大学ってどんなところだっけ


 山本が大学生だったのはもう30年近く昔なので、今とはずいぶんようすが違いますが、少しはみんなの参考になるかもしれないので、思い出しながら書いてみましょう。
 大学に合格した次の日に下宿を探しました。大学の学生課で色々物件を見ていると、おじさんが来て「いい下宿がありますよ。見るだけでもどうですか?」見るだけならいいかと車に乗せてもらい、随分山奥まで走ってアパートへ。なかなか小ぎれいだしホールにグランドピアノが置いてあったのがうれしくて、ついついそこに決めてしまいました。引っ越してみるとそこはホントに田舎で、大学まで自転車で30分以上、共同のお風呂は狭くて夜遅くになると垢がたまってお湯が緑色になるわ、ピアノはたしかにあるけど大家さんの娘がよく弾いていてなかなかあかないわと、だまされたような場所でした。景色はよくて近所でホタルが見られたりしましたが、自転車のこぎすぎで膝をこわし、結局この下宿は半年で引き払い、大学の近くに引っ越しました。市場に買い物に行って自炊もしましたが、1人でつくって食べるのはつまらなくて、だんだん外食ばかりになりました。大学の近くには学生向けの安い店がたくさんあって、カゼをひいた時にわざわざおかゆを作ってもらったこともあります(うれしくて泣きながら食べた)。定食屋のおばさんはどこでもみんなやさしくて、お母さんのようでした。
大学は高校と違って、自分でかなり授業を選べます。必修は語学と体育で、第2外国語はドイツ語かフランス語をとる人が多かったのですが、山本はロシア語をとりました。ロシアの小説を少し読んでいたので興味があったのと、他の人がやらない言葉を話せたらカッコイイかなと思っていたのです。実際にはしゃべるどころではなく、アルファベットも違うので1から覚えないといけないし、動詞と名詞がそれぞれ6種類活用(男性・女性・中性の単数と複数で全部形が違う)するしで、週2回の授業でこなせるはずもなく、先生がやさしかったので単位はもらえましたが、今はもうほとんど覚えていません。
 授業は面白くないものが多くて、講義に出てもよく寝ていました。つまらないので授業をさぼって図書館で1日中本を読んでいたこともあります。だんだん起きるのが遅くなり、1コマ目(大学では1時間目ではなく1コマ目と言う)にはほとんど出なくなりました。今はつまらない講義をする先生に「警告」が出るようになって、かなり変わってきているとも聞きます。
 京大は「東の一橋、西の京大」とも言われるほど単位の取りやすい大学でした。今は随分変わってきているようですが、語学と体育と実験以外の授業はほとんど出なくていいし、授業ノートのコピーが出回るのでそれでテストもなんとかなりました。それでも留年する人がいて、6回生とか8回生の人を見たこともあります(大学は8年までいられます)。
 大学でも一応クラスはあって、1年目は友人とよく遊びました。北海道から鹿児島まで全国から学生が集まってきていて、故郷の話や方言を聞くのも楽しかったです。
 京大の学園祭は11月祭といって秋にありますが、1回生の時はクラスで仮装行列・演劇・模擬店をしました。仮装行列はマージャンパイをかぶって街中を練り歩き、「ロン!平和のみ!」とみんなで言っていました(マージャンの役で平和という役がある)。理学部なのにシナリオを書くのが好きな人がいたので、やりたい人で教室で劇もしました。演劇用とはいえ初めて化粧をしたときは、みんなに大笑いされました。
 中国からの留学生の女の子がいたのですが、とてつもなく頭がよくて、落ちこぼれの山本はよく数学を教えてもらいました。この人に中国菓子の作り方を教えてもらい、みんなで泊まり込みで準備をして模擬店をしました。あまりもうからず赤字かなと思っていたところ、近所の酒屋さんからお酒を安く仕入れることができ、最終日にそのお酒がいっぺんに売れて10万以上利益が出ました。それから後のクラスコンパは全部そのお金でやったそうです。学園祭の打ち上げで友人に「ジュースだよ」といってだまされて強いお酒を飲まされ、倒れそうになって救急車で病院に運ばれ、点滴を受けた後お医者さんに怒られました(バカ)。
 最初の1年は色々なアルバイトをしました。展示会の準備ではひたすらものを運ぶ仕事で、きつかったけど終わると気持ちよかったです。結婚式場で1日お皿洗いをしたこともあります。電子レンジをつくる工場で働いた時は、ベルトコンベアで運ばれてくる部品にねじをしめる作業を8時間続けました。あれはホントにきつかったです。夜中にコンビニ用のお弁当をつくるバイトもしましたが、ピンク色の染料の中に桜漬けが浸かっているのを見て、それから桜漬けが食べられなくなりました。2回生からは高校生の家庭教師をしましたが、初めての教える仕事はなかなかうまくいかず、2年教えたところでクビになりました。ちょっと悲しかったです。
 クラブ(サークル)は最初は演劇をしたくて、そとばこまちという有名な劇団に行ってみました。名古屋出身だと言うと「名古屋弁話せるんだ。劇で使えるよ。いいねえ〜」。名古屋が嫌いで出てきたのにそんなふうに言われ、さらに「4年で卒業できるって思わない方がいいよ」などと言われ、イヤになってここはやめました。他に合唱団、カヌー部などあちこちやってみたのですがどうも合わず、結局高校でやっていたバレーボールをまた続けることにしたのですが、練習はきついわ先輩が理不尽にいばるわで、最後は膝をこわして結局夏休み前にやめてしまいました。
 環境問題について勉強したいと思っていたのですが、大学の授業だけではものたりず、ゼミの先生の紹介で「環境問題について考える市民研究会」を手伝うことになりました。毎月テーマを決めて先生を呼びお話を聞きながら議論するという場で、電車の運転手さんとか主婦の人とか市役所勤めの人とか、オトナに混じって勉強するのはとても楽しかったです。
 2回生からはチャリティーコンサートをするボランティアバンドでピアノを弾くようになり、そちらにのめり込みながら、さっきのゼミの先生が仕切っていた「合成洗剤勉強会」と「農薬ゼミ」というサークルで勉強しました。結局大学ではあんまりまともに授業を受けなかったです。でも音楽も色々な勉強会も、山本にとってかけがえのない経験になりました。大学生になるとバイトと遊びばっかりになるという人もいますが、せっかくだから学生のうちにしかできないことをたくさん経験してみてほしいと思っています。(2009/2/11)

通信の一覧に戻る

最初に戻る

inserted by FC2 system inserted by FC2 system