オトナの学力低下

 選挙になったが、小泉政権への支持率が上がっているらしい。日経によれば43%から47%、毎日では37%から46%、共同通信では43%から47%などなど。支持率が上がったことよりも、今の情況で4割以上の人がこの首相を支持していることが不思議だ。本当にこの人(政権)でこの国がいい方向に行くと思っているのだろうか? これは政治学とか社会学ではなく心理学の領域ではないかと思えるが、誰か真面目に分析してもらえないだろうか。
 郵政民営化とか構造改革とか言うが、民営化は改革と言うより「構造放棄」という方が正しい。本気で改革というのであれば、公社の形のままでムダをなくすことだって考えられるだろう。ムダを是とする公務員の姿勢、それを支えるシステムを改革することは、民営化とは逆の方向のものだ。現状でムダが多いのであれば民営化する前にその責任を問うべきであって、それはかつて郵政大臣であった小泉氏自身の問題でもある。要するに政府の力では公務員の不正をただす力がないから資本主義に任せてしまおうということであって、これは「私には改革できません」というギブアップ宣言にも等しい。民主党にも民営化に賛成する人が多いが、結論はとにかく民営化以外の改革が議論されないのは、自らの力不足を白状しているようにも見える。これは構造改革ではなく「構造改悪」ではないか。
 小泉内閣メールマガジンから、総理大臣の言い分を見てみよう;

● 郵政解散
 小泉純一郎です。
 8月8日、衆議院を解散いたしました。小泉内閣の「改革の本丸」と位置づけてきた郵政民営化法案が参議院本会議で否決され、廃案となりましたが、1.私は本当に国民の皆さんがこの郵政民営化は必要ないと思っているのか、直接聞いてみなければならないと思い、衆議院を解散しました。
 いわば、今回の解散は「郵政解散」です。郵政民営化に賛成してくれるのか、反対なのか、これをはっきりと国民の皆さんに問いたいと思います。
 2.今まで、すべての政党が郵政民営化に反対してきました。なぜ「民間にできることは民間に」と言いながら、この郵政三事業だけは民営化してはならないと言うのか?私はこれが不思議でなりません。
 3.郵便局の仕事は本当に公務員でなければできないのか?役人でなければできないのか?私はそうは思いません。「大事な仕事だから公務員でなければだめだ。」と言う人がいますが、それこそまさに官尊民卑の思想です。それは民間人に失礼だと思います。
 郵便局の仕事は民間の経営者に任せても十分できる、むしろ、民間人によってこの郵便局のサービスを提供していただければ、今よりももっと多様なサービスが展開できる、国民の利便性を向上させる。民間の経営者は、国がこういう商品を出しなさい、こういうサービスをやりなさいと義務づけなくても、国民に必要な商品やサービスを展開してくれると思います。
 私は、「この郵政民営化よりももっと大事なことがある。」と言う人がたくさんいることも知っています。しかし、この郵政事業を民営化できないでどんな大改革ができるというんでしょうか。私は、前々からこう言っているんです。「行財政改革をせよといいながら郵政民営化に反対することは、『手足をしばって泳げ』と言うようなものだ。」と。
 4.本当に行政改革、財政改革をやるんだったら、郵政民営化の実現なしには進められません。郵政三事業には約38万人の公務員が携わっている。私は、これを民間人に開放するべきだと言っているんです。私は、郵便局は国民の資産だと思っています。過疎地の郵便局もなくなりません。今の郵政三事業のサービスは、民間人に任せても、地方においても、過疎地においても維持される、十分にできます、ということを言っているんです。
 5.約400年前、ガリレオ・ガリレイは、天動説の中で地球は動くという地動説を発表して、有罪判決を受けました。そのとき、ガリレオは、「それでも地球は動く。」と言ったそうです。
 今、国会では「郵政民営化は必要ない。」という結論を出しました。「それでも郵政民営化は必要だ。」と私は思います。私はもう一度国民の皆さんに聞いてみたいと思います。
本当に郵便局の仕事は公務員でなければできないのか、民間人でやってはいけないのかと。
 そして、郵政民営化についての国民の皆さんの支持を得て、衆議院で過半数の勢力を得ることができれば、参議院の反対した皆さんも協力してくれると思います。選挙終了後国会を開いて、郵政民営化の法案を成立させるように努力していきたいと思います。

(小泉内閣メールマガジン第200号より「小泉総理のメッセージ」 改行位置を変更、下線と番号は引用者による)

