星に願いを


 7月22日に、日本では久しぶりの日食が見られます。福岡では10時〜12時頃で、10時56分に最も太陽が欠け、天候がよければ三日月のような太陽が見えます。直接太陽を見るのは目によくないので、みんなには観察用のフィルムを渡すつもりです。
 日食とは太陽が月によって隠される現象で、太陽が完全に隠される皆既日食はなかなか日本では見られません(46年ぶり)。特に今回は月が地球に近く、月の影が大きい分だけ長い時間日食が見られます。皆既日食が見える奄美大島・屋久島・種子島などにはツアーの予約が殺到し、上海まで見に行く人もいます。これで雨でも降ったりしたらみんなガッカリですが……
 日本の神話には「太陽の神様であるアマテラスオオミカミが、弟のいたずらに怒って天の岩戸に隠れてしまって、世の中が真っ暗になった」というのがあって、これが日食のことを表しているのではないかという説もあります。他の国でも日食は神様が起こすという言い伝えがたくさんありますが、昼間にいきなり真っ暗になれば神様のしわざと考える方が自然だったのかもしれません。
 太陽ができたのは今から50億年前で、その寿命(100億年)からいうと今が"人生"の折り返しあたりです。太陽の表面の温度は6000℃ですが、日食で見える外側の炎「コロナ」は100万℃以上あります。なぜ太陽自体より外の方が温度が高いのか、今でもよくわかっていません(理由を見つけたらノーベル賞?)。
 太陽ではいつも核反応による爆発が起こり、地球に向かって電子や陽子が飛んできます(太陽風)。地球が磁石になっているために太陽風は北極や南極に曲がりますが、そこで大気にあたって光るのがオーロラです。実は宇宙では太陽風よりもっと強い放射線が飛んでいて、人間が直接それにあたったらひとたまりもないのですが、太陽風が吹いているためにその放射線から守られているのです。
 一方月は、地球に大きな隕石が衝突し、飛び散った破片が地球のまわりを回りながら万有引力によって集まってできたと言われています。月は地球より軽いため重力が小さく、まわりに気体をとどめておくことができず、空気がありません。人類が初めて月に降り立ったのは今からもう40年も前ですが、莫大なお金(今のお金で1000億ドル以上)がかかり、その後人間が月に行く話は具体化していません。日本が月観測のため一昨年打ち上げた『かぐや』は月の美しい写真をたくさん写し、先月使命を終えて月面に落ちています。
 宇宙は元々は約137億年前、ビッグバン(Big bang)という"爆発"から起こったとされています。宇宙はその後風船のようにふくらみ続けているため、地球から見ると外の星はどんどん遠ざかっています。この風船の外側がどうなっているのかは誰にもわかりません。またビッグバンより前がどういう状態だったかもわかっていません(時間も空間も"ない"としか言いようがない)。とにかく宇宙はずっと同じ状態ではなく、常に変わり続けているのです。こういうことがわかってきたのも、もちろん今までにたくさんの人が勉強してきた結果です。
 今年はガリレオ=ガリレイが世界ではじめて望遠鏡で星を見てから400年目の「世界天文年」ですが、今は街中ではなかなか星が見えないし、オトナが星について話しているのもあまり見かけません。高校で星について勉強するのは理科の地学ですが、日本の高校で地学の授業を行っているのは3割しかありません。中学校の星の勉強は計算とか方角の話が多くて、実際に見える星についての面白い話は少ししか出ません。このへんを何とかしたいところです。
 山本は中学の理科でよく「光より速く進めたら時間が逆戻りする」という話をします。理屈としては相対性理論が必要で難しいし、光より速く進むことは理論的にはできないのですが、この話はたいてい受けます。いつもの理科ではあり得ないようなタイムマシンの話が面白いからだと思うのですが、宇宙の話にはそんな「いつもと違う」面があります。
 それは、みんなが暮らしている世界の土台でありながら(宇宙がなければ私たちは存在しません)、時間も距離も普段のみんなの感覚とは全く違うスケールだということです。普通は光はまっすぐ進みますが、太陽の近くを通る光は太陽の質量のために曲がります。また実際に存在するブラックホールの中に入っていけば、時計の進み方はどんどん遅くなります。このように常識から外れるような世界が本当に存在することを知るのは、面白いし意味があると思います。
 みんなはいつもは、宇宙の存在を気にすることなどなく、友だちづきあいや勉強やクラブのことを考えて生活しているでしょう。それはそれでいいのです。でも宇宙全体の中で考えた時、人間の存在は"ゴミ"みたいなものだと言えなくもありません。ゴミには生きる意味などないでしょうか?
 おそらくどちらの考え方も、うまく生きていくためには必要です。生きるために目の前のことに真剣に取り組むのも大事だけど、それだけでは疲れてしまうかもしれません。そういう時に人間の存在を大きく見て「人間がどうなっても宇宙は宇宙で変わらない、大丈夫」と思える、楽天的になるおまじないのような発想もあっていいと思うのです。宇宙の広さや時間の長さを実感することは難しいけど、いつもと違う世界を味わってみるのもいいと思いますよ。(2009/7/14)

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