テスト対策の「主義」化

 今まで4つの塾で働いてきたが、塾での学校定期テスト対策についてはそれぞれ違っていた。塾の方針や土地柄の違いもあるのだろうが、全体としてある流れを感じる。

 @20年前 バイトで勤めた京都の塾では、学校のテスト対策というものはなかった。生徒も学校のテストについてこちらに言ってくることもなかったし、こちらも学校のテストに対応する意志がなかった。もちろん入試があるので、学校の成績を調べたり勉強の仕方について子どもと面談したりしていたが、具体的にこちらから何かをすることはほとんどなかった。
 A13年前 次に勤めた京都の塾では、クラスによって学校のテストへの対応が違っていた。私立高校をめざすクラスでは内申がほとんど関係ないので、学校のテストは全く無視していた。公立高校をめざすクラスでは、テスト前になるとその範囲の復習を授業でしたり、プリントをつくったりしていた。しかし塾の方針として学校のテスト対策をすることを売りにしているわけではなかった。自分の教えていないクラスの手伝いに行ったとき、学校のテストの過去問が塾に置いてあるのを見て驚いた記憶がある。いくら何でもセコくないか……? 私自身は学校の過去問を生徒に配るのは"邪道"だと思っていた。塾の授業がうまくいっていれば学校のテストにいちいちこちらから動く必要はないので、テスト対策をするのはいわば「敗北宣言」のように感じられた。
 B10年前 初めて正社員として勤めた大阪の塾では、勤めてすぐに学校のテスト対策に駆り出された。高校生の定期テスト対策授業をすると聞いて、「そんなことしたら逆に生徒が勉強しなくなるのでは……?」と上司に言ってしまった記憶がある。甘やかしにしか思えなかった。実際に高1に化学を教えてみると、学校の授業が全くわからない、という声をたくさん聞いた。学校の授業がわからないのは基本的には高校の責任であって、その責任を高校側が自覚しなければ生徒のためにもならないし、塾でドロナワ授業をしても根本的な解決にはならない。
 「ちゃんと聞いてもわからないのは高校の先生が悪いんだから、文句を言いなさい。それでダメなら誰でもいいから、高校の先生で教えてもらえる人を探して、普段からわからないところを教えてもらいなさい。普段の授業がわからないで、テスト前だけ誰かに教えてもらってなんとかしようって思っていたら、どんどん勉強ができなくなるよ。本気で勉強したいのなら、もうこの授業には来ないでください」
 などと言ったように覚えている。基本的な考えは今も変わっていないが、初対面の教師にこう言われたら高校生にはショックだったかなあという反省はしている。
 高校生でもこの調子だから、中学生のテスト対策はすごかった。この塾に来た頃は特定の中学校(テストが難しい、と言われている中学)だけ学校別の対策授業を組んでいたが、そのうちすべての中学用の対策授業をするようになった。すべての中学別に授業をしていたら講師が死んでしまうので、理科についてはテスト範囲別(単元別)の対策授業セットをつくり生徒を誘導した。対策用のプリントを印刷するために徹夜したこともある。
 この塾では各中学のテストの過去問がファイルしてあり(生徒から問題を借りてコピーさせてもらっている)、過去問をほぼ自由に使うことができた。テストの問題を見ているとその先生がどんな授業をしているのかある程度イメージすることができる。基本問題しか出さない人、やたらと授業の内容に結びつけて設問する人(授業の内容を思い出して……しなさいという問題。理科室が何階にあるか? なんてのもあった。授業を聞かせるためにテストを利用しているのか?)、入試問題を露骨に貼りつける人、1問1点で100問出す人、等々。市販の問題集や塾のテキストの問題より学校の実際のテストの方が個性的だった。
 たくさんのテスト問題を見ているうちに、学校のテストの問題を直接生徒に解かせる方がいいような気がしてきた。本物のテスト問題の方が生徒のやる気が出るし、傾向を読み取りやすい。予想問題をつくる手間から逃げているとも言えるが、そもそも学校のテスト問題を予想するのがバカバカしい作業であって、過去問をさせてそれですむならかまわないようにも思えた。我ながらいい加減セコくなってしまったのだろうか。
 この塾でもっとも学力的にしんどいクラスを持ったとき、学校のテスト問題を編集してプリントをつくり、塾の普段の授業で使ったことがある。塾の教材と学校のテスト問題の"感じ"が違いすぎて効率が悪いと考えた。「これでいいのか?」と自問自答しながら延々と問題の切り貼りをしていたが、このプリントは予想以上に役に立った。いくつかの中学のテスト問題を混ぜて解かせていくと、よく出る問題は自然にたくさん解くようになるし、学校間で差はあるにせよだいたいの問題のレベルの見当もつく。入試演習で過去問をさせるのが一番練習になるのと同じだ。気持ち悪さはついて回ったが、生徒はそれなりに熱心に解いてくれたし、テストの点も伸びた。結局それから中学のテストの過去問をずいぶん授業で使った。麻薬のようなものか?(書いていて言い訳に思えてきました)
 C今年 この前までバイトで勤めていた近所の塾では、学校のテスト対策にかなり多くの授業を組んでいた。私も手伝いで4時間ほど授業を持ったが、学校別・学年別・科目別にそれぞれ2〜3時間をあてており、普段の授業をつぶしてテスト対策をかなり綿密に行っていた。塾の廊下には中学の定期テスト得点の上位者が貼りだしてある。塾の方では「自主的に勉強しなければいけない」という言い方をしてはいるが、テスト対策の授業に参加するかどうかを一律に生徒に指導しているようにも見える。入試にとって内申が重要であることは間違いないが、ここまでしなければならないのか……という気持ちも未だに抜けない。しかしいざ授業が始まってしまえば「3年生にとって学校のテストは入試の本番と同じや!」などとハッパをかけてしまう自分がいる。目先の子どもの利益を考えれば間違いではないが、この作業の反動がいつか子どもに来ることへの不安をぬぐい去れない。

