逃げてもはじまらない


 山本は高校生の頃、義理の母親が嫌いでした。
 細かいことにいちいちうるさく注意したり、彼女とのつきあいを反対したり、なにかにつけてぶつかることが多く、あまり口も聞きませんでした。ケンカになってセーターを破られたこともあります。とにかく名古屋の家を出たくて、そのためもあって(?)必死に勉強し京都の大学を受けました。大学に入ってひとり暮らしを始めてもホームシックとは全く縁がなく、せいせいしたような気分でした。
 仕送りはしてもらっていたし、夏休みやお正月には帰って家族ですごしていたし、親に頼っていたのは変わらないのですが、なんとなく「自立」したような気分になっていました。子どもの頃のイヤな思い出など忘れて、自分の力で将来を切り開いていくんだ! なんて思っていました。
 ……あれから30年もたってしまいました。山本は名古屋に戻ることなく、京都〜大阪〜福岡と住みかを変えながら生活してきました。父親は随分前に亡くなり、義母は妹の家族と2世帯で暮らしていますが、ほとんど会っていません。今年の5月法事で8年ぶりに顔を合わせましたが、話をしてもギクシャクしてうまくいきませんでした。
 親のことがいつもひっかかっているわけではないのですが、心の中に何とも言えないモヤモヤが残っています。普通なら反抗期なんてとっくの昔に終わっていて、親ともオトナ同士うまくやっていけるはずなのに、なんでいつまでも昔のことにこだわってギクシャクしてしまうのか、自分でもよくわかりません。親子で仲がいい人を見ると、うらやましいような、自分だけ取り残されているような、複雑な気持ちになります。
 「孝行したい時には親はなし」ということわざがありますが、山本は親孝行をしたい気持ちになったことが未だにありません。それは小さい時の思い出から自分自身を振り切ろうとして親から逃げ出してしまったために、逆に親と向きあって親を乗り越え「オトナになる」チャンスを失ってしまったのだと、誰かから言われたことがあります。悔しいけど、否定できませんでした。
 こんな状態で教師としてみんなと向かい合っていていいのかと思うことも、時々あります。
 みんなはオトナになりかけの時期ですから、親の言いなりになりたくない、親に干渉されたくないと思うことがあるでしょう。勉強しろとうるさく言われるとイヤになることもあるかもしれません。親御さんはあなたたちのことを思ってそう言っているのだろうけど、だからといってみんなに「親の気持ちを理解して、言うことを聞きなさい」とは、山本は言えません。山本には親の気持ちが本当にはわからないし、自分が親孝行したいとも思えないので、言う資格がないのです。
 みんなにどうしても言っておきたいのは、親や教師などオトナから"逃げて"も、みんなのためにはならないということです。山本は親と真正面から話し合うことを避け、家を出てしまいましたが、そのために親の思いをきちんと受け止める機会を持てず、ある意味でちゃんとしたオトナになり損なってしまいました。父親が生きているうちに自分の気持ちをちゃんと話せたらどんなによかったかと、後悔しています。みんなにはどうしてもそうなってほしくないのです。
 親と腹を割って話し合い、仮にわかりあえなくてもお互いの思いをぶつけ合うことは、みんなが強いオトナになるために必要なことです。自分の思いを押し殺してオトナの言うことをイヤイヤ聞き続けるのも、なんだかんだごまかして親や教師の小言から逃げ回るのも、長い目で見るとみんなのためになりません。親の言うことに何でもしたがってきた優等生君がある日突然"こわれて"しまったケースも、山本は見てきています。生意気だと思われても「私(俺)はこうしたいんだ」と本気になって言ってみる、自分の殻にこもらないでオトナとぶつかってみる。それはかなりしんどい作業ですが、みんながみんなの中の本音を見つけ出すためにも役に立つし、親御さんと本当にいい関係になる(それは絶対に、一生の財産ですよ)ためにもした方がいいことです。
 進路や勉強のことで悩むことが多い時期ですが、まわりのオトナとぶつかりながらでも本気で悩んで、後悔しない結論を出してほしいです。どうか逃げないでほしいのです。……A君。(2010/11/10)


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