格差って?


 お笑い芸人の陣内智則君とタレントの藤原紀香さんが離婚しました。2人は一昨年5億円もかけて東京で大きな披露宴をして結婚しましたが、結婚生活は2年続きませんでした。
 2人とも関西出身で、特に陣内君は地元ではかなり人気がありました。でも全国的な人気とか収入では藤原さんの方が上だったので「格差婚」などと言われました。陣内君は結婚する時「まさかこんな(すごい)人と結婚できるとは思わなかった」と言っていました。
 経済格差という言葉を聞いたことがありますか。お金を持つ人と持たない人の差が大きくなり、とてもゼイタクをしている人がいる一方で住む家もないような人がいる、ということです。昔の日本は一億(人)総中流と言われ、あまり貧富の差がなかったようですが、今の日本はアメリカに似てきているのでしょうか(アメリカの金融会社経営者の平均年収は約760億円、一般労働者の平均年収は約340万円!)。
 お金がないのは努力しなかったからで、自業自得だと言う人もいます。たしかに何もしないでお金持ちになりたいというのは虫がいいでしょう。でも働きたくても仕事がない、朝から晩まで目一杯働いてもちゃんと生活していけるだけの給料がもらえない、同じ時間働いても時給が数百倍違う、というのは不公平すぎます。まして「家にお金がないから子どもが塾に行けない」「授業料を払えないから高校をやめなければならない(そういう高校生は日本に数千人います)」というのは子どものせいでは全くないので、世の中がまちがっているように見えます。
 陣内君と藤原さんは「格差婚」と言われましたが、結婚すれば2人の間に格差も何もないはずです。格差というのはお金のあるなしだけではありません。昔(70年くらい前まで)は男が女よりエライとされていて、結婚した男の人が浮気をしても離婚されることはなかったし、逆に男の人の気持ちひとつで自由に離婚できました。結婚した男の人を『主人』女の人を『奥さん(=奥にこもっている人)』と呼ぶのも、そういう時代の名残です(山本はこういう呼び方が嫌いなので『つれあい』と言っています)。今は法律上は男女平等ですが、女性に対していばりたい男性も、男性に頼って生きていきたい女性も少なくありません。法律が変わるだけでは男女間の"格差"はなくならないのです。
 陣内君がもし「自分は妻よりも人気がないから、収入が低いから、人間として妻より劣っているんだ」と思いながら生活していったのなら、辛かったでしょう。逆に「自分は男なんだから、収入とか人気とかに関係なく俺の方がえらいんだ」と思っていたなら、やはり2人の間はうまくいかないでしょう。本当のことは当事者以外にはわかりませんが、人間は「格差」を感じながらうまく生きていくことはできないということを、この夫婦の話は教えてくれているように思います。
 勉強ができる・テストの成績のいい人が、そうでない人よりもすぐれているというのは、そこだけ見ればその通りですが、要するに一種の視野狭窄です。人間の能力は紙のテストだけで測れるような単純なものではありません。学校の成績が悪くてもオトナになってから立派な業績を残した人は数え切れないほどいます。東大の入試問題を解ける力と、誰からも感心されるようなおいしい料理をつくる力と、どちらが優秀か比べるなんてバカげています(人間の本来のあり方から考えれば、料理をつくる力の方が大切でしょう)。今の世の中で大金持ちになる力というのも、要するにそういう力の中の1つにすぎないので、それだけが世の中ですぐれているというわけではありません。
 どんな人間にも、その人にしかない才能があります。目や耳が不自由でも、片足がなくても、山本のように病気持ちで何年も定職につけない人間でさえ、世の中でできることがあります。陣内君にだって芸人としての立派な才能があります(山本はDVDを持っています。なかなか面白いよ)。そういうひとりひとりの、比べようがない才能に無理やり偏った基準で"点数"をつけて、誰がいいとか悪いとか言ったり、点数が悪い人が生活できなくなったりするのは、結局いい結果にはならないでしょう。
 それはきれいごとではなくて、他にみんなが幸せになる方法が見つかっていないということです。誰かがお金持ちになって贅沢な生活を楽しめたとしても、まわりの人が貧しさに苦しんでいるとしたら、それが努力や才能の差ではなく偏ったルールによってできたものだとしたら、本当にその人が人間として幸せを感じられるかどうか、山本には疑問です。
 みんなにももちろん才能があります。教師は子どもの才能を見つけて伸ばすのが仕事ですから、山本はそういう目でもみんなを見ていたいです。テストの点数はいいにこしたことはありませんが、才能を見つけ伸ばすためのテストでなければ、本当は意味がないのです。学校の勉強がよくできる、偏差値の高い学校にいける人が「優秀」だという考え方は、そういう基準を持った人たちの中だけでしか通用しません。おそらくこれから、そういう考え方はどんどん通用しなくなるでしょう。
 みんなが勉強しているのは、自分の中に眠っている「自分にしかできない何か」に目覚め、その才能を世の中で活かしていくためです。本当にみんなが自分の才能に気がついた時、自分の才能を大切にしたいと思った時、その力を誰かと比べたり点数をつけたりお金に換算することのバカバカしさがよくわかるでしょう。そして世の中すべての人が才能を伸ばしその力できちんと生きていけることが、人間にとってどれだけ幸せで夢のあることかもわかるはずです。……みんなにそんなふうに思ってもらえることが、教師としての山本の夢です(できてないかねえ)。
 みんなは未来に生きる人間なのだから、真面目に生きようとする人が誰でも幸せになれる世の中をつくっていってほしいです。みんな自身がおそらく今感じている「格差」が何なのか、世の中に満ちあふれている偏見や差別の正体が何か、それに流されてしまうことがどういうことなのか、そこから世の中が変わっていく方向があるのか。今のオトナがわからないことでも、みんなの時代にはきっと手がかりがつかめるでしょう。それがみんなが「陣内君」にならないための宿題です。

 1人1人にメッセージ
(2009/3/25)

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