オトナになるために


 今の日本は20才で成人になりますが、18才で成人になるように変えよう、という話があります。世界では18才成人の国が多く(186ヶ国中162国)、ネパールでは16才、プエルトリコではなんと14才で成人扱いになります。昔の日本では、元服という一人前になる儀式(武士なら刀が持てる)が15才でありました。今の日本はオトナ扱いになるのが遅いのです。みんなが20才になる前に日本も「18才成人」に変わっているかもしれません。
 成人になると選挙で投票できるとか(立候補は25才から)、酒やタバコが許されるとか、犯罪の責任を問われるとか、ローンでお金を借りられるとか、要するに一人前の人間として色々な権利と義務がついてきます。成人式でお酒を飲んでバカ騒ぎをして云々というニュースを毎年聞きますが、オトナになるのはそういうことではないことは、みんなもわかるでしょう。
 「大人」「子供」という書き方がありますが、大人には「大きい(=えらい)人」子供には「えらい人のお供、または供えもの」というとり方もあって、山本はそういう考え方がきらいなので、わざとオトナとか子どもとか書くことにしています。
 法律や年齢はとにかく、「オトナになる」とはみんなにとってはどういうことでしょうか。働いて自分に必要なお金を自分で稼ぐとか、結婚して家庭を持つとかいうことでしょうか。そうすると、大学に行く人は卒業して就職するまではまだオトナではないということになります。外国だと大学に行きながら働いて自活している人もかなりいますが、日本ではあまり聞きません。そこまでお金を出してくれるほど保護者がやさしい(甘い?)ということもあるでしょう。山本も本当の意味で自活したのは27才だったので、とんでもないすねかじりです。
 特に難しいことを考えなくても、周りの人と同じように学校を卒業して仕事について働けば自活はできるし、家庭を持つこともできるでしょう。それで幸せになれるのなら、誰かに文句を言われる筋合いもありません。それがオトナになるということなのでしょうか。
 山本は、オトナになることには2つの意味があると思います。
 1つは「自分の生き方に責任を持つ」ということです。自分がどんな進路を選んでも、どんな仕事を選んでも、どんな相手と結婚して家庭をつくっても、そのことについていいことも悪いことも自分で背負うことです。
 みんなは、親御さんや先生の言うことを聞いて高校を選んだかもしれません。でも次の学校は自分で選ぶのです。自分がどんな人間か、何に向いているのか、どんなことなら少しくらいしんどくてもがんばり抜けるか、真剣に考えて悩んで学校や仕事を決めてほしいです。誰かから反対されたからといってめげていてはダメです。世の中は高校ほど甘くはありません。自分の100%の力を出さなければうまくいかないことがたくさんあります。まわりのオトナを説得できるくらいのパワーを持つことが絶対に必要です。そして自分の進路を切り開くことに対して、他人任せにしないことです。本当は高校生にオトナが「しっかり勉強しなさい」なんて言うこと自体がおかしいのです。みんなはもう半分オトナなのだから、自分の生活や勉強や進路について責任を持つことを始めてほしいです。それが自分の生き方を心から楽しむ方法だと思います。
 もう1つは「世の中をつくっていく」ということです。今の日本は民主主義ですから、国のあり方はオトナがみんなで決めるし、世の中で起こっていることについてはオトナみんなが責任を持つのです。選挙に行けばいいというわけではありません。
 新型インフルエンザが福岡でも広がり始めましたが、もともとメキシコで豚を過密状態で飼っていたことがインフルエンザが広がった原因です。そしてメキシコの豚肉は9割が日本向けのものです。つまり日本人が安い豚肉をほしがったことが、世界中にインフルエンザをまき散らしたこととつながっているのです。豚肉をたくさん食べることがどういう結果につながるかを知らなかった日本人のせいで、メキシコの豚がたくさん死んだり、スラム街で医療を受けられない人が亡くなっているとしたら、オトナの勉強不足としか言いようがありません。
 ひとりひとりの力は小さいものですが、それでもオトナは世の中を動かしているし、これからの子どもが幸せに生きていけるかどうかも、親だけでなく世の中のオトナすべての力にかかっています。みんなが知恵を絞って力を合わせてがんばれば、今よりもっと住みやすいいい世の中をつくっていけるはずなのです。
 ……そんなこともいつか考えてみてほしいです。山本もちゃんとしたオトナにならなきゃね。(2009/5/14)

通信の一覧に戻る

最初に戻る

inserted by FC2 system inserted by FC2 system