学生運動について


 今週の誕生日でとりあげた菅総理は、14年ぶりの「父親が政治家でない総理大臣」です(ただしおじいちゃんは岡山県の郡会議員)。この人は大学生のとき学生運動と関わり、そこから政治の世界に入ったと言われています。今回は学生運動について書いてみましょう。

 日本は65年前に戦争に負け、アメリカを中心とする連合国の支配下に置かれました。連合国の占領が終わって1952年に独立するとき、日本はアメリカと安全保障条約を結びました。アメリカ軍が引き続き日本に基地を持って滞在し、その代わりに日本を守るという約束をしたのです。当時アメリカは朝鮮戦争などで東アジアに基地がほしかったので、こういう提案をしたのでしょう。一方日本政府は、平和憲法があり軍隊を持たないこの国が安全にやっていくためには、アメリカ軍の力を借りるしかないと考えたのでしょう。今でもこの条約は続いていて、沖縄の普天間基地問題などにつながっています。博多港にも時々アメリカの軍艦が寄港します。
 1960年に、この条約を続けるかどうかを国会で決めることになりました。アメリカの戦争に巻き込まれること、また外国軍の基地を置くことに反対する10万人以上が国会を取り巻いてデモを、また全国で500万以上の人がストライキ(仕事を休んで抗議すること)を行い、日本中で安保条約反対の運動が起こりました。政府は安保条約を強行可決しましたが、岸首相は責任をとる形で辞職しています(60年安保闘争)。
 この安保闘争のデモや集会には、多くの大学生が参加しました。機動隊とのもみ合いの中で、東大生が1人亡くなっています。
 中学や高校の生徒会と同じように、大学には自治会があります。自治会は授業料値上げ反対の運動とか、大学の民主化運動(学生と生徒が意見を出し合って大学の運営の仕方を決めるようにする)に関わっていましたが、「政治運動もするべきだ」という人が多くの大学の自治会で主導権を握るようになりました。
 1970年には安保条約を延長するかどうかをまた決めることになっていたのですが、その数年前からあちこちの大学で「安全保障条約を破棄しよう」という学生のデモや集会が増えてきました。大学にバリケードをつくって人が入れないようにしたり、ヘルメットをかぶりゲバ棒を持って機動隊とやりあったり、講堂に立てこもったりで、多くの大学で普通の授業ができなくなりました。1969年には東大の入試が中止になり、東大志望の人は強制的に浪人することになりました。大阪では高校生も、服装自由化(制服廃止)や授業内容の改善などを求めて学校をバリケード封鎖しています。
 こうした学生運動は「安保条約反対」というだけではなく、世の中で大学がどうあるべきか、そもそも大学は必要なのか、学生や大学の先生はどのように社会と関わるべきか、という根本的な問いかけでもありました。世の中に問題があるのに、世の中で苦しんでいる人がいるのに、大学生活を謳歌していいところに就職する……だけでいいのか、と悩みながら運動に参加した人もいました。『二十歳の原点』という有名な本の作者(20才で電車に飛びこみ自殺)は、次のように書いています;

 ……いま学園は大変な状態である。何が大変なのか。私は学生としてどうあればよいのか。この機会を逃したら無責任でしかあり得なくなるという焦り。どうやっていけばいいのか、わからない。しかし「事態」は進展して いる。何をなすべきか!(高野悦子『二十歳の原点序章』新潮文庫、1979年より)

 しかし1970年をすぎて安保条約は結局また延長され、その頃から学生運動の指導者の中での仲間割れ(内ゲバ)がひどくなりました。意見の違う人を殺したり、山荘に人質を取ってたてこもったりという事件が続く中で、運動に参加する学生は減っていきました。今は大学の取り締まりも厳しくなり、このような運動をしている学生はごく少数です。

 今では考えられないような、こういう学生運動の話を読んだり聞いたりしていると、一種の"お祭り"だった面もあるように思います。しんどい受験勉強をくぐり抜けて大学に入っても勉強に意味を見出せず、若さのパワーをぶつける場所を学生運動に見つけて燃え上がっていた人もいたでしょう。そこだけ見れば、クラブや体育祭に情熱を燃やすみんなとあまり変わりません。
 暴力や人殺しにはまったく賛成できませんが、先生から言われたことだけ勉強して卒業していく優等生よりは、学生であることの意味に悩んだり世の中と実際に関わってみる人の方が、将来有望かもしれません。学生運動を「卒業」してからも世の中を少しでもいい方向に変えようとして、世の中の弱い人を助けたり、自然を守る活動を地道に続けている人もいるのです。誰かに言われた通りに勉強するだけではなく、自分がどう生きていくのか、そのために何が必要なのかを考えることは、みんなにとっても大切だと思います。そういう意味で、学生運動の中で悩んでいた人の思いを知る価値はあるでしょう(『二十歳の原点』は読みやすいですよ)。今でも続いている安保体制や米軍基地の問題、また大学のあり方なども一度は考えてみてほしいところです。
 親のすねをかじっている大学生は、どんなにがんばっても世の中の"主役"にはなれません。オトナのお金に頼っておいて「オトナの世の中はまちがっている!」と叫んだところで、相手にされないでしょう。同じようにテスト前しか勉強しないバイトと遊びばかりの大学生も、親の金をムダに使っているという意味で失格です。世の中のしくみを深く知り、その中での自分の生き方を考え、そして生きていくための武器を身につけること、それが大学生の仕事です。まだ勉強かぁとウンザリするかもしれないけど、テストのためでない本物の勉強はきっと面白くて魅力的ですよ。(2010/10/6)


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