入試問題を解くということ


 3年生はいよいよ入試が近づいてきました。センター試験の対策で大変ですね。2年生もぼつぼつ入試問題を解いている人がいますが、なかなかしんどそうです。みんなにつきあって入試問題を解いていると、山本も受験生に戻ったような気分になります。
 学校のテストはだいたい範囲が決まっているので、そんなに勉強が大変でもないし、最悪の場合は1夜漬けもできます。でも入試は試験範囲が広くて(センター数学などを除くと)どこが出るか予想できないし、問題も簡単ではないので、やっていてイヤになることもあるでしょう。
 そもそも高校や大学に入るのになぜ試験が必要なのか、考えたことがありますか。
 入学試験そのものは、学校制度ができた明治時代からありました。戦後すぐ(今から60年くらい昔)には「公立高校には入りたい人が全員入れるようにしよう」という考え方が実行されかかったことがありましたが、結局校舎が足りないなどの理由でほとんど実行されず、現在まで入試制度が続いています。
 入学試験は「選抜試験」と呼ばれるように、その学校にふさわしい生徒を"選ぶ"試験です。それは裏返して言えば「いい点数をとれない人を受け入れて力を伸ばす力は、この学校にはありませんよ」という意味にもとれます。たとえば今の日本では目や耳が不自由な人はたいてい盲学校や聾学校に行きますが、それは普通の中学校や高校ではそのような人が勉強していくだけの設備や制度がない、という意味でもあるわけです(そうでない外国はたくさんあります)。
 本当に教える力に自信があるのなら、選抜試験などせずどんな学力の子どもでも受け入れて教え、しっかり一人前にしていけるはずです。そういう学校がほとんど存在せず、成績のいい人だけを引き受ける学校が多いのは、ある意味では日本の学校の"貧しさ"を表しているとも言えます。
 日本の入試制度はどちらかというと「入るのは大変だが卒業するのは難しくない」という形で、大学に入るまではガリガリ勉強しても、入ってしまえば遊んだりバイトしたりであまり勉強しない、という人が多いのです(アメリカは逆で、入るより卒業する方が難しく、留年や中退が非常に多い)。最近は日本の大学でも出席チェックが厳しくなったり小テストが多くなったり、高校と同じノリになってきていますが、大学生にもなってお尻をたたかないと勉強しないというのは少々情けないようにも感じます。(……山本もそんなに勉強はしませんでしたが、イヤイヤ勉強もしていなかった……かな?)
 塾の卒業生に大学の話を聞くと「授業がつまらない」と答える人もいますが、せっかく苦労して入った大学で勉強が面白くないというのでは、今まで何をしてきたのかわかりません。まあ大学の勉強というのは授業以外の色々な"修行"から学ぶことも多い(バイトやボランティア、さらに授業以外で先生と触れ合うのも大きな勉強です)ので、授業などあてにせず自分で自分を賢くしていけばいいのですが、高校までにそういう「自分で学ぶ」訓練をほとんどしていない現状では、緊張感を失って遊んでしまう人が多いのも仕方がないのかもしれません。
 別に「アメリカの大学生のように朝から晩まで勉強しなさい!」と言うつもりはないのです。ただせっかく大学に入るのなら、1つでいいから自分でこだわって勉強できるテーマを持っていてほしいと思います。適当に流す授業があってもかまわないけれど、これだけはどうしても突きつめて賢くなりたい! というものを持っていた方が、いい大学生活をすごせると思うのです。
 みんなの中で将来の具体的な夢を持っている人は、その夢に結びつけたテーマを持てばいいと思います。教師になりたいのなら「いい教師になるための勉強」だけを考えればいいし、看護師さんになりたい人は、先輩の話を聞いたり実際に患者さんと接しながら、自分がどういう看護師として生きていくのかをじっくり考えれば十分でしょう。
 そういう夢を持っていない人には、今までやってきた勉強の中で一番興味の持てるもの、じっくり勉強してみたいと思える科目・単元を探してみることを勧めます。成績(点数)で決めるのではなく、自分が一番好きと言える科目、このあたりなら3時間くらいぶっ続けでやっても大丈夫、と言えるような科目を探しておいてほしいのです。
 みんながやっている入試勉強が、そういう「本気で好きになれる科目」を探すためのものになればいいなと思います。入試問題が簡単でないのも、本当に好きな科目ならむしろ難しい問題の方が深みがありやりがいがある(ホントですよ)ので、はまることができる科目を探すためには必要なことなのです。(どうせ勉強するのならそれくらい前向きに構えた方がいいでしょ? 本当に頭のいい人は、たいていそんな風にpositiveに考えられるものです。これも本当です)
 せっかく大学に行くのなら、自分が生きていくための武器、ものの考え方を鍛えてとしての学問を何か身につけておいてほしいです。1つでも深く学んだものがあれば、そこから応用して他の分野を自分で学んでいくことも、場合によってはオトナになってから大学に戻って勉強し直すこともできます。もっと言えば大学に限らず、どんな場所でのどんな経験でも自分を鍛え賢くすることはできるはずなのです。遊ぶのもダラダラするのもいいけれど、本当に人生を楽しみたいのなら、自分を鍛えるという意味の勉強から逃げてほしくはありません。山本もそのために、みんなの役に立ちたいと思っています。  ……よいお年を。来年もよろしく。(2008/12/24)

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