問題に疑問を持つ

 中学1年生に方程式の文章題を教えている。このへんは公立入試でよく出るので割と神経を使いながら教えるのだが、昔と少し教え方が変わっている。
 解答の1行目に「○○をx(エックス)とする」と書くのはいいのだが、式を立てて計算し答を出した後に「これは問題に合う」という一文を書かなければならないらしい。問題集にはそう書いてあるし「学校でそう習った」と生徒も言っていた。私が中学生の時、あるいは前に数学を教えていた14年前には、こんな文章はなかった。いつからこうなったのか知らないが、なんだかヘンな気がする。
 3年生の2次方程式なら答が2つ出てくるので、答の片方が条件に合わないこともあり、計算の後に「○○は条件に合わない(ので、答は××)」あるいは「両方とも条件に合う」という文章を書くのが普通である。しかし中1の方程式や中2の連立方程式のように、答が1つしか出ない計算で、結果に対して「これは問題に合う」と書くのは、別にまちがいだとは思わないが、やり過ぎのように見える。
 たとえば人数を聞く問題で答がマイナスになればおかしいので、その答しかない場合には「あてはまる答がない」と書くしかない(「答−8人」という答に意味を持たせるという発想もあるだろうが、今の中1にそこまで求められるとは思えない)。普段からそういう問題に接していれば、「答がない」という文章と同じように「この答は問題に合う」という文を書くことに子どもは抵抗を感じないだろう。しかし私の知っている限り、中1や中2の文章題で「答なし」という問題はどこにも存在しない。(中2の1次関数のところで、2本の直線が平行(交点がない)ときに「答なし」となる問題はあるが、これも問題集に載っているだけで教科書にはない。普通の中学校では教えないだろう)
 本気で「これは問題に合う」という文章の意味を教えたいのなら、教科書や問題集で「答なし」という問題を出すべきではないのだろうか。そのような問題なしに指導しても、ヘタをすると形式的に書くことを覚えるだけになりかねない。そう思って「答なし」の問題をつくろうと思っていたのだが、つくる時間がないまま方程式を終わってしまった。今からでも意味はあると思うので、「答−6人」となる問題をそのうち解かせてみようと思っている。
 問題の答に疑問を持つというのは、算数ではほとんど起こらないだろう。しかし数学では答がなかったり、2つ出てきたり、場合分けによって複数の解を求めたり、学年が上がるにつれて問題の答が複雑になっていく。そのような数学の難しさの第一歩を中1のこの時期に求めるとしたら、そこはかなり慎重にやるべきであって、教科書にもっと詳しい解説を載せるか、先のように「答なし」の問題を実際に解かせるべきではないか。どうも形式主義に流れてしまっているような気がするのは、私の気のせいだろうか。(2006/11/24)

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