弁証法について


 誰にでも、うまくいかないことはあるものです。
 センター試験でいい点数をとれなかった、行きたい大学の偏差値が高すぎて届かない、クラブをがんばっているのにレギュラーになれない、××君と仲が悪くて学校にいづらい、大好きな○○さんが振り向いてくれない、etc.
 オトナになっても同じで、仕事や家庭でうまくいかないことはいつもあります。会社で飲み会に行って、同僚から上司の悪口を散々聞かされ、頭痛になって帰ってきたこともあります。
 山本はある病気を持っていて、その病気を治すために福岡に引っ越してきたのですが、5年たってもよくならず困っています。なんとか元気になりたいのですが方法がわからず、友人や昔の教え子さんがバリバリ働いているのを見ると、悲しくなります。
 うまくいかないというのは、自分の望んでいることと現実が食い違っているということです。テストで80点取りたいという願望と60点しかとれないという現実が矛盾しているから、そこで苦しみ悩むわけです。(数Aの背理法で出てくる『矛盾』を覚えていますか?)
 数学なら「矛盾していることは起こらない。終わり」ですが、人間は数学の世界で生きているわけではありません。状況はたえず変わります。振り向いてくれなかった○○さんもアタックを繰り返せばいつかつき合ってくれるかもしれません。学校の成績だって努力次第でどうにでもなるでしょう。
 弁証法とは簡単に言うと、2つの矛盾しているものから、どちらとも違う新しいものが生まれるという考え方です。ドイツの哲学者ヘーゲルの言い方によれば、「ある命題(テーゼ)と、それと矛盾する命題(アンチテーゼ)が止揚(アウフヘーベン)して、それらを本質的に統合した命題(ジンテーゼ)が生まれる」ということになります。オトナになったら止揚とかアウフヘーベンとかいう言葉を聞く機会があるでしょう(テーゼもアウフヘーベンもドイツ語)。
 植物の種は、種のままでいたい(自分を保つ)性質と、種のままでいたらいつか死んでしまうという性質を持っています。この矛盾する2つの性質が止揚して、「種から芽が出る」という行動に出るわけです。弁証法とは、自然を含めたものごとの変化をとらえるための考え方です。
 マンガのヒーローものでは戦う相手が強くなるにしたがって必殺技が進化していきますが、あれも一種の弁証法です。今の力では相手に勝てない、しかし勝たなければならない(勝たないと話が続かない?)という矛盾が止揚して、さらに強い技を持つという状態に変わるのです。
 今の日本は資本主義で、会社や工場を持っている人(資本家)が多くの人(労働者)を雇って利益を得て、その利益の一部を給料として労働者に与えています。資本家は給料を減らして自分が儲けたいし、労働者は給料をたくさんもらいたいという矛盾があります。今から150年前にマルクスという経済学者が、この矛盾が止揚して共産主義という新しい社会ができるはずだという"予言"をしました。その予言を信じた人たちがロシアや中国などで共産主義革命を起こし、資本家のいない国をつくり出しましたが、結局うまくいかないまま資本主義に戻ってしまったりしています。
 弁証法で何でもうまくいくというわけでもありませんが、みんなには「矛盾とは物事の発展の原動力である」という言葉を覚えておいてほしいです。どんなものでも固定された、変化しないものとしてとらえてしまうと、そこから発展することはできなくなります。「ボクはどうせ英語はダメなんだ」といって現実を肯定すれば、矛盾(悩み)は起こらないけれど成績も上がりません。憧れの彼に好かれたいけど相手にしてもらえないという矛盾があるから、がんばって素敵な人間になるという目標ができるのです。
 今は景気が悪く大学生の就職内定率も過去最低で、みんなの将来もいい見通しが持てないかもしれません。仕事を持って働きたいという希望と、なかなか就職できないという現実は明らかに矛盾しています。どうやったらこの矛盾を解決できるのか、山本にはわかりません。しかし今まで、どんな世の中でも変化が起こらなかったことはありません。すぐに問題を解決できなくても、多くの人が矛盾から逃げずに方法を探していけば、いつかみんながちゃんと働いていける道が開けます。
 ものごとを「そういうふうに決まっているから」とか「エライ人がそう言っているから」といって、あらかじめ決まった固定されたものとしてとらえるのは、勉強の仕方としてもよくないし、進歩できないという意味でもよくないのです。いつか弁証法についてまた学んでみてください。(2011/1/19)

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