人間なんてゴミみたいなもの


 先週の後半は大雨で大変でした。福岡県では記録的な降水量になり、県内で土砂崩れなどで亡くなった方が8人、浸水した家は3000軒以上になりました。4ヶ月分の雨が3日で降った地域もあったそうです。
 金曜日には家庭教師に行こうと博多から電車に乗ったのですが、福工大前を過ぎたところで電車が止まり、しばらくして福工大前まで逆戻り。線路が浸水し事故の危険があるとのことで復旧のメドが立たず、しかたなく駅を出て歩きなんとかバスで博多に戻り、40分ほど歩いてびしょびしょになって帰宅しました。後で聞いた話では電車まで浸水し、乗っている人の足が水浸しになったとか。学校から宗像に帰れなくて親戚の人のところに泊まった人もいたようです。ある人のお父さんは門司から電車で6時間かかって東郷に着いたとか。みなさん大変でしたね。
 今回の大雨は、梅雨前線に南からの暖かい空気が流れ込み、積乱雲が集まってできた「人参雲」によって起こったと言われています。少し解説してみましょう。
 天気を季節単位で大まかに考えると、空気のかたまりである気団の影響で決まります。日本のまわりには季節によって違う気団が現れます。夏は小笠原気団から暑くて湿った空気が吹いてくるし、冬はシベリア気団から冷たく乾いた空気が吹いてきます。これが夏は蒸し暑く、冬は乾燥して寒い1つの理由です。春と秋には揚子江気団の一部がちぎれて、西から東へ吹く偏西風に乗って日本の近くに飛んできます(移動性高気圧)。高気圧では天気がよく、低気圧では雨が降りやすいので、それらが交互に通り過ぎると天気が変わりやすくなります。『女心と秋の空』というのは、変わりやすいものを例えた昔のことわざです(男女で心の変わりやすさが違うとは山本には思えないが……)。
 春の終わりには、揚子江気団の他にオホーツク気団・小笠原気団などが強くなってきます。これらの気団から吹いてくる風がぶつかると、両方がぶつかったところで空気が上昇し、上空で空気が冷やされて積乱雲などができて雨が降ります。北と南の気団の勢いが同じくらいだと、同じ場所でずっと雨が降り続けることになります。これが梅雨で、2つの気団がぶつかっている場所を梅雨前線と言います。
 雨が降るためには水蒸気が必要です。海の上にあるオホーツク海気団や小笠原気団は海水から蒸発した水蒸気を多く含み、この水蒸気が雨のもとになります。しかし九州など陸地で雨が降ると、普通は水蒸気の補給がどこかでなくなるため、大雨が続くことはあまりありません。ところが今回は太平洋から湿った空気が連続して流れ込んできて(舌の形に見えるので湿舌と呼ばれる)、そのために気団がぶつかっているところで次々に積乱雲ができ、強い雨が続いたのです。この重なった積乱雲がニンジンの形に似ているので「人参雲」(tapering cloud,taper は『次第に細くなる』)と呼ばれているのです。これが大雨の原因です。
 夏が近づくにつれて南側の小笠原気団が強くなるので、梅雨前線はだんだん北に移っていき、最後には他の気団が"負けて"前線は消えます(梅雨明け)。今年は小笠原気団がなかなか強くならないので、梅雨明けが遅くなっています。
 日本の天候は少しずつ変わってきているようです。昔の梅雨は弱い雨が延々と降り続くのが普通だったのに、最近は強い雨が断続的に降ることが多くなっています。また昔よりも都市部の気温が高くなってきたとも言われています。このような天候の変化について、正確な原因はわかっていません。温暖化の影響(気温が上がると水蒸気が多く蒸発し雨が降りやすくなる)と言う人もいるし、エルニーニョ現象(南アメリカ沿岸の海水温が高くなることで、海水温の変化が風や気圧に影響を及ぼし、世界規模で天候が変化する)の影響だと言う人もいます。地球規模の天候は太陽からの光の量、世界各地の気温、海の流れや水温、人間の出す熱などたくさんの要素から決まるので、世界一大きいコンピュータでも正確には計算できません。そしてもし豪雨や台風が来る場所が予想できても、今の人間に大雨や台風そのものを防ぐ力はありません。台風のエネルギー(もともとは海水を暖め蒸発させる太陽のエネルギー)は広島型原爆の数万倍で、とても人間の手には負えません。洪水を予防するために堤防を高くしたり、土砂崩れしそうなところから避難するくらいしかできません。
 よく言われることですが、自然の前では人間なんてゴミみたいな存在なのです。地球に大隕石が落ちてきたら、太陽の光が強くなって気温が20度上がったら、地球の磁場が弱くなって太陽からの放射線がまともに当たるようになったら、人間はあっという間に全滅です。そこまでいかなくても、もう少し温暖化が進めば超大型台風が来て家ごと飛ばされてしまうかもしれないし、天候の変化で作物がとれなくなればいつ食糧危機になってもおかしくありません。
 だからといって「どうせ何をしてもムダだ」というわけでもないのです。自分の存在が宇宙の中でははかないということと、自分や他人の命や生き方を大切にすることは、矛盾しません。生きていることの"両面性"をいつか感じられるようになってほしいと思っています。(2009/7/28)


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