勉強するほど、できなくなる


 3年生は国公立大学の前期試験まであと2週間、1・2年生もすぐ学年末があります。
 みんなを見ていると年中テストとテスト勉強に追われていて、かわいそうに思えることもあります。小テストまで含めると、3年間で数百回はテストを受けるでしょう。
 山本が塾に勤め始めた時、先輩の先生から「宿題は多すぎるくらい出しなさい。生徒がこなしきれないくらいがちょうどいいのです」と言われたのを覚えていますが、学校の先生にも「多すぎるくらいがちょうどいい」と考えて宿題を出している人がいるようです。みんなからすればたまったものではありませんが、先生がみんなのためだと本気で思っていたら、苦情を言っても聞いてもらえないでしょう。
 みんなが高校でしている勉強は、ほとんどが先生の指示に従って行われます。言われた通りにノートを取り、問題を解き、説明を聞き、宿題をし、テストまでに復習をしていい点数をとれるように準備する……の繰り返しでしょう。山本の頃(30年くらい前)もそうでした。
 たしかに先生の言う通りに勉強していけば、学校のテストでそれなりの点数はとれるだろうし、先生には喜んでもらえるでしょう。小学校や中学校ならそれで満足していいのかもしれませんが、高校生がそれだけでいいのかどうか、山本には疑問です。
 大学に行くと、テストの代わりにレポートを提出することが多くなります。あるテーマについて本などで調べ、自分の意見をまとめて書くというものです。どの本を読んでどんな意見を書くかは学生が自分で決めるのですが、どうしたらいいかわからず苦労する人が多いようです。インターネットの掲示板を見ていると時々「○○というテーマのレポートを書かなければならないのですが、何を書いたらいいのかわかりません。教えてください」という書き込みがありますが、自分の意見を書けと言われているのに他人の意見を聞いても、カンニングにしかなりません。ネットで誰かの意見を拾って(盗んで)レポートを書く人が多いので、ネットの文章を盗んだかどうか調べるプログラムを大学がつくった、という笑えないニュースもあります。
 大学でこういうことをするのは、オトナになって社会に出てから「自分で調べて、自分の意見をつくる」ことが必要だからです。学校と違ってオトナの世界には、教科書も問題集もありません。教えてくれる人がいることもありますが、どうしたらいいか自分で決めてやっていく場面がたくさんあります。正解のない問題に根気よく取り組むことだって必要です。山本の仕事で言えば、授業で何をどう教えるか、どういう教材を使うか、この生徒に対してはどういう言葉をかけるべきか、いちいち考えていかなければなりません。これが絶対正しいという正解はないので、いつも迷い悩みながらやっているのですが、いい仕事をしようと思えば他に方法はないし、自分でどうするかいつも考えながらやっているから面白いのです。マニュアル通りの教師なんて何の魅力もありません。
 高校にはそういう"自分で考える"授業もあるでしょう。しかし多くの授業は、与えられた問題に対して解き方を覚えて要領よく答を出す、要するにテストの点数を上げるためのものになっています。それは多くの高校が大学入試を意識していて、決まった答を能率よく求める能力だけを磨こうとしているからです。「自分の考えを持たず(口にせず)、上司に逆らわず、言われた仕事だけを能率よくこなす」オトナをめざしているようなものです。先生の言う通りに熱心に勉強した人ほど、自分の意見を押し殺す習慣ができてしまっていて、しかも自分の考えを探す訓練ができていないので、「あなたはどう思うの?」と聞かれた時に何も答えられない、ということが起こります。
 通信の最初にとりあげた平塚雷鳥は、学校で「女性は男性にしたがって生きていけ」と教えられているのに腹を立て、自分の生き方は自分で決めていいのだということを日本中の女の人に訴えた人です。上にとりあげたエジソンは人生で3ヶ月しか学校に行かず、自分で科学の本をむさぼり読んで夜も寝ずに実験を繰り返し、東大卒の人が100人かかってもできないような発明をなしとげました。この2人は極端な例かもしれませんが、学校に頼りすぎてはいけないという意味では、みんなの参考になります。学校が生徒の生き方まで教えてくれるわけではない以上、みんなはどこかで学校の勉強を"乗り越えて"いかなければなりません。
 山本がみんなを見ていて心配なのは、テストの点数や学校のスケジュールを気にしすぎて、本当に自分にとって必要なことが何なのか考えていない人が多いことです。学校の宿題を言われた通りにやったからといって、自分の生き方を決められるわけではありません。補習に休まずに行ったからといって、勉強の成果が出なければ意味がありません。授業の内容がわかっていないのに、無遅刻無欠席だからといって自慢するのもまちがっています。学校のスケジュールは学校や教師のためではなく、みんなが賢くなるためのものなので、自分にとってこの勉強がどんな意味を持つのか、何をどれだけやっていく必要があるのか考えながらやっていくべきなのです。勉強しなくていいと言っているわけではありません。必要だと思ったら誰かに言われなくても宿題以上に勉強するべきだし、本当にいらないと思えるのならサボる勇気が必要かもしれません。もうすぐオトナになるのだから、何のために勉強しているのか、どんな勉強が本当に自分にとって必要なのか考えてほしいのです。学校の優等生になるのもいいけど、人生の優等生になる方が大事だからです。
 みんなに勧めたいのは、「武器」を持つことです。これだけは自信がある、好きだから先生に言われなくても勉強できる、学校で習う以上のことも自分で学んでみたい、というもの(学校の科目でなくてもいい)を見つけて、学校に頼らずに自分で勉強してみるのです。その気になれば習っていないところを独習することも(これは結構楽しい)、大学の教科書を読んで勉強することだってできます。誰かに言われてするのではない、テストのためでもない自由な勉強の楽しさを知っていれば、他の科目でも「自分で勉強することの意味」を考えることができるでしょう。大変かもしれませんが、一度考えてみてほしいです。相談にものりますよ。(2011/2/9)

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