説明技術の追求を

 中学校の理科では「折れ曲がったグラフ」が出てくる問題がいくつかある。大阪の公立高校入試ではかつて次のような問題が定番であった;
石灰石に塩酸を加えていくと、気体(二酸化炭素)が発生する。ある決まった量の石灰石に塩酸を加えていき、加えた塩酸の量と発生した二酸化炭素の量の関係を調べると、グラフのようになった
 問題を解く前になぜこのようなグラフになるかを説明するのだが、これがなかなかうまくいかない。私は次のような、半分余談のようなたとえをしていた。
「先生は中学生の頃、片思いの彼女にケーキをつくって贈っていました(ウソ)。ケーキをつくるには、卵と小麦粉がいります。卵1個と小麦粉1袋でちょうどケーキが1個できます。卵3個と粉3袋ならケーキはいくつできる?」
(生徒)「3個」
「じゃあ卵2個と粉3袋だったらケーキは何個できる?」 「2個」
「卵5個と粉3袋だったら?」 「3個」
「そうだね。ケーキは少ない方の量に合わせてしかできないね。それなのにYは卵2個に粉5袋も買ってきて、母に怒られました。アホやったんやねえ(ウソ)。
 じゃあこの反応について考えてみましょう。石灰石の量が決まっていて、塩酸の量を少しずつ増やしていくんだね。
 グラフをかいてみよう。石灰石の量は決まっているから、青い線で同じ長さを並べてかきましょう。塩酸はだんだん増えていくから、同じ割合でだんだん長くなるように赤い線で並べてかきましょう。こんな感じで;
 わかる? 反応する一方がずっと同じ量でもう片方を増やしていくと、少ない方に合わせて反応が起こるから、こんな形のグラフになるはずやね」

 という説明でどれだけ生徒が理解するかは相手によるが、最初はこれで一応終わらせてしまう。この場合のポイントは少ない方に合わせて反応が起こることで、それを直感的に納得させるためにケーキの話を出している。
 教科書や参考書を見ても、このような「たとえ方」は書いてない。別にたとえなくてもわかりやすく説明できればいいのだが、この話をまともに説明して理解させようとするとかなり手間がかかるような気がする。たとえば石灰石30gと塩酸60mlでどちらも余らずに反応し二酸化炭素が300ml発生するとすると、
  石灰石 + 塩酸 → 二酸化炭素(+塩化カルシウム+水)という反応で表を書いて(単位は省略)
  石灰石  塩酸  二酸化炭素  何があまるか 
     30   60      300  どちらもあまらない
    30    0        0  石灰石が30あまる
    30   20      100  石灰石が20あまる
    30   40      200  石灰石が10あまる
    30   60      300  どちらもあまらない
    30   80      300   塩酸が20あまる
    30  100      300   塩酸が40あまる
 この表が書ければ、表の1〜6の行を見てグラフにすることはそれほど難しくないが、時間がかかる割にイメージをつくりにくいように思う。理解することとイメージを持つことは厳密には違うが、中学生では理屈をわかることと同じくらい「直感できるイメージを持つ」ことも重要ではないだろうか。
 このタイプのグラフはもう1つあって、私立高校入試で時々見る「光合成曲線」である(なぜか女子校でよく出る)。横軸に光の強さ、縦軸に二酸化炭素の吸収量(光合成の量、負の値は呼吸の量)をとってグラフをかくと、先のグラフを下にずらした形になる。厳密には高校内容であるが、今と同じ理屈で中学生にも理解させることはできる。ただし先の反応と違って、物質量ではなく光の量で反応が制限されるので、よりイメージに頼らざるを得ない(光合成の明反応を教えない限り、厳密に理屈で納得させることはできない)。このグラフについて説明するのはたいてい入試の直前になるのでたとえを使う余裕がないことが多い。しかも出題のポイントが上の化学反応とは異なり、光以外の要因について問われることもないので、光飽和点の説明だけを簡単にしてしまっている。むしろ中学生にはグラフが曲がる理屈を飛ばして、実験結果としてこのようになっている、解釈はこのようにされている、それ以上のことは高校で習うから今はパス、それよりも(問題を解くための別の見方を)…… という言い方で進めてしまう。これは塾講師のセコいところなのだろうが、もっとうまい言い方があれば習いたい。
 グラフが折れ線になるのは、光合成量を決める要素(光、二酸化炭素、温度など)の中で、最初の光合成量が増加する部分では光が「最も少なく」、光飽和点(図のa)より光が強いとそれ以外の条件が「最も少ない」からである。この最も少ない条件を制限要因というが、高校生用の生物資料には制限要因についての「たとえ」が載っている。1つは水を入れる容器の壁の高さにたとえたもので、最も低い壁の高さによって水の入る量が決まるというもの(左図、数研出版『生物図録』他に浜島書店の生物図表も同じパターン)。もう1つは、みんなで山に登るとき、全員が頂上に着くまでの時間は最も遅い人の速さで決まるというもの(右図、啓林館『図解フォーカス生物』)。他の事例についてもこのようなたとえがたくさん載っているわけではないから、やはりこのグラフの意味はわかりにくいのだろう。このような説明ははじめの化学反応に対しても有効だと考えられるが、教科書や指導書などでは見たことがない。市販の参考書には載っているものがあるだろうが、要するに個々の執筆者がバラバラに書いているだけで、様々な説明法について比較検討しているような文献は見当たらない。(あったら教えてください。お願いします)
 私は色々な場面で上のような(下手な)たとえを使うが、塾や学校の他の先生がどうされているのかよくわからない。ある事項についてどのような説明の仕方があるのか、それらの説明にはどのような長所や短所があるのか、どういう生徒にはどのような説明が主に有効か、それは患者と治療法の対応のように多種多様であろう。説明の内容だけでなく、教科書だけで説明するか、ノートをどう使うか、どんな構成のプリントが有効かそうでないか、具体的な説明のための技術について、それぞれの科目について教師が情報を交換できる場があれば非常に有用であろう(別の科目の技術も大いに参考になるだろう)。私は教育学部出身ではないので、理科の教え方については教育実習以外では大学での「理科教育法」しか学んでいないが、そのような説明技術についての授業は皆無だったと思う。そもそも大学で学んだから十分というものではあるまい。医者が常に最新の医療技術を追求して駆使するように、教師の説明技術も常に最新の知識を調べられるようにするべきではないか。
 私にとっては、説明の仕方(場合によっては実験も1つの説明である)を考えることは楽しみであって、独自の説明やたとえを持っていることが自信につながっている。そのような教師はたくさんいるだろう。かつて学校に勤めていたとき、ベテランの講師の方が「同じことをクラスごとに5通りの説明で教えた」という話を聞いたが、私にはこれほどのことはできない。このような個々の教師のノウハウを共有する方法はないだろうか。TOSSなど授業法・教え方の共有をめざす運動や雑誌などは存在するが、もっと細かいレベルでの「説明技術の共有」はできないだろうか。(2005/7/5)

意見・異見 一覧に戻る

最初に戻る

inserted by FC2 system