自分のことは自分で決める


 アメリカ合衆国の新しい大統領に、バラク=オバマ氏が就任しました。ワシントンで行われた就任演説には200万人(!)が集まりました(宗像市の人口は10万人弱)。
 オバマ大統領はお父さんがケニア出身で、アメリカでは初めてのアフリカ系大統領になります。47才という若さ(日本の麻生首相は68才)、演説のうまさ、そして不況や戦争にあえぐアメリカを立て直してほしいという期待が、彼の人気につながっているようです。
 ところでアメリカは「自由と民主主義の国」と言われます。この国は歴史が浅く、王様のように"えらい人"がいないところからスタートしたので、みんなが平等で、どんな人でも努力次第で夢がかなえられる場所だと考えられています。人種差別がひどかった頃なら自分の意見を話す自由さえ与えられなかったオバマ氏が大統領になったということも、1つのアメリカン・ドリームとしてとらえられているのでしょう。
 民主主義というと選挙とか多数決とかを考えるかもしれませんが、もともとは「自分のことは自分で決める」という考え方です。
 昔はたいていの国に王様のようなえらい人がいて、えらい人の言うことをみんなが聞くことになっていました。江戸時代の日本なら"士農工商"で侍が一番えらくて、お百姓さんは年貢が高くても文句を言えませんでした。また明治時代から戦争が終わるまでは天皇が一番えらいことになっていて、「天皇陛下のために」といって多くの若者が戦争にかり出され命を落としました。自分の生き方を自分で決めることはできなかったのです。アメリカだって昔は、もともといた先住民の人をたくさん殺したり、アフリカから黒人をさらってきて奴隷として働かせたりしたので、そういう意味では民主主義とはとても言えませんでした。
 民主主義というのは、自分の生き方や考え方を他人の好き勝手にさせない、自分の生き方を決める"主人公"は自分自身なのだ、という考え方です。考え方や好き嫌いが違う人の生き方もできるだけ大切にして、お互いが気持ちよくやっていけるようにしよう、というのが民主主義の発想だと山本は思います。
 みんなが自分の思うように生きていこうとすれば、どこかでぶつかってケンカになることもあるでしょう。そのときに暴力や「えらい人」の言うことを聞くのではなく、時間がかかってもできるだけ全員が納得できるように話し合って決める、ということです。多数決というのはどうしようもないときに使う"本当は使いたくない手"であって、数が少ないからその意見を無視していいというわけではありません。みんなが少しずつ我慢していこう、ということです。
 学校にある生徒会も、そういう話し合いをするための場です。でも実際には生徒会でいい話し合いができることは少ないでしょう。それはみんなが話し合いの方法をきちんと教えられていないこともあるし、オトナが見本になるような話し合いを見せてくれていないということもあります。日本人はまだまだ民主主義に慣れていないのです。(山本は中学・高校・大学で生徒会(大学は自治会)の議長をしましたが、自分の司会の下手さ加減にいつもゲンナリしました)
 自分のことを自分で決めるというのは、"自分勝手"とは違います。本気で自分の生き方を大切にしようとするなら、同じように他人の生き方も大切にしなければなりません。「自分が好きなようにして他の人のジャマになってもかまわない」とみんなが思えば、結局お互いにじゃまをしあってうまくいかないでしょう。自分と同じように他人の生き方を大切にするのが、民主主義の大事で、しかも難しいところだと思います。
 アメリカの学校では「自分の意見を言いなさい」とよく言われます。自分のことを自分で決めるためには、まず自分の考えをはっきりさせなければなりませんから、恥ずかしがったりまわりを気にせずに考えを言わなければならないこともあるでしょう。でも日本では、自分の意見をはっきり言うのはなかなか難しいですね。日本人にはもともと「自分を出さずにまわりに合わせる」という考え方が強いので、自分の考えを押し通そうとするとまわりからよく思われないということもあるでしょう(なぜ日本人がそうなのか考えてみるのも面白いですよ)。
 世間で流行しているからとか、まわりがみんなそうしているからとか、○○先生に言われたからという理由で何かを決めてもいいのです。しかしそういう習慣を持ち続けていると、いざというときに自分のしたいことが何なのかわからなくなったり、自分のしたくないことを言われたときに「それはいやだ!」と言いにくくなったりすることもあります。もっとよくないのは、自分の意見をはっきり言う人に対して反感を持ったりやっかんだりすることです。どんなに気持ちが悪くても、お互いの考え方を大切にしなければならないのです。
 みんなの学校には校則があるでしょうが、学校だってルールは生徒や教師みんなが話し合って決めるべきものです。小学1年生には難しいでしょうが、高校生ならどういうルールが必要かくらい、話し合っていくうちにわかります。本当に制服は必要なのか、学校の中での携帯電話の正しい使い方は何か。そういうことは一方的にルールとして押しつけられるよりも、みんなで考えて話し合った方がよほどいい勉強になるし、みんなで決めたルールなら守る意味がわかる分だけスッキリ守る気になるでしょう。そういう手間を惜しんで教師側が一方的にルールを押しつけていると、みんなにとって本当に必要なルールが何なのかわからなくなって、オトナになってから自分勝手にふるまって他人に迷惑をかけたり、「えらい人(教師)の言うことを聞くしかない」という考え方になったりします。これでは江戸時代と同じです。

 山本がみんなを教えていてよく悩むのは、どこまで「指導」をするべきなのか、ということです。みんなが何を目標にしてどういう勉強をしていくかは、本来みんな自身が決めることです。勉強を教えることはできるし、相談に乗ることもできますが、それ以上のことについて口出しするのは、みんなのためにはならないのではないか、という気がしています。
 みんなが自分の生き方を見つけて、その道のために努力していってほしいと心から願います。自分を本当に大切にできる人は、きっと人にもやさしくなれる……と思うんですよ。(2009/1/26)

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