 自分の働いてきた職場での流れで言えば、明らかに塾の授業の中での「学校のテスト対策」の比重が大きくなってきている。土地柄や個々の塾の方針だけではない、時代の流れだと思う。
 年々ひどくなっている塾の過当競争がテスト対策を煽ってきたこともあるだろう。塾側の考え方が過保護になったり、子どもや保護者の要求するものが過大になってきているのもあるかもしれない。
 子どもの側からこの情況を考えてみると、塾に対する依存を強めるという効果がある。勉強についてはすべて他人(塾)に任せればよいという考えの子どもは少なくない。この考えは習慣化し、テスト前に質問に来る高校生、ひどいときには大学生もいる。塾が自ら学習する気力を奪っていると言える。
 おそらく昔は、学校のテスト勉強は自分でやるという原則が子どもにも塾にもあって、塾が積極的に学校のテスト対策を行うという考えそのものが成り立たなかったのだと思う。学校でわからなかったところを塾で質問することはあっても、学校のテスト勉強そのものは自分でするのが当然だという考え方があった。それが現在のようになってきたのは、他の場面でも見られることであるが、子どもの自主性をオトナが(オトナ側の理由で)奪っていったためだ。
 テスト対策によって点数をあげることは、子ども本人にやる気があればそれほど難しいことではない。その気になればヤマを張ることもできるし、効果的な方法をいくらでも考え出せる。しかし効率のいいテスト勉強と、効率よく学力をつける勉強とは違う。この2つを混同してしまうことによって、本来塾の仕事ではなかったテスト対策が"営業"として成り立つようになり、テスト対策主義とも言えるような教え方が現れたのだと思う。私自身がその中に浸ってしまっていることを認めざるを得ない。
 塾のカリキュラムは普通学校より先に進むから、塾の授業がきちんとこなせていればもともと学校のテストにも対応できるはずだし、実際@Aの塾ではほとんどそうなっていた。塾の本来のカリキュラムだけで学校のテストに対応できないというのは、
  1. 塾の授業のレベルが学校の勉強のレベルに対して下がっているのか、
  2. 学校のテストが難しくなっているのか、
  3. 生徒が塾でやってきた勉強を学校で役立てられないか
のどれかだと考えられる。はほとんど考えられない。ははっきりわからないが、私自身の授業について振り返ると、昔よりも噛み砕いて、また生徒の状況に合わせてレベルを下げているとも言える。しかし塾の授業を消化していれば学校のテストで90点とれるくらいの内容はやっているので、学校(教科書)の内容より低くなっているとは思えない(一部の中学の、一部の異常に難しい問題にはたしかに対応しきれない。その場合はまさしく「テスト対策」をするべきかもしれない)。私から見ると一番ありそうなのはで、塾の勉強を学校のテストに役立てたり、逆に学校で学んだことを塾で使ったりすることが不得手になっているように見える。学んだことの深い意味を理解せず(させられず)、目先のテストのためだけの「短期パターン暗記」に慣れて(慣れさせて)しまっている。そのために普段の塾の勉強と学校のテストのための勉強を有機的に結びつけられず、学校のテストのための勉強を形として塾でしつらえないとうまく点数がとれなくなっている。子どもの話を聞いていると、塾に行っていないが学校の成績が抜群にいい子どもがどこの中学にもいる。こういう子は塾に通っていない分学校の勉強に集中することができ、勉強とテストとの関係を正しく捉えられているのだと思う。
 テストの点数に現れるような学力と、自分が何を理解しているか・何をどう学ぶべきかを試行錯誤しながら判断する学力とは違うものだろうが、後者については学力テストなどで調査されている前者以上に低下している(させている)と考えるべきであろう。これはもちろん塾の責任でもある。テストのための勉強を子どもに強いることによって「勉強のためのテスト」であることを忘れさせ、子どもの自ら勉強する力を奪っているのだ。高校や大学に入ってもテストのための勉強しか知らず、系統だった学問の魅力を感じられないまま学校を出て行くとしたら、テスト対策主義はたちの悪いものである。そしてそのような兆候は私の教えた生徒に既に見られる。
 テストでいい点をとりたいという子どもの気持ちに"流されて"しまうことと、内申を上げることによって入試を有利にするという大義名分(?)が、テスト対策を過剰に子どもに浴びせる原因である。塾教師は悪意でテスト対策を立てているわけではない。生徒もテスト対策の授業があることに反感を感じない。学力を下げるテスト対策をやめるためには、勉強や学力に対する長期的な視点が必要だろうが、そこまでの余裕を持てない生徒と教師、そして営業上の理由(と思われているもの)が共同して、この流れをつくっていると考える。
 塾が生き残っていくために「テスト対策主義」が必要とは言えないだろう。そのような方法をとらない塾も少なからずあることを私は知っている。しかし塾がテスト対策から離れるためには確信と勇気、そして子どもや保護者の支持も必要である。さらに受験との関係もある。簡単なことではないかもしれない。しかし目先のテストにこだわりすぎるのは生徒や塾自身にとってマイナスになることを、少なくとも当の塾関係者や子どもや保護者がもっと実感するべきであろう。私もこのような文章を公にすることによって、「テスト対策主義」から決別する努力をすることを明言したい。(2005/8/1)


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