである。関西訴訟で患者側がやっとやっと勝訴したにもかかわらず、認定基準について未だに政府は基準を変更しない。曰く「司法と行政による水俣病のダブルスタンダードもやむを得ない(炭谷環境省次官)」。
 極論すれば、政府は国民のためではなく政府のために政治をしているのだ。必要に応じて、国民のために政治をしているふりをしているだけだ。時間を伸ばしていけば患者さんはいつか亡くなり、被害を訴える声は聞こえなくなる。政府は患者の立場に立ってどうするかを考えるのではなく、いてほしくない人が亡くなるのを待っているのだ。
 戦争責任についてはもっとひどい。従軍慰安婦問題を見ていると、日本人がどれだけ無責任で冷たいかを見せつけているようで、話を聞くだけでも辛く恥ずかしい。藤岡信勝氏は「従軍慰安婦はビジネスである」と言ったそうだが、この人は慰安婦がどんな状況でそこにいたのか想像できるのだろうか。
 たとえば1941年当時、陸軍第二七師団の歩兵団長(少将)であった鈴木啓久氏はこう述べている;
 「私ハ巣県ニ於テ慰安所ヲ設置スルコトヲ副官堀尾少佐ニ命令シテ之レヲ設置セシメ、中国人民及朝鮮人民帰女20名ヲ誘拐シテ慰安婦トナサシメマシタ」
 藤岡氏の家族がこんな目にあっても、彼はビジネスと言うのだろうか。
 強制連行がなかったから責任がないという論もあるが、仮にそうであっても、慰安婦にならざるを得ないような状況を作ったのは誰か。朝鮮を併合し属国としておいて、その中で軍に慰安婦を引き込んだとしたら、それは宗主国である日本の責任ではないのか。だまされて慰安婦になった人もいるが、「北朝鮮に拉致された人の中にはだまされて連れて行かれた人もいる。強制連行ではないから責任はない」と言ったらどうするのか。
 「日本はいいこともした」という人もいるが、そんなことは日本の中で自慰的に言うことではなく、相手の国の人に言うべきことであろう。「北朝鮮に拉致された人には大学まで進学した人もいた。北朝鮮もいいことをした」と言われたらどうするのか。
 「朝鮮は日本の属国だったのだから、朝鮮人を日本に徴用したのは合法であって強制連行ではない」という人もいるが、いったいその法律をつくったのは誰か。自分に都合のいい法律をつくって合法的に連行しただけではないか。また本当に「属国の人間」として扱うならば、戦争が終わろうが朝鮮が独立しようがその人々の被害について責任を負うべきではないのか。
 「日本がしたことはもう過去のことだ。時代が違う」という人もいる。しかし従軍慰安婦の人も、日本の行為によって生み出された在日朝鮮人も生きている。もし被害者がいなくなれば問題がなくなるというのであれば、北朝鮮も同じ方法をとるだろう。日本政府が今までずっとそうしてきたように「被害者が亡くなるのを待つ」だろう。その時日本は相手を非難できるか。
 どう考えても、日本人が中国や朝鮮でしてきたことの方が北朝鮮の拉致よりひどい。そのことを認めず相手の行為だけを非難しているのは、要するに拉致そのものを問題にしているのではなく、政府の利害に拉致を利用しているだけなのだ。本気で「人間に対する犯罪」として拉致を非難するのであれば、なぜ従軍慰安婦に目をつぶるのか。なぜ水俣病の問題を黙認するのか。なぜ毎年数百人が病死する釜が崎を放置しているのか。
 自分にとって都合のいい問題だけを取り上げて感情的に騒ぐのは、自分にとって都合のいい方向に世論を誘導しようとしているだけでなく、その「都合のよさ」によって結局拉致問題の解決自体をも妨げていると思う。本気で北朝鮮と向かい合うのであれば、自らの行ったことの責任をごまかしたり逃げたりするのは逆効果であろう。北朝鮮国営放送の「日本はもっと悪いことをした」というコメントは、歴史を知っている北朝鮮の人にはアジテーションではなく真実として聞こえるだろう。日朝間の歴史を無視して拉致だけを騒ぎ立てても、北朝鮮の人々にはほとんど説得力を持たないだろう。日本によって数万人を殺された国の人間が、なぜ数百人の拉致の責任だけを一方的にとらなければならないのか。そう言われてまともに言い返せる日本人は本当にいるのか。相手の言い分に理があるのは、自国の歴史と向き合わずごまかしながらやってきた日本人そのものの責任だ。拉致問題の解決を妨げているのは、実は最も北朝鮮を非難している政府の人々なのだ。
 日本や北朝鮮の政府はそんなに信用できるのだろうか。「対話と圧力」というが、脅しをかけながらまともな対話は成り立つのか。そもそもあのような国会答弁しかできない総理大臣に、まともな対話ができるのか。日本を戦争に駆り立て大量の日本人を殺す元を作った祖父・岸信介を尊敬すると言い、アメリカの人殺しを全面的に支持している安倍氏が、拉致被害者の生命だけは本気で守る気があると言えるか。
 拉致が解決されなくてもいいと言っているのではない。自分の国が与えた加害を無視して受けた被害だけを訴えることは、戦略的にも人道的にもまちがっている。北朝鮮の国民と向き合う機会をつくること、その中でお互いの加害と被害を理解し合うこと、その中でしか本当の解決はあり得ない。自分の都合だけを一方的に主張してうまくいくほど、国と国との交渉は甘いものではない。北朝鮮の犯罪がどんなに悪質でも、それは変わらない。
 せめて在日の人々と拉致被害者が、国家による被害者としての共通認識を持つことはできないのだろうか。薬害エイズ患者も水俣病患者も従軍慰安婦も差別される在日の人も拉致被害者も、本質的にはすべて同じ「被害者」なのだ。人間のために働かない政府を変えようとする運動としてみんなつながることができるはずだし、政府を変えようとするならばそれしかないと思う。同じ方向で運動できるはずの人々が分断されているのは、自分の利害しか考えない政治家の利益になるだけだ。そして今の流れが本当に軍事行動へとつながっていけば、さらに被害者は増える。戦争で利益を得る者以外は誰も望んでいない事態が起こるだけだ。そのときに日本人は、自らの歴史から学ばなかった代償を払うのだろうか。亡くなっていく被害者、そしてなくなっていく加害と被害の記憶を放置しておくのは、被害の繰り返しを招くだけだ。本当の加害者は、それを待っているのだ。(2004/12/13)


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