 私は国語の教師ではないが、この文章を読解してみよう。
  1. 郵政民営化についての是非を問うのであれば、選挙ではムリだ。民主党の多くの議員も、今回反対した議員の中にも、民営化自体に賛成している議員はいるのだから、それらの議員間の差を問うことはできない。国民投票が望ましいが、それがムリなのであれば一度政党を再編して「民営化賛成党」「反対党」にしなければなるまい。要するにこれは「私の意見に賛成かどうか」「郵政民営化に賛成かどうか」に言い換えているトリックである。
  2. 「すべての政党が郵政民営化に反対してきました」とはどういうことか。自民党は賛成していないのか。公明党や民主党ははっきり民営化に反対しているのか。すべての政党が「民間にできることは民間に」と言っているのか。そう言っていない政党(実際)に対しては、この文章は全く無意味である。これもすりかえの1つであろう。
  3. 「私はそうは思いません」というのは、何も論拠になっていない。「北朝鮮が攻めてくると言うが、私はそうは思わない」だけでは意見ではなく単なる感想である。そう思わないのであれば理由を示す必要がある。郵政を民間に移行した場合の長所は何か、問題点は何か、問題点に対してどう対処するのか。そこまで具体的に論及してはじめて「そう思わない」という言葉が意味を持つのであって、その理由をすべて省略して「そう思わない」だけでは、政治家の文章としては落第であろう。
  4. 郵政を民営化するのであれば「私は、郵便局は国民の資産だと思っています」というのは論拠を持たない。郵便局は国民ではなく会社のものになるのだ。いくら些末な対処を施しても、資本主義に委ねる限り郵便局は「国民のもの」にはならない。サービスが維持できる(維持する)かどうかは民営会社の決めることであって、小泉氏の決めることではない。それとも総理は自ら郵便会社の会長になるつもりなのだろうか。過疎地の郵便局をなくすことはないとしきりに言っているが、そんな措置をとるのならそれは民営化とは言わない。国民の資産は政府が守るべきであって、小泉氏のやっていることは資産をたたき売りするのと同じである。
  5. ガリレオにたとえるというのは大胆不敵とも言えるが、自然科学と政治の判断を同じ文脈にのせるのは、自然科学を知らないか政治を知らないかのどちらかだろう。政治とはある意見が正しいか(必要か)どうかではなく、その意見に対する国民の判断である。ガリレオが有罪になっても自然の事実は変わらないが、政治では国民や議会によって判断は変わり得るのだ。小泉氏の考えとは関係なしに否定されればその判断に従うしかないので、審判の判断に逆らっても意味がないのと同じである。小泉氏はガリレオではなく、アンパイヤの判断に文句を言っている選手なのだ。

 以上のような読み取りには異論もあるだろうしすべて正しくはないだろうが、私は中学生や高校生にぜひこの文章を読んで、同じような分析・論評を試みてほしい。国語の教科書に載っている文章と、この国の(一応)責任者である人の文章を読み比べてみてほしい。この文章が論理的な読解に耐えうるものだろうか。政治家の発言だから論理的でなくてもしかたがないとしたら、その論理的でない面を誰かオトナは解説できるだろうか。
 この国が民主主義であるとするならば、子どものうちから政治家の発言を読ませるべきだ。賛否を問うのではない。政治家の発言はオトナの学力を反映している。子どもの学力を向上させるためにはオトナが自らの学力を見せつけるべきだ。オトナが生活の中で「勉強」をどのように活かしているか。学び賢くなることがどれだけカッコイイか。魚屋には魚屋の、トラック運転手にはトラック運転手の、そして政治家には政治家の「学力」がある。政治家の学力とは、特に格調高い文章をつくることではない。政治家に必要なのは、わかりやすく論理的で説得力のある文章をつくることだ。民主主義だからこそ、イメージだけのごまかしは許されないのだ。総理大臣の文章に本当に学力があるか。多くの人に政治のあり方をわかりやすく説明し説得する力があるか。
 子どもの学力がどうだとか言う前に、自分たちオトナの学力を点検するべきだ。細切れの知識だけを問うクイズ番組、パターン認識だけでくぐり抜けられてしまう入学試験、そして論理の伴わない首相の文章。子どもの学力低下を招いているのは、子どもに「高学力」を見せつけられないオトナ自身ではないのか。(2005/8/13)


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